村上春樹~その魅力を考察~
以前村上龍について書きましたが、実は私は村上春樹のファンでもあります。村上春樹が好きだというと、だいたいいい顔をされないのでリアルでは内緒にしています笑。
村上春樹というと、きざで恰好をつけていて、男性にとって都合のいいストーリーばかり、文章も軽く日本の文学を破壊したなどと言われます。私は子供の頃から読書が好きですが、評論家ではないし、理系の学部に進学したので文学についても、本として読むことはあっても体系的な学問として詳しいわけでもありません。
しかし、一読者として、村上春樹の文章にはとても優れたところがたくさんあると思います。今回は私が、村上春樹作品の優れていると思う点を取り上げたいと思います。
〇文章が美しい
情景描写、心情描写が美しく、鮮やかです。比喩がうまいといわれますが、文中で用いられる比喩は情景描写の表現を引き立て、たくみに私たちをストーリーの中へ引きずり込みます。そのリアルな、ときとしてリアルをも圧倒する文章は深く私たちの胸を打ちます。
どの本もすきですが、『ノルウェイの森』『風の歌を聴け』などは特に美しいと思います。『ノルウェィの森』では若く、傷ついやすい主人公たちの心情がいきいきと描かれています。登場人物の過ごす町並みや自然も目を閉じればよみがえるような、味わいがあります。
『風の歌を聴け』では、主人公よりも作者自身の影を色濃く感じます。その不安定な心や、渇望などが鋭く描かれていると思います。たとえば象を用いた表現など・・
(主人公はなんとかうまい文章を書こうとするが、それができず”絶望的な気分に襲われて”いる)「・・僕に書くことのできる領域はあまりにも限られたものだったからだ。例えば象について何かが書けたとしても、象使いについては何も書けないかもしれない。そういうことだ。・・・・(中略)・・しかし、正直に語ることはひどくむずかしい。僕が正直になろうとすればするほど、正確な言葉は闇の奥深くへと沈み込んでいく。弁解するつもりはない。少なくともここに語られていることは現在の僕におけるベストだ。付け加えることは何もない。それでも僕はこんな風にも考えている。うまくいけばずっと先に、救済された自分を発見することができるかもしれない、と。そしてその時、象は平原に還り僕はより美しい言葉で世界を語り始めるだろう。」(風の歌を聴け)
この文章をはじめて読んだとき、心が震えました。象という象徴を介して、理屈ぬきで、目の前にあつく感動的に、ある達成をとげた主人公の姿がこうこうと浮かんだからです。
ちなみに他の作家で表現が美しいと思う作家は、ヘルマン・ヘッセやシェイクスピアです。翻訳を経てもなおその美しい情景やダイナミズムはしっかりと残っており、原文で読めたらどれだけ素敵だろう、といつも思います。
〇主人公に独自の「スタイル」がある、つねに最善を尽くす
表現が難しいのですが、行動様式、もしくは芯が通っている、とでもいうべきか、村上春樹の作品に登場する人物は皆、自分自身をしっかりと持っており、その信念に基づいて行動します。そして自分が置かれた状況の中でほしいものを得るために最善を尽くします。私が村上春樹の小説をはじめて読んだのは高校2年生の頃でしたが、思春期真っただ中の当時の私にとって、これはとても衝撃的なことでした。それまでに私が読んだ本でも、主人公はそれぞれに葛藤をし、目の前の問題に取り組み、さまざまな選択をします。しかし村上春樹の小説で違うところは、都度目の前に現れる問題を、主人公がしっかりと検証をし、自分の欲しいものを得るためにどういったことをすればいいのか、何が必要なのかを考えて行動するところです。そして小説の中に、それがはっきりと明示されているところです。
自分が生きていく上で、なんとなく目の前の選択肢を選ぶのではなく、目標を決めてそれを目指して選んでいく、場合によってはそれを奪いにいく、という姿勢に魅力を感じました。それは、以降の私の生き方にも影響しているように思います。
村上春樹の小説は心理学的な療養にも用いられるそうです。一人の人間としての葛藤や、ほしいものをえるために自分らしく生き抜こうとする姿勢が傷ついた心を癒すのではないか、と思います。
〇誠実である
よく言われるのが、村上春樹の小説は主人公が軽く、特定の相手を求めずふらふらとしている。それが以降の世代に悪い影響を与えた、と言われるようです。
私の印象は全く違い、主人公たちはいつも精神的なつながりを強く求め、たったひとりのパートナーを大切にしている、と思います。村上春樹の小説では妻に逃げられたり、恋人を失ったりする男性が主人公であることが多いですが、皆パートナーともう一度関係を築くために、様々なアプローチをします。最も強く感じたのは『ねじまき鳥クロニクル』で、主人公は突如姿を消した妻をもとめて、(ある種の)冒険へと繰り出します。河合隼雄も、『ねじまき鳥クロニクル』を純愛小説と述べています。
私が女性であることも深く関係しているでしょうが、このテーマにはとても強く心をひかれます。
他にもいろいろありますが、大きく3つを挙げました。
村上春樹は、小説は”vehicle”、つまり乗り物であると述べています。私たちは小説という乗り物に乗り、さまざまな架空の体験をします。そしてそれを降りたとき、日常に違った風景が見えているはずだと。
子供の頃からたくさん本を読んできましたが、昔にすきだった本を読み返すとがっかりすることが増えてきました。『ノルウェイの森』で永沢さんが、「俺は時の洗礼を受けていないものを読んで貴重な時間を無駄にしたくないんだ、人生は短い」と述べていますが、本当にその通りだと思うことが増えてきました。若いころに魅力を感じても、経験を重ねて読み返すと薄っぺらく感じることが多いものです。しかし村上春樹の小説ではそれがなく、年齢を重ねることにわかることが増えてくるようになりました。(とはいえまだ若造ではありますが)。まるで万華鏡のようで、読むたびにつぎつぎと面白い発見があり、飽きることがありません。