分散化ソクラテス:(1) 自律分散組織の必要性と政治哲学
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自律分散組織(Decentralized Autonomous Organization: DAO)が、世界に現れつつある。
ところで、DAOを可能にする技術基盤は出揃いつつある一方、DAOの思想、政治哲学的意義はよくわからない。
そもそも、ひとはなぜDAOを必要とするのか?
また、そもそも「DAOでしかできないこと」があるのだろうか?
恐らく直感的には、中間搾取や管理コストの減少、より自由な資金調達、労働者側の権利が拡大された強化版株式会社というようなイメージだ。しかし、逆に言えば、それはより工夫された株式会社や生活協同組合ならできることだろう。
一方、DAOには、中央集権的な組織より劣る部分もある。すばやい意思決定、才能ある個人の「独裁」がもたらすイノベーション加速などだ。だから、DAOには「中央集権的組織にはできない何か」がないと存在意義が弱まる。
最近、筆者は、柄谷行人の『世界史の構造』『哲学の起源』を再読する機会があった。
これらの著作中で、柄谷は哲学と社会構造を同時に扱う。「善とはなにか?」「幸福とは何か?」「共同体的価値と自由のどちらが優先されるべきか?」というような、よくあるタイプの政治哲学・倫理学的議題がある。しかし、彼は(こうした分野で常套手段であるように)、「善」や「幸福」といった概念の分析では考えず、ある特定の政治哲学的価値判断を可能にした歴史的・社会構造的な前提を分析する。
つまり、社会構造という一歩引いた視点から政治哲学を分析することで、優先されるべき幸福は何か?というような問いに対する無際限なスコラ的論議に入らない。そして、社会と哲学の接合するポイント、つまり人々が議論以前に「自然に」受け入れれる政治・倫理的価値判断の推移を追う。
これらの著作の特徴は、そのスケール感と抽象性にある。
ある概念が歴史的状況にどう相関するか、時代と場所を狭く限定し、非常に細かく検討する研究は数多くある。だが、世界史と哲学を俯瞰するようなものは数少ない。ヘーゲルの『歴史哲学』、マルクスの『資本論』、ドゥルーズ=ガタリの『資本主義と統合失調症』などの著作がそうしたタイプの著作だ。
この連続エッセイでは、柄谷の議論を念頭に置きつつ、フェイクニュース、ボジショントーク、反知性主義などの現代的文脈から、柄谷が述べたソクラテスの「機能」と「DAOでしかできないことの例」を思考実験する。
とりあえず次回はごく簡単にDAOのさわりだけ紹介する。
次回はこちら
文:西川アサキ
Circus Sideshow (Parade de cirque)
https://www.metmuseum.org/art/collection/search/437654Fig. 7. "Circus Sideshow" with a diagram of Seurat's compositional grid