「血縁がある」なんていうちっぽけなことは、何の役にも立たない

「血縁がある」なんていうちっぽけなことは、何の役にも立たない

戸籍などでルーツをたどっていくと、先祖への尊敬の念が増すとか、生まれてきた奇跡について考えるとか、そういう結論になりそうなものなんですが、私はそうはなりませんでした。

役所の皆さまに出していただいた戸籍の写しをひたすら見ていると、私が生まれてくるまでに、無数の人が生まれて死んでいったことがよくわかってきます。確かに「先祖のうち誰が欠けても私は存在しなかった」のは事実ではありますが、そうはいっても私の存在は、膨大な「家族」のデータの中の一部でしかない。

旧民法下のイエ制度も、現民法での戸籍も、そしてその最小単位である結婚も、全然関係なかった。私は別にどこからかやってきたわけでもなく、どこかに向かっていくわけでもない。たまたまここにいる。そんな感慨を抱くようになりました。

前回の記事で、次の目標は「母親と夫を看取る」になったと書きましたが、膨大な戸籍のデータ量を前にした私は、「母親と夫を看取る」という目標をやめました。夫はできれば看取りたいけど、母親に関しては、私が大いなる勘違いをしていた可能性もあったのです。

子供の頃は「自分が生まれてきた意味」みたいなことを考えがちで、中学生の頃など(それこそ中二病だ)は「私は結婚もしないし子供も作らない、これ以上不幸な人を増やしたくない」と考えることが多くありました。

いろいろなタイミングがうまくかみ合って、今の夫と結婚することになり、子供も「チャンスがあれば」くらいには考えて、一生関東から離れないであろうと思っていたのに一時大阪に「骨を埋める気持ち」で住んだり、義父を看取ってお墓に入れたり、相続でいろいろな体験をしたりして、自分が考える通りには人生は進まないものだと、身をもって知りました。

そして、今のところ人生で最高にうまくいかなかった事案が半年ほど前にありました。結構ショックが大きかったみたいでブログに書き残しておらず、Xのポストにしか書いていなかったんですが。

重度の肺炎で2023年9月に入院した妹のこと、それを支える母親のことについて、あれやこれや自分なりに心を砕いて対応していたつもりが、いつの間にか母親からの連絡がなくなり、便りがないのは良い知らせと思いつつも気を張って過ごしていたら、なんと妹本人から退院の1週間後に報告が来るという、私にとってはよくわからない事態が起きました。

まあ退院の前後は忙しい、ということは私も知ってはいるし、当日に連絡をよこせというつもりはさすがにない。けど、「退院が決まった」くらいは連絡があってもよかったんじゃないのか? ストレートに言えば、自分の有給休暇をものすごく使って病院や役所と行き来をし、仕事面では周囲に迷惑をかけ、ほどほどにお金も使った結果、お礼は言われたけど報われることはなかったっていう気持ちになっても、これはさすがにいいんじゃないのかーーーー!

「看取って墓に入れるまでは支えよう」と思った母親が、思った以上におおざっぱで、向上心がないことがわかってしまったのも、結構寂しい出来事でした。両親の離婚に際しては、いろいろな事象が重なった結果、母親寄りのスタンスを取っており、生活面でも今も支えているのですが、私が空回りしていただけだったということを突きつけられる思いがしました。妹についてはもともとそういう感じだったので、将来的に私が面倒を見ることはないよ、と母親に宣言してあるのですが……。

家族のことだから、血縁関係のことだからと深追いするのは、無駄であり、無理だった。

私は自分に期待しすぎていました。

自分が他人のことをどうこうすることはできないって、仕事論でよく言われているのに、血縁においても同じことだってなぜ気づかなかったんだろう。イエ制度や家族というものを敵対視していながら、それに縛られていたのは実は自分の方でした。

戸籍には本当に本当にたくさんの人の名前が書かれていて、その人の分だけそれぞれの人生があります。そんな単純なことに長く気づけていなかった。「血縁がある」なんていうちっぽけなことは、人と人同士の関係性においては何の役にも立たない。

もっと、自分が築いてきた他の人たちとの関係性を大事にしろ。そんなことを突きつけられた思いがしました。

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