『近江輿地志略』に記されている、白鬚神社や、比良明神(白鬚明神)についての記述
この下の引用文は、『近江輿地志略』に記されている、白鬚神社や、比良明神(白鬚明神)についての記述です。
この記述にもあるように、比叡山延暦寺や、白鬚神社には、それぞれ、釣垂岩(釣垂石)とよばれる岩がありました。
また、この記述にもあるように、比良明神は、白鬚明神(白髭明神)と同一視されています。
「〔白髭大明神社〕 鵜川村打下村の間にあり。打下村は高島郡也。此社ある地は郡界也。小松より四十六町あり。祭る所の神猿田彦命也。縁起曰、白髭大明神は皇孫天津彦火々瓊々杵尊降臨の時天の八衢にて天鈿女尊に逢ひ、吾はこれ猿田彦大神と名のり、伊勢狭長田の五十鈴の川上に到り垂仁天皇二十五年倭姫命に逢うて曰く、翁が世に出づる事、既に二百八万余歳とのたまふ。又斎内親王に謂ていふ、我寿福を人に授く故に太田神と名づくと、然して後国々を巡り此湖に来りて釣を垂る。湖の三たび変じて桑原となりしを見たりと。老翁の形を現じては白髭明神といふ。山門の横川にも釣垂石あり。元より社辺にも釣垂の大岩あり。承和八年叡山の法勢和邇の村をすぐる時、婦人我は比良神也と名のり。観音経を聴聞せんと願ひ給ふによつて、釈迦の出世を見給ふやと問ひしに、其時にや諸天多く西に飛びしと語り給ふ。浅井備前守長政の女、今の社を造営せり。此明神は日吉の早尾、熱田の源太夫、三州男川の神同一体にして本地不動明王なり。又庚申を守ると申すも此神を祈る事なり。此神の苗斎、伊勢神宮に仕へて玉串某とてあり。〔後略〕」
(出典: 寒川辰清「白髭大明神社」, 『近江輿地志略』, 358~359ページより.)
(注記: 引用者が、一部の漢字を、旧字体から新字体に変えました。)
比叡山延暦寺や、白鬚神社、比良明神(白鬚明神)、釣垂岩などのつながりについては、この下のURLの記事でくわしくお話しています。
https://wisdommingle.com/?p=21616#jump_191230_001
ちなみに、個人的には、上記の引用文のなかので、比良明神(白鬚明神)と、日吉大社の早尾権現と、不動明王が、同一視されているところが、興味深いところだとおもいます。その理由は、この記述から、香取本『大江山絵詞』の酒呑童子説話と、比良明神とのつながりをかんじるからです。
こうしたことについても、また、いつかお話できればなとおもいます。
■画像の出典
・「翁古面」(翁面(おきなめん))(日吉大社所蔵), 『日吉山王光華』より, https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1212898/85 .
「これ好奇のかけらなり、となむ語り伝へたるとや。」