苦痛のトレーサビリティで組織を改善する 1: 「良いの定義」を決めずに良くすることは可能か
社会のなかで善意を持つ人は少なくないだろう。しかし、デモや署名活動など、その善意の発露としての抗議運動は、なかなか成果をもたらさないという現実がある。
それでも抗議には行うこと自体に意義があり、為政者がそれを気にするということを通じて運動は現実を変える、という考え方もある。しかし、あまりにも遠い目標や間接的な実現を目指して、フィードバックのない活動を続ける精神力を求めることは酷であるし、抗議のための抗議に堕してしまわないことをチェックするのも困難だろう。
散発的な善意は、何かしらの形でつながらないと成果を出すことは難しい。だが、運動を上から集権化する「革命運動=組織の更新」には、さらなる悲劇(ナチズム、ソ連の虐殺など)を生んだという歴史がある。
国や社会という大きな単位の組織だけでなく、我々は企業や地域コミュニティなどに属している。そのような身近な組織にもスケールは異なるが改革の困難という問題は同様である。そもそも組織の理想的なあり様はどういうものなのか。過去の革命運動は、本来書き下すことができない夢や希望を「理念」として定義し、それに従わない人を内部闘争で追い落としたり、都合の良い解釈に従わない人を「反動的」だ非難することで惨劇を生んだ。
問題は、何が「良い」ことなのかを、漠然としか思い描けないことにある。共同体にとって「良い」ものを積極的に定義するのは難しい。「良い」は定義が難しく、かつ、定義すると形骸化しやすい。そこで、ポジティブに何かを得ようと求めるのでなく、マイナスを減らすと考えたらどうか。たんなる「否定」とは異なる、その都度「これは違う」という形で、境界を外側から徐々に限定していくような方法で、「肯定的ではない理想 (最小限の理想)」を考えてみたい。
本稿では、「最小限の理想」として組織が満たすべき条件を仮に定義し、その実現可能性に向けての具体策として、苦痛トークンというアイデアを呈示する。
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Credits:
原案:西川アサキ
草稿執筆:古谷利裕、もや
同時編集:VECTION
冒頭画像:A Literary Discussion in the Second Tier, published in Le Charivari, February 27, 1864February 27, 1864 Honoré Daumier
本稿は、「ブロックチェーンとレボリューション──分散が「革命」でありうる条件とはなんですか?
r/place的主体とガバナンス──革命へと誘うブロックチェーンとインターフェイス から、苦痛トークンとPS3について記述された部分を取り出して、加筆、再編集したものです。