シャネルNo5をめぐる2つの考察(ココ・シャネル関連の文献調査 3)

「文献調査1」の本の中に、シャネルNo.5という有名な香水に関する考察を行っているものが2冊あった。

テイラー・マッツエオによる『シャネルN゜5の秘密』と、大野斉子による『シャネルN゜5の謎 帝政ロシアの調香師』だ。

似たようなタイトルの本だが、前者はシャネルが主人公となって、一つの物語が紡がれている。後者は、エルネスト・ボーが主人公だ。シャネルやディミトリ(ドミトリー)・パヴロヴィッチ大公の陰に隠れて、N゜5の開発者としてクレジットされているだけだ。

しかし、マッツエオは書いている。

「しかしその香りの開発をめぐっては、数々の謎と疑問が残されている。それはシャネルN゜5の伝説のなかで、もっとも興味深く、複雑で、熱い議論の対象になってきた物語だ」p80

私自身もアルデヒドを用いた香水を作ったのは、シャネル社がはじめてだと思っていた。しかし、マッツエオの本では、それらはすでにあり、シャネル社はアルデヒドを大胆に用い、その後のキャンペーンによって、最初の伝説を作り上げた、ということが画期的だったのだ、と書かれている。

香水の香りは、ある意味で記号化されている。ファミリーというカテゴリーに分類され、その中で、いくつかの系統があり、表現はウッディやフローラルといった用語で表現される。ただ、それにもまして、誌的な表現が存在する。

マッツエオの本では、シャネルの言葉から「そう、あれこそ望んでいた香りだったわ。ほかのどれとも似ていない香水。女性の香りのする、女性のための香水だった」という部分を引用している。女性的な何か。それがマッツエオの指摘するシャネルN゜5の香りの根底だ。

ところが、大野は、ボーが祖国で見た風景を、香りの核として指摘する。ボーは、次のように語っている。

「私がシャネルN゜5を創ったのはどんな時期だったと思いますか?まさに一九二〇年のことです。私が戦争から帰還するときでした。私は北極圏にあるヨーロッパ北部の田舎に配属されていました。白夜のころ、そこでは湖や川がたいへんみずみずしい香りを放つのです。私はこの香調を記憶にとどめ、作り上げました」p266

マリリン・モンローが寝るときに数滴つけると述べたシャネルN゜5。

そうして、セクシーで官能的なイメージが、シャネルN゜5には付随した。しかし、ボーは、この香りはいわば風景が発する香りだと述べたのだ。実際どうなのだろうか?

シャネルN゜5をつけたいと志願する向きは、この2冊を読むことで、踊らされない認識を手に入れることができるだろう。

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