分散化ソクラテス:(5)ソクラテスの問答法
『哲学の起源』による「ソクラテス的問答法」の特徴は以下の通り:
- 対話相手は共同体の様々なバイアスにとらわれた人
- 対話の目的は論争による真偽の決着(ディベート)ではない
- 対話の目的は、相手の前提と主張を先に受け入れた上で矛盾点を指摘すること
- 自己矛盾で主張が崩れた相手に対し、積極的な提案は行わなず、その後の対応は相手に考えさせる
- バイアスを解除するという一種の「教育」だが対価は取らない
- ソクラテス自身の意識としては、この「問答法による教育」は公職についた政治家ではできない、別種の政治活動である
- それが政治活動である理由は、影響力のある公人たちのバイアス解除を通じて、間接的に政治に影響を与えるからである
つまり、ソクラテスの問答法は、ディベートのような相手を議論で打ち負かす技術ではない。相手を主張を受け入れ、それが矛盾に至るところまで帰結を推し進めることで、対話相手の自己矛盾へ気づきを与えるのを目標とする特殊な対話だ。矛盾を示した後、新たな指針をソクラテスが教えることはない。ゆえに、対話相手は自分が信じていた価値を無効にされる。宙ぶらりんの状態に放置され、それが望まれた結果だ。
問答法はバイアスを解除する「教育」のようなものだ。しかし、対価は取らない。ソクラテスの同時代に、ソフィストたちが、立身出世の必須技術として、ディベート訓練の対価で生活したのと対照的である。
問答法は、一種の「政治活動」あるいは「個人の自由な意志で運営される一人政治制度」だ。バイアス解除を主目的とするこの政治活動は、あらゆる利害関係から自由な主体によって行われる必要性がある。ゆえに、それは公職としては実現できない。公職としての政治家は、身分を維持するため、様々な利害関係にとらわれたポジション・トークを行うことを迫られる。ディベート術はその勝率を上げる技法なので、問答法とはほぼ逆の使われ方をする。
柄谷が指摘するように、ソクラテスの問答法はディベートよりは、カウンセリング作業、精神分析に近い。勝敗と支配関係の樹立ではなく、気づかれていなかったバイアスからの自由と、その結果をどう活かすかについての平等な関係を狙うからだ。
矛盾をつかれた対話者は一見、ソクラテスに言い負かされたようにみえる。しかし、ソクラテスに主張すべき意見はなく、両者ともバイアス解除後の態度を勝手に選ぶ権利を持つ。その意味で、両者は、自由かつ平等である。この点は、次に述べる「プラトン的哲人王」との対比で重要になる。
『哲学の起源』で、ソクラテスの問答法は、交換形式D(=共同体バイアスからの解除という普遍的価値との感情的互酬性(交換形式A))を現実化する制度を探る、という文脈で現れた(前回参照)。それは、「公職についた者のバイアスを解除する一人政治活動」というなんとも頼りない、ミニマムな「政治制度」だ。
あまりにも頼りない。実際、ソクラテスはその活動によって恨みを買い、その結果冤罪で処刑される。バイアスの解除は精神分析と同じく対話者間に愛憎の感情が生まれやすい行為でもある。問答法は、一人で行うにはあまりにも危険な政治活動なのだ。実際、ソクラテスの処刑を受けたプラトンはそう感じ、「哲人王」という別の制度を提案する。
以後、この「頼りなさ」をどう扱っていくのか?ということが、焦点になっていくが、その前に「哲人王」という制度についてみることにする。
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