柳の下のドジョウを狙う・・・桑名市益生編

柳の下のドジョウを狙う・・・桑名市益生編

どうもこんにちは、和尚です。

アイキャッチの写真はどこだと思いますか?・・・答えは無料部分の一番最後にて!

前回の東海道を歩くの記事のレスポンスに気を良くした私は、2匹目のドジョウを狙うべく、こうして歴史モンの話を書いていこうと思っております。

その2回目は「俊寛」さん!

え?誰だ?それ?という方がおられると思います。そうでしょう、そうでしょう。

私も日本史で「鹿ケ谷の陰謀」というターム(単なる暗記項目と思っておりました)でちらりと出てくるくらいですから・・・。

【俊寛】平安末期の真言宗の僧。法勝寺執行。後白河上皇に近侍し、上皇関係の仏事を勤める。平氏討伐の謀議に参加、京都鹿ヶ谷の山荘を提供するが、発覚し平清盛に捕えられて薩摩国硫黄島に配流される(鹿ヶ谷事件)。共に流された藤原成経・平康頼は翌年許され帰京したが、俊寛は一人残され、治承3年(1179)頃同地で寂したとされる。その悲劇的境遇は『平家物語』に語られ、能や浄瑠璃、歌舞伎にも取り上げられている。~コトバンクよりhttps://kotobank.jp/word/%E4%BF%8A%E5%AF%9B-18309

ああ、日本史でやったなあ・・・というお人、後白河上皇VS平清盛の話はいっぱいありましたよね・・・興味がある方はwikiってくださいな。

ということで、日本人好みのお話で、「藤原成経・平康頼は翌年許され帰京したが、俊寛は一人残され」の部分はこんな感じになっとります。

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第80代天皇高倉憲仁(たかくらのりひと)の中宮(ちゅうぐう)である徳子(とくこ)が懐妊したことに喜んだ清盛は,流罪となった者達に恩赦を発しました。
やがて赦免状を持った使いの船が鬼界ヶ島に着きました。しかし,その赦免状には成経・康頼の名ばかり書かれており,俊寛の名はありませんでした。
愕然とする俊寛をよそに,使いの船は成経・康頼の二人を乗せると,さっさと島を去ろうとしました。
俊寛は出て行く船にすがりつき,必死に乗せていってもらうよう泣いて頼みましたが,使者に引き剥がされしまいました。
俊寛は渚に倒れ,赤子のように泣き喚き,船の行く先を見つめ,その夜を明かしました。

~鹿児島県HP「歴史の宝箱」からhttp://www.pref.kagoshima.jp/ak01/chiiki/kagoshima/takarabako/shiseki/mishimarekishi.html

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という具合で、悲劇の方なんですが、この方がなんと!桑名にゆかりがあるのでございます。

【アイキャッチ画像の答え】

鹿児島県奄美群島の喜界島です。位置図は↓。
奄美群島への移住支援サイト「ねりやかなや」より。
https://www.neriyakanaya.jp/access/kikai.html

俊寛らが流されたのは、薩摩国(さつまのくに)の鬼界ヶ島(きかいがしま)らしいんですが、現在の三島村硫黄島であったと言われているらしいです。

鹿児島県三島村HPより。
うう、これ書くまで混同してたよ・・・。

 

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2019年6月からフリーター(ではないらしい)に転職じて早1年半を過ぎました。昔の名前で出ています。 本職:社長の愚痴聞き。社長の説教。 出没地域:東海地方を中心として、日本全国。 天命を知ったはずなのに、まだまだ世の中知らないことだらけです。

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