投げ銭と恵むこと恵まれることの自由

投げ銭と恵むこと恵まれることの自由

Spotlightに「おねだり機能」がつきました。

【お知らせ】おねだり機能をリリース

ビットコインライトニングネットワークを使って気軽に投げ銭したり、もらったりするのはとても素敵なことと思います。

でも、投げ銭ってどんな基準で投げたらいいのでしょう?
また、どんなときにおねだりしたらいいのでしょう?

まぁ、投げ銭くらいなら深く考えず適当に投げればいいのですが、寄付や施しなどをするときは自分の中で基準があるのかな?、と思ったりもします。

そんな基準を考えるとき、ある本に書かれていたエピソードを読んでハッと気づいたことを、いつも思い出すのです。

深夜特急で書かれた、恵む基準

深夜特急

その本は、名著でありバックパッカーのバイブルとも言われる「深夜特急」。

著者である沢木耕太郎氏は、地元のバスを乗り継いてユーラシア大陸を東から西の最果てであるポルトガルまで横断の旅をします。
その旅の模様や感じたこと、考えたことをこの深夜特急で書かれています。

そのエピソードは、沢木氏がイランで乗ったバスが途中の町で停車した時に見た光景。

物乞いの子どもたちに囲まれるバスの乗客は皆、物乞いを疎ましく感じますが、その中で一人だけオランダロッテルダム出身であるヒッピーの若者は、優しく笑いながら子どもたちに応対していました。
しかし、彼は金持ちであるわけではなく、むしろいつも他の乗客から食べ物を分けてもらっていたくらい貧しいことを沢木氏は知っています。

沢木氏がその若者を眺めていると、彼はポケットに手を入れて6枚のイランのコインを取り出しました。日本円で一枚5円ほど。おそらくそれが彼の全財産。
彼はそのコインを3つに分けて、一組は一人の物乞いの男の子に、もう一組はもうひとりの男の子に、そして残りの一組は自分にと身振りで説明し、子どもたちに渡しました。
子どもたちは嬉しそうにコインをもらい、また彼もとても嬉しそうでした。

 

この光景を見て、沢木氏は強い衝撃を受けます
今まで沢木氏はたくさんの物乞いに声をかけられましたが、一度も恵んだことがなかったのです。
物乞いは無数にいるし、恵んだからと言ってどうなるものでもない、人に恵むなどとは傲慢な行為だろうと沢木氏は今まで考えていたからです。

でも、それは屁理屈であり単にケチだったに過ぎないと沢木氏は感じます。
そう考えると、一気に自由になったように思えてきたのです。

以下、深夜特急からの引用です。

”なぜ「恵むまい」などと決めなくてはいけないのだろう。
やりたい時にやり、恵みたくないときには恵まなければいい。
もし恵んであげたいと思うのなら、かりにそれが最後の十円であっても恵むがいい。
そしてその結果、自分にあらゆるものがなくなれば、今度は自分が物乞いをすればいいのだ。
誰も恵んでくれず、飢えて死にそうになるのなら、そのまま死んでいけばいい。
自由とは、恐らくそういうことなのだ……。”
深夜特急 第十一章 シルクロードⅡ 柘榴と葡萄

 

 

ちょっとだけ自由な気分になれる?

僕はこれを読んでからというもの、寄付をしたりする時に、その理由をあまり考えなくなりました。
寄付したければする、投げ銭したければする、それでいいんじゃないかな。その時どきで寄付や投げ銭の判断基準が違ってもいいじゃないか、と。

さすがにロッテルダムの若者のように無一文になっても恵む気概はありませんが、恵むのも恵まれるのもやりたい時にやればいいと考えると、気軽に楽しくなります。

ここSpotlight、ビットコインライトニングネットワークでも、あるいはALISなんかでも、ネット上で気軽に投げ銭ができるようになってきました。
それによって、ちょっとだけ自由になったような清々しい気持ちになることもあるんです。

だから、これからも気軽に投げ銭をしたりもらったりという行為が盛んになればいいのにな、と思っていたりします。

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Writer

京都・大阪で暮らし働いています / ALIS認定アンバサダー / Twitter: @cosmoscx

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