【和訳】New York Times 『プログラマーと独裁者』

【和訳】New York Times 『プログラマーと独裁者』

New York Timesが"The Coder and the Dictator"という、ベネズエラ政府による仮想通貨ペトロの開発を担当したベネズエラ国内の仮想通貨ベンチャーの社長視点で語られる、ペトロ開発の経緯に関する非常にスリリングで小説のような記事があったので、翻訳してみました。

主役の若者が、仮想通貨をベネズエラ政府のような圧制に対する切り札として捉えつつ、ペトロの開発を依頼され、「最終的に国民が政府の管理を逃れる方法になれば」と専門性を活かして政府の意図しないものができるようプロジェクトの舵を取ろうとするも、マフィアのようなベネズエラ政府にプロジェクトが乗っ取られていき、最終的には政権に協力してしまった形になるというドラマです。

大変長いですが、お暇なときに読み進めていただければ幸いです。


 

プログラマーと独裁者

ガブリエル・ヒメネスはベネズエラのトップに居座るニコラス・マドゥロを毛嫌いしていた。その一方で、暗号通貨を愛していた。彼が政権のためにデジタル通貨を作ったとき、その結果として命を失うことになりかけた。

掲載日:2020年3月20日
著:Nathaniel Popper, Ana Vanessa Herrero
和訳:@btc_dakara

 

2018年に入りたてのとある火曜日の真夜中過ぎに、ベネズエラの副大統領が国内のテレビ全局を使って放送を行った。遅い時刻にも関わらずきっちりとした青いスーツと赤いネクタイをしていた彼は、ベネズエラ政府が世界の国で初めて独自の仮想通貨を発売すると発表した。ペトロと呼ばれることになる仮想通貨だ。

たった数分離れた場所にある副大統領の広大なオフィスの会議室で、ガブリエル・ヒメネスはしょぼしょぼした目で猛烈に巨大なガラスのテーブルの上にあるノートパソコンでタイピングしていた。強力すぎる空調で空気はカラッカラに冷えていた。髭面にフレームの太い眼鏡をかけた細身で薄毛気味のヒメネスは何ヶ月もかけてペトロの詳細をデザインし、コードに落とし込んできた張本人だ。そして今、彼の元で働くチーフプログラマとともに大急ぎでペトロが実際に稼働できるように作業しているのであった…まだ明確に決まっていない根本的な方針があるにも関わらず。

副大統領が放送を終了した直後、その首席補佐官が激怒した様子で会議室に飛び込んできた。ヒメネスは首席補佐官の言っていることが理解できなかった――ウェブサイトのタイプミスがどうの、国家の恥がどうの。首席補佐官の後ろからアサルトライフルを持った2人の護衛が入室し、ヒメネスとプログラマは退室を禁じられた。外界と交信しようものなら「エル・エリコイデ」送りにされるそうだ。エル・エリコイデはベネズエラにおける恐怖政治を象徴する建物で、近未来的なモールとなるはずだった、外側を道路が渦巻くように上っていく建造物は、完成せぬまま政治犯を収容し拷問する刑務所として使用されている。

(エル・エリコイデと呼ばれる政治犯収容所。ヒメネスは一時「ファイルを明け渡さねば、君の身に何が起ころうと責任は持てない」と言われたと回想する。)

テーブルの下で、ヒメネスは密かに妻にSMSを送っていた。彼女にはつい最近出ていかれてしまったが、それでもヒメネスは自分にハグを送ってほしいことと、自分の父親にまずい状況になったと伝えてほしいと連絡した。

ヒメネスは日が昇る直前にようやく解放された。アパートに帰った途端、彼は涙が止まらなくなった。だが、落ち着く暇もなく、携帯電話が鳴った。大統領ニコラス・マドゥロ本人が面会を希望しているそうだ。外の群衆をかき分けながら、ヒメネスは疲労と絶望を胸に大統領府へと歩いた。


 

たった数ヶ月前、ヒメネスがベネズエラを統治する独裁者の前に呼び出されることになるとは誰にも考えられなかった。ヒメネスはわずか27歳で、小さなスタートアップを経営し、何年も大統領に対する不服を口にしていた。マドゥロは国を経済的困窮に陥れてしまったのみならず、彼の権力に立ち向かう者を投獄し、拷問し、殺害してきたのだと。

ヒメネスは政権に対する思いと同じくらい、仮想通貨の可能性についても強い信念を持っていた。マドゥロ政権が仮想通貨を発行したいと彼の元を訪ねたとき、ヒメネスはその依頼に自分の国を内側から変える機会を見出した。もし国家の仮想通貨をうまく設計できたら、政府の要望―ハイパーインフレを抑える手段―を満たしつつ、密かにベネズエラ人に生活の全てを管理する政府からの自由を実現するテクノロジーを提供できると考えた。

友人や家族は政権に協力することは必ず悪い結末を招くと忠告した。プロジェクトの指揮をとるターレク・エル・アイサーミ副大統領はアメリカ政府には「麻薬密輸のドン」と評され、近くアメリカ合衆国移民・関税執行局の最重要手配人リストに追加されることとなる危険人物なのだと。しかし、ヒメネスは危険性を認識しつつも、ペトロが彼や反体制派が長年夢見た変革を実現することのできるトロイの木馬となりうると熱弁した。

ビットコインの価格が1000%以上上昇し、その後大幅に下落した2017年と2018年は仮想通貨の世界に関わる全ての人にとってドラマチックな時期だった。1000億円単位の富が生まれ、消えていった。それでも、ヒメネスほど瀬戸際の体験をした者はいなかったかもしれない。彼の仮想通貨に対する信念は、無名な青年であった彼をベネズエラのどす黒い権力構造の中心へと引きずり出したのだ。ヒメネスはマドゥロや政府の高官と直接交渉し、時には才能を褒められ、最終的には命を脅かされて亡命の道を選ぶことになるのであった。

「プロジェクトの本当の目的は、強権的な政権の経済的モデルをひっくり返すことだった」とヒメネスは最近NYTに語った。「これが私の使命、そして賭けであり、最終的に全てを失うことになる原因となった。友人、同僚、評判、愛する人、築き上げた会社、そして国を」

(2017年にカラカスで撮られたマドゥロ大統領。彼の横暴の元で子供さえも飢餓に苦しんできた)

ヒメネスは以前にもペトロの作成者として名指しされたことはあったが、自分から当時のことを語るのは今回が初めてだ。この記事は数百もの機密なメール、SMS、政府文書、およびプロジェクトの関係者12人以上とのインタビューを元に書き上げられた。その多くはまだ公然とした政府批判が投獄や殺害につながりかねないベネズエラに住むため、匿名を条件にインタビューに応じてくれた。

必死のアイデアが必要な国

1998年に軍部のウゴ・チャベスが国を掌握したのは、ヒメネスがまだ8歳の頃、エル・ティグレという小さな街に住んでいたときだった。マルクス主義者であるチャベスはベネズエラの膨大な石油埋蔵量を活用して貧民の社会保障を実現したが、同時にベネズエラを自身を中心とした独裁主義的な国家へと変貌させた。

ヒメネスは高度な教育を受けた、自然と反体制派に惹かれる身分だった。カラカスの大学を卒業した後、ヒメネスは数年間をアメリカで過ごした―勉学に励み、結婚し、あらゆる手でチャベスとその後継者であるマドゥロに反抗した。頻繁にベネズエラの体制を批判するマイアミの共和党議員の元でインターンとして働いたこともあった。2015年に変革派が国会の選挙で勝利したとき、ヒメネスは帰国して政治的な開化に参加しようと決意した。

ヒメネスと妻が2016年初頭にカラカスに到着したときに見たものは、崖っぷちに立たされた国だった。原油価格は暴落し、マドゥロは通貨を大量に発行するほかなくなっていた。通貨のボリバルの価値が無に近づくにつれ、薬品は棚から消え、難民は溺れ子供は腹をすかせた

しかし、ヒメネスへの影響は比較的軽微だった。彼はベネズエラのプログラマやデザイナーを安い労働力を求めるアメリカの企業とつなげるThe Social Usというスタートアップを起業していたのだ。裕福なベネズエラ人がすべからくそうするように、ヒメネスもまた資産のほとんどを米ドルで保有していたが、取引に使う煩雑さに頭を抱えていた。数日ごとに闇両替をする必要があるし、タクシーに乗るだけであまりに大量の紙幣が必要なためほとんどのドライバーは銀行振込のみを受け付けていたからだ。

この状況が、ヒメネスの昔からの仮想通貨への興味に火をつけた。まずは従業員に仮想通貨で給与を支払うようになった――仮想通貨のボラティリティがいくら高いとはいえ、ベネズエラの銀行口座よりはましだったし、マドゥロ政権に振り回されることもない。The Social Usの従業員も仮想通貨を(街角でビットコインを買う人が増えていた)一般のベネズエラ人に向けた現実的なソリューションとして推薦するようになっていた。彼らがデザインしたプロジェクトの1つは、政府が定めた一定期間中の支払い上限を回避することができるPoS端末だった。

当初、マドゥロ政権はビットコインを脅威と見なしていた。権力構造がフラットで、分散型ネットワークを使ってお金を送り合うことが誰にも止められないのだから当然だろう。だが、しばらくして政府の一部が仮想通貨は諸刃の剣かもしれないと気づいた。仮想通貨が米国や国際機関による経済制裁を迂回する方法として使用できることに。

2017年9月にマドゥロの元で働く政府高官がベネズエラの石油を裏付けとする仮想通貨の構想を持ち出した。これは仮想通貨の世界では特異なことで、ビットコインの価値は資源や法定通貨ではなく数学のみによって担保されることと対照的だ。だが、必死のベネズエラにはそのような違いはどうでも良いことだった。カルロス・バルガスというその高官は地元紙でヒメネスが仮想通貨関連の事業をしていることを知り、面会を求めた。

間もなく、大柄なバルガスがThe Social Usのオフィスに現れた。ポテトチップスの袋を平らげながら、バルガスは従業員をベネズエラで唯一自分が求めているものを作ることができる有能な若者だと褒め称えた。その要求されているものは、まさにヒメネスが求めていたチャンスだった。政府の目的は、ビットコインのようにオープンなネットワークで自由に流通する新しいベネズエラの通貨を作ることだった。政府はこの通貨をコントロールすることも、失策によって失敗させることもできない。バルガスはこれをPetro Global Coinと呼びたがっていたが、ヒメネスはシンプルにPetroと呼ぶことを勧めた。

The Social Usはペトロ・プロジェクトに関する短いピッチデッキを用意した。ただ、ベネズエラにおいて奇想天外なスキームが提案されることは多々あり、ヒメネスはまだ半信半疑だった。ところが12月初旬、ヒメネスはコロンビアのカンファレンスに参加しているとき、SMSで目を疑うメッセージを受け取った。マドゥロ大統領がペトロという国家仮想通貨構想をテレビで発表したというのだ。ヒメネスは大急ぎでノートパソコンを開き、大統領が歓声を発する民衆に向けていつものツナギ姿で「これは歴史的な一歩だ」と宣言する動画を見た。

ヒメネスはバルガスに問い合わせた。「俺たちのプロジェクトがパクられたのか?」

バルガスから返事が来た。「これが俺たちのプロジェクトだ。たった今、承認が降りた。今すぐに戻ってこい」

大統領のエアコンを叩く副大統領

ヒメネスはその日の夜中にカラカスの空港に降り立って間もなく、政府関係者やエル・アイサーミ副大統領と電話していた。副大統領はベネズエラで2番めに残忍な人物として知られていたが、彼がヒメネスに質問している間は、力関係が逆転しているような気さえした。

副大統領は友好的で興味を持っており、これはヒメネスのプロジェクトであり、彼らはあくまで学びたいだけだと言った。エル・アイサーミはペトロの総発行数や、ビットコインのようにマイニングで新しく発行できるのかなどを知りたがっていた。ヒメネスは、政府高官たちは仮想通貨の仕組みに明るくないという印象を受けた。

通話の後、ヒメネスは会社の従業員たちに翌朝ミーティングをするので早めに出社するよう指示した。皆が集まると、ヒメネスは机の上に立ち、他のプロジェクトは全て停止しペトロの開発に集中すると発表した。もちろん嫌なら退職しても良いが、これを上手くやれば人生に二度と無いベネズエラを変えるチャンスだと。「人々を政府の支配から解放する」とヒメネスは熱く語った。

従業員のひとりは「独裁者のために働きたくない」とその場で退職を表明した。オフィスの外の世界でも、すでに国家仮想通貨という自己矛盾的な存在は国家権力の外に存在するテクノロジーの支持者たちから冷笑の対象となっていた。集まって聞いていた従業員が持ち場に戻ると、ヒメネスの親友の1人であるクリエイティブディレクターのダニエル・セルタインが、オフィスに散らかるビーンバッグに座って話がしたいとヒメネスに耳打ちした。

「やめておけ、これは愚策だ」とセルタインは忠告した。「私達は彼らのために働かされ、君が役目を終えたと判断される頃にプロジェクトを取り上げられるだろう」と。

セルタインは、このときヒメネスがいつもの自信過剰な素振りで忠告を笑い飛ばし、「ベネズエラで他にこの仕事ができるやつなんていないよ」と言ったことを回想している。

他にもヒメネスを説得してやめさせようとした友人はいたが、ヒメネスは政府と接触するたびに厚遇されており、勝機を感じていた。ペトロのホワイトペーパー(仮想通貨の構想を記す文書)を中央銀行で発表することに象徴的な意味があると提案すると、ある閣僚は実現させると約束したし、プロジェクトの信憑性を疑問視させないために1ヶ月で完成させようと主張したら、政府の同意を取り付けることができた。

ヒメネスはペトロをイーサリアムというビットコインに次いで有名な仮想通貨の上に設計することで、ベネズエラではありえないような自由で公共に開かれた市場で流通できるようにすることにした。政府側の人間は誰もこれについて懸念していないようだった――いや、気づいてさえいないようだった。

約束通り、ヒメネスはペトロの計画を、12月下旬に中央銀行で一日かけて開かれた、アメリカの仮想通貨専門家も複数名参加したカンファレンスで発表した。新しくベネズエラの仮想通貨監督長官に任命されたバルガスが登壇した際、彼は少なからずヒメネスの「異端な」視点に感化されていた様子だった。「我々は新しい経済システムへの変革を行う必要性について話さなければならない」とバルガスは論じた。

だが、本番はカンファレンスが解散した後に来た。バルガスがヒメネスとアメリカの仮想通貨専門家たちに、大統領が直に面会したいと伝えたのだ。

夜中のことだったが、バンに乗車した一行は重武装の検問を通過して大統領がラ・ロカと呼ばれる自宅をもつ軍事基地へと向かった。初めて訪れる一行はその質素さに驚いた。家の前には古びたシボレーカマロが駐車してあり、その横には子ども用のトランポリンが置いてあった。

マドゥロはカジュアルな服装で、妻とソファに座って、高官に囲まれていた。彼は全員と握手を交わし、下手な英語で少し会話し、ニック・スパノスというアメリカ人を特に褒め称えた。最近Netflixで妻と見たビットコインに関するドキュメンタリーに出演していたらしい。

ドアの上のエアコンがぶーんと音を立てていた。大統領は副大統領に直してくれと頼んだ。アディダスのジャージのセットアップを着た副大統領はソファに上り、数回エアコンを叩いた。ヒメネスは、ベネズエラ国内の窮状を思い、予想外に質素な大統領の生活に安息を覚えた。

マドゥロは笑いながらペトロの発表が世界中の仮想通貨投資家からの注目を集めたと自慢し、ビットコインが2万ドル近くまで上昇する力添えになったと話したが、本気か冗談かわからず、その場の皆は軽く笑うことしかできなかった。

しばらくして大統領がヒメネスに発言権を譲り、ヒメネスはペトロの基本について紹介し、当初の発行額は2億ドル分であることなどに触れた。ここで財務大臣が割り込み、ヒメネスはこれまでで初めて自分の計画に水を差された。財務大臣はマニラ封筒からオリノコベルト地帯の地図を取り出し、ペトロの裏付けとなる石油はそこにある一部の油田のもにしたい、そしてその価値は数千億ドル以上に及ぶと指摘した。

突然のことに、ヒメネスは反論した。「ペトロの発売価格を石油の価値に結びつけることはできるが、その後需給によって自由市場で価格が決定できなければ革命的なプロダクトにならない。ペトロの価格が石油価格に常に固定されていたら、ペトロは事実上の債権となり、アメリカ人は最近の経済制裁によってベネズエラの債権を買うことはできない」と。

大統領はヒメネスと財務大臣のやりとりをそれほど集中して聞いている様子はなかった。集まりが解散する頃には、スパノスはヒメネスの未来に危機感を抱いていた。「彼がスケープゴートにされるんだろうなと。もう二度と会えることはなさそうだと思った」と語る。

カラカスを離れる前に、スパノスはヒメネスにこう伝えたそうだ。「魔法の絨毯で君をここから逃してやれないことが悔しい」

(カラカスにて、交差点を見下ろす看板がペトロを宣伝している)

「大統領の発言を否定してはならない」

マドゥロはペトロの宣伝を一気に加速させた。たった4ヶ月でボリバルの価値を90%も消し去ったハイパーインフレを落ち着かせる策は他にほとんどなかったし、反体制派は公然とクーデターを呼びかけていたのだ。

ヒメネスはマドゥロがテレビで演説するたびに、ラ・ロカでの発言が想像以上に大統領に理解されていたことに感心していた。マドゥロはイーサリアムやホワイトペーパー、透明性などについて触れていた。

だが、同時に演説の内容からしてヒメネスがすでにペトロ・プロジェクトの指揮権を持たないことも明らかだった。マドゥロ大統領はペトロがオリノコベルト地帯の一部の石油資源に裏付けられると発言した――まさにヒメネスが反論した財務大臣の案だ。ヒメネスはバルガスに抗議したが却下された。「大統領の発言を否定してはならない」。バルガスはヒメネスにマドゥロの判断を踏まえて早急にホワイトペーパーを書き直すよう指示した。なぜなら、バルガスと副大統領は間もなくトルコとカタールに旅立ちペトロを投資家に売り込むというのだ。

そこからの下り坂は速かった。大統領の熱意がペトロへの関心を増大し、一枚噛みたい利権が増えすぎたために2018年1月に財務省での一連の会議で意見が大きく割れた。財務省のトップアドバイザーはペトロに政府によって管理される固定価値を持たせ、石油現物と交換できるようにしたがった。ヒメネスは反論し、石油の価値を元に「国家が保証する最低価値」を提示する代わりに、市場での価格は自由に決定されるという譲歩を勝ち取った。また、ペトロをイーサリアムネットワーク上で発行することで、その分散性により政府による介入を防ぐという側面も死守した。

だが、ヒメネスは財務省にプロジェクトを乗っ取られることを悟ることになった。ホワイトペーパーのデータを共有することを拒んだら、財務大臣に電話で「これは既に国のプロジェクトだとわかっていてのことだな?ファイルを明け渡さねば、君に何が起ころうと責任は取れない」と脅された。

The Social Usの従業員の一部は、ヒメネスのペトロに対するがむしゃらな姿勢が自分たちに危害を及ぼすかもしれないと危惧していた。実際に、別件で口論になった際、バルガスはヒメネスにいくつかの青いフォルダーを見せた:The Social Usの各従業員について事細かにまとめられた諜報資料だった。また、The Social Usに対して全く支払いが行われていないことに関して抗議するなどして白熱した際、エル・アイサーミ副大統領はヒメネスに「お前を反逆分子だと見ている」と言い切った。

その時点でヒメネスは監獄送りにされ、彼のペトロへの関与は終了すると考えてもおかしくはないが、その後もヒメネスは滅茶苦茶な成り行きでプロジェクトに巻き込まれ続けることとなる。政府はThe Social Usに対して、ペトロのローンチを勝ち取るには競争をする必要があると突然通達した――競争相手は出所不明のロシア人グループだった。ヒメネスの従業員が調べたところ特に仮想通貨関連の経験はなさそうだったロシア人グループは、のちのTime紙の説ではロシア政府によるペトロへの関与ではないかとしている。

いずれにせよ、ロシア人グループが特に何か作業をしている形跡はなかった。ヒメネスと部下たちは2018年2月20日のリリース日が近づく中、ほぼ全ての作業を任されており、その中で、ヒメネスは本記事の冒頭で述べたように武装した護衛の監視下で徹夜でコーディングを行い、翌朝に大統領府に呼び出されることとなった。

(ベネズエラ大統領府のミラフローレス)

「誰が敵かわからなかった」

ミラフローレスと呼ばれる大統領府にて、ヒメネスは全閣僚がマドゥロ大統領と待っている一番大きな式場に通された。大統領はヒメネスを暖かく歓迎し、隣の席に座らせ、ラ・ロカでの会合からどうだったか質問した。ヒメネスは部屋にいる面々や数々のカメラを意識して前夜のことや電話での脅迫などには一切触れず、ただ単にペトロのローンチ準備ができたと強調することにした。

「あの部屋の誰が敵かわからなかった。自分だけが無力だった」とヒメネスは振り返る。

少し談笑したあと、大統領はペトロをテーマにしたテレビスタジオに改装されていたホールに皆を通した。群衆が見守る中、司会者がロシア人たちとヒメネスをステージに呼んた。そこで、ヒメネスはペンと契約書を渡された――何週間も署名することを拒んでいた、ヒメネスの関与をペトロの代理店としてのものに制限する、今までの反抗的な行動に対する罰としての契約書を。生放送なので逃げ道はない。ヒメネスは乱雑に署名して、近づくカメラマンたちに無理やり笑顔を作ってみせた。

ヒメネスは座席に戻り、自分がしたことに呆然とした。大統領によると、ベネズエラは既に投資家から7.25億ドルも集めたそうだ。大統領はヒメネスとThe Social Usに名指しで感謝を表し、「ベネズエラの若い天才が設立し経営する会社だ。クレイジーであり続けよ」とコメントした。

実はペトロ自体がまともにローンチされることはなかった。3月19日にはトランプ大統領がアメリカ人のペトロ使用を禁ずる大統領令に署名し、同じ日に、ヒメネスに関するAP通信の記事が出て、マドゥロのためにペトロを開発した彼がたった数年前に反マドゥロ派の米下院議員の元でインターンをしていたと報じた。その下院議員であるイリアナ・ロス・レイティネンはすぐさま財務省に書簡を出し、「ベネズエラ国籍のガブリエル・ヒメネス氏は然るべき機関によって制裁対象に含まれるべき条件を満たすか」と問い合わせた。

カラカスにおいては、ヒメネスは右派からも左派からも批判に晒され、The Social Usは顧客を獲得することができなくなった。7月には弁護士がベネズエラ憲法制定議会に68ページの書類を提出し、ヒメネスが「母国に対する反逆」を行ったとして調査を要求した。

行き場を失ったヒメネスはアパートに引きこもり、しばらくして家賃が払えなくなると、母親のアパートに引きこもった。友人たちはこの頃にはヒメネスを滅多に見かけなくなったと口を揃える。最終的にヒメネスは元妻に、いよいよ当局に逮捕される前にベネズエラから出国するように説得された。

2019年4月、愛車である2007年式のトヨタ・アウタナを売り払い、そのお金でアメリカへの航空券を買った。到着後は、父の家に転がり込んだ――父は父で、全く別件のカリブ海の銀行を利用したマネーロンダリングへの関与で有罪判決を受け、3年間の服役が始まるのを待っている状況だったが。

(シカゴで撮影されたガブリエル・ヒメネス。現在はオークランドで、亡命申請が受け入れられるのを待っている)

ヒメネスは、亡命申請の書類を作成することに日々を費やした。申請理由として、「私はペトロの開発者として、口止めをしたい政府による迫害を受ける立場にある」と書いた。

父が刑務所に入ると、ヒメネスは友人が所有する家に一人になった。レゴや恐竜のおもちゃが足元に転がる子供部屋で寝た。亡命申請が受け入れられない間は働くことができず、アパートの部屋でスマホのゲームをし、エアコンの電気代を節約するためブラインドを閉めて暑さをやり過ごす。

「本当にとてもひどい鬱になってしまった」というのが昨年秋に長いインタビューの最中に彼が漏らした言葉だ。

信じられないことに、複数の国がベネズエラに倣って国家仮想通貨の発行を検討している。中国がリードを取り、ECBも同じ方向に向かっていると発言した。ベネズエラはペトロを何度か再ローンチしたが、最終的には年金生活者に付与されるだけの、ヒメネスが描いたオープンな要素が一つもないものになった。

10月に入って、ヒメネスはアメリカでの就労許可を得て、嬉し泣きした。さっそく新しいプロジェクトに取り掛かった:仮想通貨を使ってベネズエラ人がボリバルを迂回できるようにするプロジェクトだ。

ヒメネスはまだ一文無しだったが、サンフランシスコ・ベイエリアの仮想通貨スタートアップがオフィスに間借りすることを許し、冷蔵庫の食べ物も分け与え、そのCEOはヒメネスが彼のアパートのソファで寝ることも許した。最近、ヒメネスとは近くのレストランで待ち合わせした。彼は、失った友人に向けた謝罪の手紙を書き込んでいる黒いノートを取り出してみせた。

「いつも、解決策が見つけられる、間違いは取り返せると思っていた」と1つの手紙には書いてあった。「謝罪してもし足りないのはわかっている。自分が苦しむべきだと思われるのも当然だ。だから笑ってくれ、私はこれでもかというほど苦しんだ。」

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