「シャネル」という言葉の日本での用いられ方 1 音楽界

「シャネル」という言葉が、音楽界でどう咀嚼されていったか。

もっとも古い「シャネル」という単語の用例は、国立国会図書館のNDL-OPACで検索すると、中尾ミエの「シャネル・デート」である。これはYoutubeにも、アップされていて、歌詞と雰囲気をすぐに理解することができる。元は、ピノ・ドナッシオという歌手の「pera matura」という曲をカバーした歌だが、歌詞は翻案に近い。だとすれば、日本での「シャネル」という単語の受け止められ方は、香水の販売元であり、その香水はデートの際につけることで何か威力を発揮すると信じられていた、ということは間違いない。

このイメージは、マリリン・モンローが『LIFE』誌の記者に言った、寝るときに身につけるのはシャネルのNo.5という趣旨の発言がもたらした信憑以来のイメージであるといえないだろうか。

次に、由美かおるの「シャネルの夢」という歌が見られる。1969年のカップリングB面シングルのような位置でリリースされたものだが、歌詞の内容はまだ調べ切れていない。由美かおるなので、いわゆるセクシー系女優。モンローと似たようなイメージを「シャネル」という言葉に与えることになったのではないか。

次に、シャネル・ファイブというバックバンドがいた。1970年代前半に活躍するが、何人かのボーカルのバックを務め、そこから名前を聞かなくなる。

次に、1980年代初頭、シャネルズが登場する。このシャネルズは、あの「シャネル」と関連があるのかわからない。Wikipediaには、「シャネル」由来ではなく、「Sha na na」というグループと、The Channelsというグループの折衷として説明されている。また、その後、「Shanels」に改名するが、名前の混同を避けたためという。この辺の説明は、全体的に本人説明だとしっくりこない。

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