分散化ソクラテス:(17b)三島由紀夫、ナボコフ、別の民主主義

分散化ソクラテス:(17b)三島由紀夫、ナボコフ、別の民主主義

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意外なことに、現在の民主主義を前提しつつ全体主義に言葉や論理で反論するのは不可能に近い。ハイデッガーが全体主義にハマった理由も恐らくそこにある。そして筆者が前回の終わりに、「全体主義が嫌いだ」という趣味判断を突然持ち出した理由でもある。とりあえず別の民主主義が見つからない現状では、「嫌い」程度のことしか言えないのだ。

全体主義の起源は、リベラルな民主主義を実行した際のスピードの遅さ、腐敗、形式主義がもたらす虚無、共同体を剥ぎ取られ自由と責任を与えられた個人の孤立感・・・などを、一挙に解決する手段として何らかの「主義」(それは人種差別でも愛国心でも共産主義でも理想的なコミューンでもいい)を用いることにある。主義を喧伝するのは通常カリスマ的な個人だが、カリスマに動員される下地は既にできている。

リベラルな民主主義の帰結に絶望した個人に、議論や啓蒙が無意味なのは当然だろう。また、着実に小さな問題を片付けていくことを積み重ねようという説得も無駄だ。彼らは、その遅さと、それらが結局チートされることに絶望した集団だからだ。さらに言えば、人命が失われることや暴力に反対しても無駄だ。人間の制度で殺人を伴わない制度などまだ見つかっていない。

彼らは愚かだから主義にハマっているわけではない。全体主義は現在の民主主義のある意味で「発展版」なのだ。

とても冷静な作家だった三島由紀夫は、「ほとんど冗談としか思えない大道芸(byナボコフ)」を演じて割腹自殺した。

第二次大戦後、憲法で軍隊を持つことを禁止された日本の民主主義の元で「軍隊ではない軍隊」という特殊な位置を強いられた自衛隊員たちに対し、天皇主義を復活させる尖兵としてクーデターせよと訴える演説をした直後にいきなり割腹。

ちなみにあまりに多すぎるヤジで演説は自衛隊員達に聴こえなかったという。翌日の新聞には切断された三島の頭部写真が掲載されている。

いったい何の冗談だ?とナボコフでなくても思わず言いたくなる惨状だ。

しかし、彼を嘲るナボコフ(や我々の多く)より、三島の方がよりシニカルだったのではないか?ここで「シニカル」とは「誰かが信じている価値を自分が信じていない、もしくは、それが無意味であることを知っている」事による優位性の自認である。

三島は、「自ら信じていない主義」のために死ぬ、という「全体主義のフェイク」を演じることで、シニカルな立場の徹底化を行ったのだ。

つまり、彼の切腹は、「全ての立場を嘲ることができるようなポジションを作って、もはや反論を許さない」そんな立場の表明である。同時に、真実性を高め、反論を沈黙させるレトリック操作として「実際に死んでみせる」という「パフォーマンス作品」も追加したわけだ。

全体主義のあらゆる理念と同じく彼の主張には意味がない。もしくは実行できるような細部のメカニズムはない。しかしレトリック操作としての切腹は素晴らしく効果的で、半世紀近く経った後も、三島は日本で忘れられることがなく、謎の死を振り返る者が後を絶たない。

晩年の三島は「芸術作品内部の死」と「実際の死」が無関係なことを嘆く内容の対談を何度も行ない、毎回、対談相手に「作品と現実は無関係でいい」という常識的な意見表明を強いた。

三島の「作品」の意図を、別の言葉で言えば、後から彼を笑いにくるナボコフのような(ある意味で無邪気な)人間に対して、あらかじめ罠を仕掛ける、ということだ。

彼の行為を「無意味な芸」だと笑う人間は、三島の意図を理解できていないし、自らもそこから抜け出すロジックを持っていない。現在の民主主義から全体主義に至る道の外側を発見した人間はまだいないからだ。だからこそ、20世紀初頭から百年近く経過した今でもなお、全体主義の亡霊が世界中に跋扈し始めている。

三島を笑う資格を持っているのは別の道を発見した人間だけだろう。

だから、ナボコフは、三島を笑う資格を持っていない。ただ、そのことに気づかないほどナイーブなだけだ。大人の異常な遊びに迷い込んだ子供。その子供が、やがて似た大人にならない方法があれば、確かに子供の勝ちなのだが。

だが、筆者は、三島のねじ曲がった崇高さを(尊敬はするが)好まない。ゆえに、現在の民主主義ではない、「別の」民主主義を愚直に求める。現在の民主主義を受け入れなければ、全体主義にも至らない道はありうるからだ。

一見、こんな話題はここまでの話と関係がない。

しかし、フェイクニュース、反知性主義、偏見、全体主義への闘いが、素朴なリベラリズムに基づいて行われるなら、「もっと議論を、もっと啓蒙を」的な結論に至ってしまうだろう。だが、全体主義への道は、この手の啓蒙が不可能もしくは無意味であるという認識から始まる。

故に、啓蒙、議論、そして、素朴なソクラテスの問答法は答えになり得ないのだ。

次回は、まとめと結論。

冒頭画像
Mishima, Asa Kiri, ca. 1833–34, Utagawa Hiroshige,  Japanese

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