“死後離婚”といわれる姻族関係終了を初めて目の当たりにした話

“死後離婚”といわれる姻族関係終了を初めて目の当たりにした話

前回記事で「ここまで」と書いておきながら、メインの話を別のブログに書いてしまいました。

先祖の戸籍の写しを取り寄せてみたら、214年前(江戸時代、文化7年)までさかのぼれた - Really Saying Something

「ここまで」の後、上記ブログ記事に書いた通り「戸籍の広域交付制度」があって、最寄りの自治体で写しを取れるのを知りながら、私は青森空港へと飛んだのでした。なぜかというと話は単純で、最寄り自治体のシステムがダウンしていて、「やっぱり行った方が話は早そうだ」と思ったからです。

結論は先に書いてしまったので、Spotlightでは、裏話とかエモい話を主に書いていきます。

突然違う話で恐縮ですが、私は小さい頃から何かと「親のために」を考えがちな人生を歩んできました。一時期の人生の目標は「親を無事に墓に入れること」でした。

この目標は両親の離婚により消除しまして、次の目標は「母親と夫を看取る」になりました。

父親は離婚後、かねてより交際されていた方と再婚しました。父親の最期はその方が看取ったようでした。

今回の戸籍さかのぼりの最初に、父親が戸籍筆頭者である戸籍謄本の写しを取得したところ、その方は父親が亡くなって半年経たないうちに姻族関係終了届と復氏届を出したことがわかりました。最近ビジネス系の媒体などでちょろちょろと見かける“死語離婚”です。正確には離婚はできないので、ちょっとワーディングに語弊はありますね。

大阪市:姻族関係終了届 (…>戸籍に関すること>その他戸籍の届出に関すること)

実際の戸籍(の写し)に書かれた姻族関係終了はこちら。

両親の離婚を子供視点でことさら悲劇化する気持ちはないのですが、不和のうちそれなりのウェイトを占めるようになっていた人が、結局は父親との法的な関係を「なかったこと」にして父親から去っていった形になったことが読み取れるわけです。

もし、もし、本当にもし両親が不和でなければ続いたであろう、かつての家族に、ちょっとだけ思いを馳せました。

歴史にifはない。両親のことは、結局夫婦間でしかわからない。でも、私と妹は、ちょっとだけでもその人に対して文句を言う資格はあったと思う。その人が私の元いた家族に及ぼした影響とその結果について。存在しなければ生まれなかった心理的な負荷について。

すべては終わったこと。流れ去っていくこと。大量の戸籍のデータを前にして私が最終的に考えたのは「自分の情報も行政文書の膨大なデータの中の一部だ」ということでしたが、さすがに戸籍制度からここまで読み取れてしまうと、不思議な生々しさを感じてしまったのでした。

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