分散化ソクラテス:(7)私人ソクラテスと哲人王ソクラテス

分散化ソクラテス:(7)私人ソクラテスと哲人王ソクラテス

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プラトンにとって理想の哲人王は、まさにソクラテスそのひとであった。彼が「最も魂によって肉体を支配」していたからだ。それゆえ必要とあれば自ら死地に赴き、魂にとっての「大衆=民意」である肉体を抑制し自らが正しいと思うこと(無意味な自死)をなすことができる。

しかし、第五回で書いたように、ソクラテス自身は、公職としての政治を否定した。利害関係から自由であるためだ。また、問答法による政治活動は、支配ではなく、対話者相互の開放と平等を目的としていた。

ソクラテスが、「魂による肉体の支配」を完成していたかどうかは不明だ。『哲学の起源』によれば、ソクラテスは、いかなる形態であれ、「支配と従属」を望んでいなかった。それが魂による肉体の支配であろうと、専制君主による民衆の支配であろうと、知的労働による肉体・技術・現場の支配であろうと、同じことだ。

19世紀末、ニーチェが「肉体による魂の支配」という意味のことを主張し始めるが、それもまたソクラテスは望まないだろう。単純に支配者が「魂」から「肉体」に逆転しただけだからだ。だからニーチェを持ち出してソクラテスを批判することはできない。

「プラトンの哲人王」は、いかに「支配を望まない人間による支配」であろうと、支配であることに違いはない。「哲人王に仕立て上げられたソクラテス」は、「私人として活動したソクラテスその人」とは違う。前者は支配者、後者は支配を無くそうとする人だ。だから、もし、復活したソクラテスがプラトンに「ぜひ専制君主になってくれ」と請われても断るのが筋だ。

これをもって、「プラトン的哲人王」は、「ソクラテスの問答法」の形骸化であると柄谷は解釈する。たとえ、良き意志を持つ専制君主であっても、結局は支配者と臣下という制度である。保護と税金を交換する国家的専制(「交換様式B」とされていた)と変わらない。そこに自由と平等(「交換様式D」)はない。つまり、柄谷の解釈では、プラテンの哲人王は、ソクラテスの問答法の意図を裏切った、一種のパロディ・疎外態になっている。鏡像は、どれほど似ていても本人ではない。

共産主義国家へ次々に出現する独裁者たちが、ことごとく「私欲のない理想的な人間」と自認し、他人にもそう信じることを強制した歴史がある。「私人ソクラテス」と「哲人王ソクラテス」の距離はとても大きい。哲人王ソクラテスが自らを無欲な哲人王と喧伝し、仮面の背後で虐殺を指示する。それは、ある意味プラトン思想の帰結だ。一見古代の問題であるソクラテスの問答法とプラトン的哲人王の、あるかなきかの小さな違い、鏡像と本人の差は、現代に直結する課題でもある。

しかし、では「ひとり政治制度」としてのソクラテスの問答法は、つまり、鏡像ではない本体は、うまくいくのだろうか?

次回はそのあたりから。

冒頭画像
Socrates Looking in a Mirror, 17th century, Bernard Vaillant, Dutch

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