ドストエフスキー的自由

ドストエフスキー的自由

海外のビットコイナーガチ勢から、「メガバンクの権力から解放されて、お金を自分でコントロールできるようにしようぜ」、というような言葉をたまに聞きます。

僕がビットコインを好きになった理由は、「インターネット上で自由にコインを送金できる」という、今までに経験したことのなかった体験ができ、かつ、エンジニアとしてその技術に興味をもったからでした。

ビットコインが人々を魅了する理由は人それぞれだと思います。ただ、大半の方は、儲けたから、または、これから儲けたいからという理由ではないでしょうか。換言すると、投機的な理由でビットコインに興味があるといえるのではないでしょうか。

実を言うと、僕がビットコインに興味をもち続けている理由の一つに「価格が上がるから」というのも含まれています。人間というものは実に愚かなもので、どうしてもギャンブルに魅了されてしまいます。

ビットコインの普及活動で良く言われているのは、自分でお金を管理できることや、プライバシーを保つことなどがあります。長期的にみれば、これらはすごく大切なことだと思います。ただ、資本主義、民主主義、福祉国家、法治国家という言葉が代名詞となっている現代国家に生きる僕らには、お金の管理やプライバシー保持をそこまで意識する必要はなく、快適に暮らしているのではないでしょうか。

ロシアの文豪ドストエフスキーが生きた時代は、専制政治の打倒時代だったというのもありますが、とりわけ西欧を中心に自由を求める運動が盛んに行われていました。ドストエフスキーの著書「死の家の記録」には以下の一節があります。

金は鋳造された自由である、だから完全に自由を奪われた人間にとっては、それは普通の十倍も尊いものである。

本書では刑務所での囚人たちの暮らしぶりが描かれており、看守から不条理な扱いをうける囚人たちの唯一の自由は、監獄でお金を使って密入されたお酒やタバコ、生活物資を自由に買うことでした。もちろん、このお金はロシア帝国によって鋳造されたものであり、ビットコインのような非中央集権的な性質ではないのですが。それでも囚人にとっては監獄内で隠れてお金を使うというのは自由そのものだったことが伺えます。専制君主な時代でもお金は自由の代名詞的な存在だったのではないでしょうか。

時が経ち、近代国家の誕生から現代国家に至り、お金のあり方も大分変わってきました。キャッシュレスを推進する昨今、キャッシュ以外のお金はすべてデジタル化されているので、すべて管理されているといっても過言ではないと思います。もし今後キャッシュレス化が進んで、現金払いができなくなるとどうなるのか。大袈裟かもしれませんが、ドストエフスキーが生きた時代にあった「自由」はなくなるのかもしれません。

僕達はドストエフスキーが生きた時代よりも物質的にかなり豊かになりました。人権も擁護される時代になり、何不自由なく暮らせる時代です。ただし、本当の意味での「自由」は徐々に失われているのかもしれません。

この失われかけているドストエフスキー的自由を取り戻すために、ビットコインの存在意義を見出せるのではないでしょうか。

ビットコインは銀行をぶっ潰すことでもプライバシーを取り戻すことでもなく、この自由を取り戻すために存在している。そんなふうに思うのです。

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