古写真を語る・・・(ほんとは李香蘭を語りたかったのですが・・・)
小学生の頃、多分父親が買ったであろう「昭和の世相を歌でつづる全集」みたいなレコード集が20冊のくらいセットの全集が、家にありました。
詳しく説明すると、「③昭和3~6年」とかのタイトルが付けられたLPレコードに、十数ページのその時代の世相やら事件やらその当時のスターやらの記事と豊富な写真などで、つづってある1冊でありました。小学生にとっては多少Hな写真とかもあったりして(例えば昭和初期のエログロナンセンスや、戦後間もなくの額縁ショーなどの写真・・・)、その本を開くことは刺激的なことでした。またこともあろうに戦前のヒット曲をレコードで聴くという、いまから考えればオツな小学生ではありました、あまり曲自体は刺激的ではなく、あまり興味はなかったような思い出がありますが。
そういったこともあって、戦前の歴史は総じて得意であり、今でもその辺の年号は西暦ではなく、昭和で覚えているのはそういった理由があります。例えば226事件は昭和11年とか。正直日本史の教科書より詳しく、面白く、そして刺激的な写真とともに書いてあるんだから当たり前ですよね・・・。
さて、その全集の中でもひときわ目を引いたのが、二人の美人。
この原節子(写真は昭和12年日独合作の「新しき土」より)
この昭和15年ころの李香蘭(り こうらん、リ・シャンラン)、こと山口淑子(やまぐちよしこ)です。
多分ですが、その全集にも載っていた写真であろうと思われる写真を拾ってきました。ただ私は前者原節子はどうも日本人日本人しすぎて、かなーり泥臭いイメージを持っておりまして・・・。さらに女優業のみを全うされて引退後は一切世間に出てこなかったという、ある意味「芸能人」の生きざまを完遂された方だと思うわけです。
それに引き換え、後者李香蘭のド派手なエキゾチックな顔立ちの方が好みではありましたし、今でもそうかもしれませんし、かつこの人の壮絶な人生を思うとき、なんというか言葉にならないものを覚えるわけです。
この李香蘭、実は日本人ながら1920年に中国で生まれ、中国人として歌手・女優としてデビューし、日本の国策映画に出演、中国人の反感を買ったこともあったり、はたまた終戦になり中国に裁かれ、死刑になりかけたり、そういった壮絶な体験をされた方であります。
戦後は日本に帰ってきて、フジテレビのワイドショー「3時のあなた」に出てたり(おぼろげながら覚えているような・・・)、ジャーナリストとして中東へ行って取材したり、さらには国会議員までやったりして、5年前に91歳の天寿を全うされた、戦後もかなり壮絶な人生を「自ら」選択された方だな、と思うわけです。
その件については興味がある方は、ここやらの他、自伝等も書かれており、さらにミュージカルやドラマにもなっておりますので、興味がある方は、ぜひ、見ていただきたいな、と。それで
「事実は小説より奇なり」
というこのことわざの妙がしっくりくるのは、この方の人生なのだな、と思いを馳せていただければ、と思うわけであります。
はい、ええと、何が話したいんだっけ。ああ、そうかもう好きなこと語っちゃえ!ということで。
和尚は、基本的に古写真を見るのが好きなんです。何がいいかと申しますと、
「時空を超えた」
写真いうか、そういうもんをなんか不思議に感じるわけであります。だってこの写真って戦前、それも80年くらい前の写真であって、もうお二人とも鬼籍に入られておられますが、この写真、女性としては全盛期のときに撮られた写真で、かつカメラマンも相当気合がはいっているんだろうな・・・とか、そして特に後者はこれから人生で起こるであろう荒波をつゆ知らずして、ポーレートに収まっている・・・と言うのが、すごく残酷なような気もするのです。
今日はなんだかわけのわからない文章になってしまいましたが、古写真をネットで漁ってると時間がだんだん減ってきますので、この辺でご容赦。
また李香蘭については書きたいなーとか思っとります。
合掌。