
「Resistance Money」感想⑤
「Resistance Money -A Philosophical Case for Bitcoin-」を読んでの初心者観点での感想を投稿していきます。7章Resisting Censorship、8章Money for the Marginalizedが本記事の対象です。前回記事(感想④)は以下参照。
https://spotlight.soy/detail?article_id=4m08gtije
【目次】
- 実はビットコインは悪貨を寄せ付けてない?
- ビットコインは経済制裁の迂回手段たり得るのか?
- お金で買える自由が買えない
- CBDCで良いじゃんって人案外多そうだな
- ビットコインが金持ちの余暇になってしまっているのでは?
【1. 実はビットコインは悪貨を寄せ付けてない?】
感想④でも述べたように、ビットコインの検閲耐性のトレードオフとして、ビットコインが犯罪やマネロン、制裁回避に使用されているのでは?という批判は日本に限らず世界中であります。
一方で統計で定量的に数字を見ると、世界のGDPの2~5%が相当がロンダリングされていますが、ビットコインを含む仮想通貨の決済に占める違法行為の割合は2022年時点で0.24%であり、過去2年も同様の値だったそうです。ビットコインはfiatと比べても全体額でも相対額でも、悪貨を呼び寄せてはいないという反論には説得力を感じました。
結局従来の米国の銀行や現金を通じても、結局マネーロンダリングや悪事はできてしまっているようです。感想④で述べた通り現金は特に非公開性が強いですし、本来検閲できるはずの銀行預金を通じてすら結局マネロンされ得るのですね。
【2. ビットコインは経済制裁の迂回手段たり得るのか?】
ウクライナ戦争に伴う制裁回避の手段として、ロシアが仮想通貨の適用を進めているとの報道があります。ではビットコインもそのような経済制裁回避の手段たり得るのかという点について本書は、ビットコインには感想④でも述べた公開台帳よるプライバシーの不完全性がある故に、国際決済の制裁回避の手段たりえないというのが本書の論調でした。制裁から逃れるためには、検知されることなくビットコインを売買する必要がありますが、ビットコインの流動性はFiatと比べても少なく、数十億ドル程度の決済でもビットコインの相場を大きく動かす力があります。そのためそれだけの規模を売買を、だれがどこでどれだけ決済したのか公開台帳もある中検知されずに取引することは困難、との見解です。
本書は恐らく、政府や巨大企業の高額決済を念頭に置いて上記の主張をしているかもしれませんが、制裁回避の主体は個人や中小企業、団体など様々なケースが想定されます。私個人の見解にはなりますが、世界的にビットコインの取引数が増加した今日においてはまさに本書でも述べられた「obscurity」がある訳ですから、それら膨大な数のトランザクションの中から、制裁逃れの取引のみを特定・抽出するというのは現実的には困難なのではないでしょうか? やっぱり利点の表裏一体として、ビットコインは制裁逃れの手段としても使い得るものなんじゃないかなあと個人的には思いました。
【3. お金で買える自由が買えない】
日本で生まれた私たちは銀行口座を持てるのが当たり前で、もし銀行口座が無かったらなんてことを考えたことすらありませんでした。実際想像してみると、たしかに現金は全てタンスにセルフカストディしなきゃだし、何より銀行口座が無くてクレカも作れないと通販もできないし、資産運用もほぼできないし、現金大量に持ち歩かなきゃだし、、、自由や権利の行使にはお金が要求されることが大きいですが、金融排除されている状況はすなわち自由を行使する力を欠いているに等しいという主張はごもっともと感じました。
【4. CBDCで良いじゃんって人案外多そうだな】
Spotlightの記事にアクセスする人であればCBDCの問題点は言わずもがなかと思います。ですが金融包摂の観点でもしCBDCがあれば、現金にあったような物理的距離の課題も解決しますし、銀行の最低預入額といったものも最少化できます。金融排除されている人からすれば、別に検閲されてもいいから金融包摂してって考えの人、相当多いんじゃないかなあと思いますがどうでしょう?
CBDCが普及した世界でビットコインを選ぶ人も一定数はいるでしょうが、一般感覚からすると残されたパイはあまり大きくないんじゃないかなあと個人的には思いました。ビットコインの本を読んで逆にCBDCの強みが理解できました。
【5. ビットコインが金持ちの余暇になってしまっているのでは?】
銀行口座を持てない理由の最大の理由は、預ける資産が無いことが理由であり、ビットコインはその層に対するソリューションは提供できないというビットコインの金融包摂の限界にも触れていました。本書では、銀行口座を保有していない人口比率とビットコインの普及には相関性が見られるという分析をしていましたが、正直金融包摂の観点で貧困層にビットコインが広まるとは、ビットコインの現状を見る限り私は思えないなと思いました。
結局現実的にビットコインとFiatを日常で使用しようとなると、(少なくとも日本では)オーソドックスには以下フローで進みます。
- Fiatを銀行からCEXの取引所に送金する(手数料発生)
- 取引所でFiatをビットコインに交換する(手数料発生)
- そのビットコインで取引する(トランザクション手数料発生)
- ビットコインをFiatに交換する(手数料発生)
- Fiatを取引所から銀行に出金する(手数料発生)
・・・ビットコインの方が結果的な手数料が多くなる上に、本来はビットコインが避けたかったはずの中央集権的機関を実際には何度も経由するのでは、むしろ理想から遠ざかっているのではないでしょうか?少額取引だとなおのこと手数料が割高になりますし。
それに感想③で述べた通り、ビットコインはボラティリティの高いアセットです。金融排除の対象となっている貧困層は恐らくリスクを冒した資産運用はまずできないだろうことも含め、上記踏まえると正直ビットコインは金持ちの余暇では?と感じてしまいます。