ココ・シャネルの文献リストを読んでいく 1

ココ・シャネルの文献リストを読んでいく 1

1957年に刊行講談社からされたセリア・ベルタンの『パリ・モードの秘密 モードをつくるのはパリだ』のシャネルの項を読んでいく。訳は川本政子。

原著は、1956年に刊行されたもの。原題は「Haute Couture」。ああ、オートクチュールというタイトルだったのね。それがなるほど「パリ・モードの秘密」と題され、副題に「モードをつくるのはパリだ」と書かれているわけだから、当時の人々がパリに抱くイメージというものが分かろうというもの。

ただ、この本1957年という、60年以上の前の本なので、逆に史料的価値が高いのは、川本さんのあとがきではないか。正直、シャネルについては、現在知られていることの外が書かれているようには思えない(あくまで「シャネルについては」)。

というのも、シャネルのオートクチュール復帰が1954年。その年はパリで酷評された。そして、セリア・ベルタンが刊行した年が1956年。ということは、1955年ごろから書き始めたとしても、シャネルのことを再評価するには、ベルタンにとっても情報が少なすぎたのではなかろうか。

「シャネルとスキャパレリ」の章は、1955年ごろだろうか、「大西洋の両岸から」また狂乱の1920年代が再評価され、流行してきていることが示されている。ここで、シャネルとスキャパレリは同列に扱われている。すなわち、芸術家と密接に関係していたファッション・デザイナーとして。

芸術家と関わることによって「彼女たちはモードとファンテジイをもたらした」という。

ベルタンは、「彼女はオーヴェルニュの生まれである」と書いている。マルセル・ヘードリッヒは『ココ・シャネルの秘密』で、シャネルがロワール地方の「ソーミュール」で生まれたことを書いている。

*出生については、ポール・モランの書籍(1996年の改訂版を底本とした2007年の文庫の方)の年表には「オーヴェルニュ地方ソーミュールに生まれる」とあるが、これは正確ではない。山口昌子の『ココ・シャネルの真実』(2002)では、シャネルの父親の両親が住んでいたのが、オーヴェルニュ地方であり、ガブリエル(ココ・シャネルのこと)の姉のジュリアは、ここで生まれた。その後、係累から逃れたいと思ったシャネルの父が、ロワール地方のソーミュールに行って、そこで1883年にガブリエル・シャネルを産むに至った、ということのようだ(山口2016文庫版 pp30-31)。

また、「縫いもせず、またデッサンもしなかった彼女は、アトリエ主任が彼女の指図にしたがって製作したトワールの原型をマヌキャンに三十回も着せてみた」とも書いている。

1954年のカムバックのショーは「当然賞賛されてもよかったのに、彼女のさいしょのコレクションの評判は、よくなかったということを世間のひとは知らないわけにはいかなかった」と書いている。そして、「次のコレクションでアメリカのバイヤーにみとめられ、顔のきく販売係が店に入っているということ」だと述べている。

ただ、ベルタンは実際にシャネルのアトリエに入ってみて、この15年間何をしていたのかを問うている。なぜならシャネルのクリエーションがあまりに停滞的だったからだろう。「彼女はまだ外を見るのだろうか、あるいはじっと動かぬ彼女の店の窓は盲窓で、外の世界が見えないのか?彼女は自分がつよい影響をあたえた時代の囚われびとになっているのだろうか?」と問うている。

これは、対比されるもう一人のエルザ・スキャパレリのエピソードが語られて、意味がはっきりとわかる。ベルタンは、スキャパレリに会いに行って話を聞いている。そこで、スキャパレリは何もかも難しくなって、正直もうやる気が起きないのでやってない、という。

スキャパレリは、完全に諦めている。シャネルは、時代の変化に眼を閉ざしているようにみえる。ベルタンは、かつての巨匠たちのありようを、現在(1956年ごろ)を際立たせるために、わざと停滞的に書いているのだ。

しかし、その後のシャネル評価の変転を見ると、ベルタンの評価はやや当たっていたとは言い難い。

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歴史探究系、事象考察系、読書感想系。

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