「他人が勝てるトレード手法をそのまま真似しても勝てない」中島翔氏インタビュー 1/3

「他人が勝てるトレード手法をそのまま真似しても勝てない」中島翔氏インタビュー 1/3

大学時代、100万円を元手に投資やトレードで資金を1,500万円まで増やし、銀行や証券会社、仮想通貨取引会社と金融業界を渡り歩きながらトレードの腕を磨いた中島翔氏(35)。30代前半で独立し、現在は個人でトレーダーをしながら会社を2社経営し、エステ店経営や不動産開発など実業家としての顔も持つ。また、無料でFXや仮想通貨トレードの手法を公開。マーケット解説の発信も行っている。そんな中島氏にトレーダーとしての経歴や投資の考え方などについて聞いた。

中島翔氏 プロフィール
学生時代にFX、先物、オプショントレーディングを経験し、FXをメインに4年間投資に没頭。その後は金融業界のマーケット部門業務を目指し、2年間で証券アナリスト資格を取得。あおぞら銀行に入行し、MBS(Morgage Backed Securites)投資業務及び外貨のマネーマネジメント業務に従事。さらに、三菱UFJモルガンスタンレー証券へ転職し、外国為替のスポット、フォワードトレーディング及び、クレジットトレーディングに従事。金融業界に精通して幅広い知識を持つ。

トレーダーの仕事を求めて金融業界を渡り歩く

――まずはこれまでのご経歴を教えてください。

福岡の大学を出て、最初は地元の福岡銀行に就職しました。

大学生の頃から、株からスタートしてFXや先物の取引をしていて、トレーダーになりたいという希望があったんです。でも、調べてみると、トレーダー志望で就職するには学歴が高くないと無理だと分かって。東大や京大の出身者がざらにいて、最低でも中央大学の法学部。僕の大学ではちょっと無理だということになりました。だったら、とりあえず地方の銀行で働いて資格を取って市場担当者になり、東京に行けたら転職しようかと。就職は転職が前提でしたね。

――証券会社とかは考えなかったのですか。

野村証券やUFJ信託銀行なども受けていたのですが、やっぱり、そこに就職しても営業部隊で終わってしまうんです。トレーダーになるルートがない。そこで、まず福岡銀行で普通の銀行員になりました。融資や個人営業、法人営業など普通の仕事をしながら勉強して、2年で証券アナリストという資格を取りました。

――資格を取って、市場の担当者を目指そうと。

ある程度、取得が難しい資格ではあるので。そこで、当時の支店長に「市場営業部に行きたい」と希望を伝えました。市場営業部というのは、銀行の運用部隊です。ところが支店長が「市場ではなくIBD(投資銀行部門)に行ったほうがいいと。

当時、銀行投資は花形ではあったのですが、自分の希望が否定されたことで、「じゃあ、未経験だけど資格を持っていれば雇ってくれるところを探そうか」と転職活動を始めました。そして、あおぞら銀行に転職することができました。福岡銀行にいたのは約3年半でしたね。

あおぞら銀行にいたのは約1年半ですが、運用部隊にいて不動産担保証券や米国債の運用をやっていました。あとは、銀行内で必要な外貨を調達する仕事もありました。

――あおぞら銀行から、また別の銀行に転職を?

あおぞら銀行で1年ぐらい運用の仕事をした頃に「運用業務の経験者として採用してくれる金融機関があるかな」と思って、試しに転職活動を始めたのですが、ちょうど知り合いから「三菱UFJモルガン・スタンレー証券が採用を行うけど、どうする?」みたいな話がありまして。

外国為替の直物取引と先物取引のトレーダーの職で、僕の学歴では採用されるかどうかわからないと思いながら受けてみると、幸いなことに採用されました。

――ようやく本格的にトレーダーの仕事に。

UFJモルガン・スタンレーではクレジットトレーディングの部署に配属されました。外国為替を組み合わせた外国社債の取引ですが、そこで1人で外国為替を見ていました。

そこには3年ほどいたのですが、2017年ごろになって電子トレーディング、アルゴリズム取引が盛んになってきて、トレーダーの仕事がコンピューターに奪われ始めたんです。ゴールドマンサックスでは取引の自動化によって、最盛期には600人いたトレーダーがわずか2人になりました。

こうなってくると、マウスをカチカチとクリックして取引しているようなトレーダーはオワコンだなと。このまま、化石になってしまうのは嫌だと転職を考え始めました。

そもそも、証券会社は自己資金の運用ができないんです。規制が厳しくて。FXはご法度だし、株も何週間も前に届け出を出さないと買えなくて。それでは、資金を増やすことはできないですよね。

だから、自分の資金を投資で増やしたいけれど、トレーダーの仕事は続けたい、と迷っていたところに訪れたのが仮想通貨ブームでした。仮想通貨の業界は規制がないというのは聞いていたし、仮想通貨の取引もトレーダーのようなものだ、ということで仮想通貨取引の会社に行ってみようかと。確か、コインチェックともう1社を受けました。

ハッキング事件後のコインチェックに就職

――それはコインチェックのハッキング事件の後ですか。コインチェックがハッキングを受けたのが2018年1月ですが、会社を受けたのはその直後ですね。ハッキングを受けたら、絶対にセキュリティが強くなると思ったんです。まあ、逆張りですね。ユーザー数も多かったし、ハッキングで一度沈んだとしても、盛り返し始めたら回復も早いだろうと思っていました。

それと創業者の和田晃一良さんが天才なので。あの人は技術力が高くて、いろいろな提案をしたら何でもできそうだと思いました。コインチェックには和田さんのもとに相当優秀なエンジニアが集まっていました。

――コインチェックには何年くらいいたのですか

1年です。入社したのはマネックスの傘下に入った直後でした。

しかし、だんだんマネックス色が強くなってきて。ボーナスも全然でないし。マネックスグループはそもそも給与水準が低いんです。給料も少ないし、トレーダーらしい仕事もできていなかったし、将来性もなさそうだということで、やめることにしました。個人トレードを始めたのは、ちょうどコインチェックにいた頃でした。

当時はビットフライヤーへの転職も考えました。当時のビットフライヤーのトレーダーは給与水準が高かったんです。でも、海外のVCから声がかかって転職しました。

法定通貨と仮想通貨を扱うオンラインバンキングを立ち上げる構想がありまして、プロジェクトマネージャーとして仕事をすることになりました。月1回にニューヨークに行って、ときにはヨーロッパにも行くという感じで、米国の永住権も取得できるという話もあって、それは魅力的でした。

ところが、役員との関係が悪くなってしまって。実は、僕の部下として1人採用してもいい、という話になったので、日本人の女子学生を採用したんです。ところが、役員が彼女の内定を取り消してしまった。そこで、役員と大喧嘩して退社しました。

――辞めた後の目処はあったのですか。

実はコインチェックにいた頃からマーケティングレポートを書く仕事をしていて、軌道に乗っていたんです。個人のトレーディングで利益も上げていましたし、節税目的で会社も設立していました。ですから、ここらでちょっとのんびりしようかと思いまして。

内定を取り消された女性は僕の会社で採用して、レポートのライティング事業をやってもらっています。

――現在はトレード以外に事業も行っているのですか。

マーケティングのレポートのほか、エステ店の経営や不動産開発をやっています。個人トレードのアドバイスもやっています。エステや不動産開発はトレードの利益を元手にやっていますが、プロの知人の方にほぼまかせっきりなので僕が何かしら決めるということはありません。

――エステ店を始めた理由はなんですか。

トレードをはじめ、ウェブ上で行う仕事が多いので、人とかかわる仕事がしたくなったんです。これは、個人トレーダーあるあるの1つで、利益を上げたら飲食店とか実業を始める人が多いんです。自分が飲む店を作るとか。寂しいんじゃないですかね。Twitterをやってるトレーダーにも多いですよ。

自分の性格に合ったトレード法を考える

――個人のトレードと、仕事でやるトレードのメリットやデメリットはどのあたりにあるのでしょうか。

個人でやると、儲けた分はすべて自分のものになるというのが、最大のメリットですが、仕事でやるときとはストレスのかかり方が違いますね。会社のお金でのトレードはやはり、気楽な部分があります

働いていたときに勝てていたのは、会社のお金で取引をしていたからだと後から分かりました。「勝てばそれでいい」という世界で、そのプロセスや考え方を問われ...

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市場平均以上のリターンを追求するマーケット参加者に、メディア・コーチングサービスを提供する Burry Market Researchの公式アカウントです。本編の記事の一部をspotlightでも掲載します。

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