なめらかな社会と私的所有/家族制度の再設計|貨幣のデザインによる人類の生物的な進化と「交換」の歴史
鈴木健×東浩紀(+清水亮+安達真)「なめらかな一般意志は可能か──『なめらかな社会とその敵』vs『一般意志2.0』」のイベントが開催されていたので、参加してきました。👍
https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20230404
・1人の中の多元性は時間構造で変化し、それを社会制度がいかに許容できるか
・公的な熟議ではなく私的な日常的なコミュニケーションこそが一般意志を脱構築
・伝播投資貨幣システム「PICSY」:人格的期待を貨幣に反映させた制度設計の賛否
・私的所有/家族制度をなぜ人類は手離せないのか?
などについて議論が交わされ、イベント後は私的所有/家族制度や人類の生物的な進化と「交換」の歴史などについて学習を行いました。
RETHINKING ART OWNERSHIP: PARTIAL COMMON OWNERSHIP AS A STEP TOWARDS A MORE SYMBIOTIC ECOSYSTEM
従来の所有権や私有財産に関しては、例えばアート市場においては、部分的共有所有権やNFTによる流動性向上とともに、
・アートのさまざまな主体間の価値創造のエコシステム的サポートのための制度
・市場インセンティブとエコシステム支援のより一層の調整を図るための部分的共有所有権
などとして所有権を再設計し、公共財としてのアートを社会で機能させることなどが議論されています。
家族制度に関しては、海外市場における婚外子の割合増加や日本においても金銭的援助の簡易化などによる婚姻制度の構造的な変化などが局所的に確認されています。
贈与(経済)的な文化システムとしての側面なども考察の対象にしていきたい一方で、各国や地域における共同体や文化システムは大きく異なり、各共同体や文化システムの成り立ちや成熟度と貨幣の関係性を考慮する必要があるとも考えられます。
また、伝播投資貨幣システム「PICSY」等の人格的期待を貨幣制度に反映させた場合や国家や組織と分離されたデジタル貨幣の登場を踏まえ、
・国家の仮想化、共同幻想/超越的信仰(国家/神)ではない、ライフログによる契約の自動執行、主体性の多様化(構成的社会契約)
・デジタルな貨幣設計に基づいた共同体意識の醸成や文化システム(組織/民族ごとの連帯意識)ごとの共同幻想(国家)構築
など、より包括的な議論が検討されます。
私的所有/家族制度の再設計と生物学的な「交換」の歴史
・結局のところ、「私的所有/家族制度をなぜ人類は手離せないのか?」といった問いに対しては、代替通貨などによる制度設計など行わずとも社会情勢の変化に伴い、共同体や文化システムごとにある一定の範囲で、私的所有/家族制度の再設計が行われている。
・米国におけるゴールド紙幣、州ごとのCBDCの発行禁止をはじめとして、石油取引への人民元の採用、BRICSによる新しい基軸通貨構想、特別引出権(SDR)通貨など、マクロには国際情勢や地政学的な要因をもとに代替通貨が必要とされるが、私的所有/家族制度との直接的な関連性はよりミクロな調査が必要であると言える。
・表象的思考能力によって人類が潜在的価値を図れるようになったことで、原始貨幣が誕生し、食糧などの必需品の「余剰」を他の必需品と「交換」することが前提となり、必需品の計画的な余剰生産といったように人類の進化を促進した。「交換」を行えることで、生存確率が向上し、生物学的な「進化」を遂げやすくなるからである。広義に貨幣のあり方そのものが、人類の進化を促していると仮定した場合、デジタルに発行/流通する貨幣は、人類をその形式にあわせて進化させる可能性があると推測される。
・さらに、人類が食料品の余剰(原始貨幣)を「交換」しはじめるもっと昔からミトコンドリアによるエネルギー交換(シンビオジェネシス)は行われており、ある意味で人類が生物であり続ける限り「交換」を否定することはできない。私的所有/家族制度をどこまでグラデーションとして固執しないようにできるか、その社会制度/技術が求められており、代替通貨についても別途考察が必要であると考える。
・広義に「交換」そのものをやめてしまうことは人間的社会から阻害されることを意味しているため、飛躍しすぎているが「交換」のない世界で生命的活動を営むには?といったやや難解な議論が必要になるのかもしれない。
・しかし、それだと建設的な議論にならないので、部分的共有所有権や公共財による地域、コミュニティ領域における私的所有の再設計と(現在のリサイズ化されていない国家/政府の範囲での)公的な熟議ではなく(地域、コミュニティを範囲とした)私的な日常的なコミュニケーションこそが一般意志を脱構築するなどの言論にまつわる実践的な検証が必要となる。
・私的所有/家族制度の再設計に呼応した代替貨幣が必要になるかもしれないといった見方と代替貨幣によって私的所有/家族制度が再設計される(貨幣のあり方が人類を進化させる)といった考えもあり、代替貨幣がどのように共同体や文化システムと連帯していくのかが気になるところです。
デジタルな代替通貨の必要性
・貢献度(投資価値の将来的向上)に応じて貨幣価値が変化する伝播投資貨幣システム「PICSY」はストック(貯蓄)よりもフロー(取引)そのものに価値があるとする本来的な貨幣のあり方等に着目して構想されている。私的所有を進化させ、労働自体を貨幣として使用できる「PICSY」は、人格的期待を貨幣のインセンティブデザインに組み込むことで、格差が固定化しない社会や貯蓄を価値としないお金のあり方など、より循環的な構造をもたらすと考えられている。
※一方、人格的期待を貨幣のインセンティブデザインに組み込むことのデメリットも存在しており、博打的な資本主義の危険性などは指摘されている。
・伝播投資貨幣システムPICSYに関連する取り組みの延長線上には、ブロックチェーンを採用したビジネス、コミュニティにおける貢献の可視化といった事例が部分的に存在している。例えば、取引の来歴をブロックチェーン上で確認できることで、txを貢献度として測定し、パブリックにインセンティブを付与することなど、デジタルな社会技術の採用によって、価値が社会を超えて伝播する仕組みの構築が暫定的であるが、進んでいると仮定する。
※一方、すべてが記録されることは超自然的とも言え、その危険性を危惧する声も存在する。
・貨幣は「信用を伝える手段」として、その信用力の担保性と譲渡性を強化させることで国家/社会に定着し、近年においては、グローバリゼーションなど、小規模な共同体意識、コミュニティ/文化における贈与的な貨幣システムの淘汰/統合と連動した米国主導のナショナリズムの醸成等によって、より資本主義的な共同幻想の構築を支えている。
・デジタルな代替貨幣は、この資本主義的な共同幻想の部分的代替手段として社会的に広く普及し、小規模な共同体意識、コミュニティ/文化における贈与的な貨幣システムへの回帰を目指す取り組みとそれにまつわる社会実験の検証が、「価値が社会を超えて伝播する仕組み」を再構築することが期待される。(個人的感想含む)
・ゆるやかで小規模な範囲で既存社会との共存的な取り組みが重要であるのと同時に、エルサルバドルにおけるBitcoinの法定通貨化などの事例もあり、国家や政府の信用力を担保としないデジタルな貨幣制度のあり方が、どのように贈与的な社会への回帰、より広義に資本主義的/法定通貨建価値でない代替性を内包した価値を創出できるのかなど注目される。
・「なめらかな社会とその敵」は、伝統的な哲学史における「離散的な社会を連続的な自然に還元すること」を踏襲し、「なぜ人類は個体の生物として私的所有/家族制度を手放し、社会を自然に還元できないのか?」といった、より根源的な問いを想起させている。
・交換や贈与といった営みは生物である以上、否定することはできず、私的所有/家族制度を手放すことはできない。しかし、私的所有/家族制度のあり方自体は社会の変容とともに変化しており、それに伴い、貨幣自体もその形態や価値が変化している。そして、「富の格差をなめらかにする」といった課題は貨幣のデザイン性※など、さまざまなアプローチと検証が期待される。
※PICSYであれば人格的期待を貨幣のインセンティブデザインに組み込むこと、Bitcoinであれば2100万枚の発行上限、高検閲耐性、国家や組織とは分離など。
平等化装置による格差是正による私的所有/家族制度の再設計の可能性
・現代における社会システムのより根源的な課題を巡っては、国家として建国/制度化された共同体や文化システムに帰属意識を持ち、言語/教育制度による統治を受け入れているといった状態への懐疑、つまりは「なぜあなたは日本を国家と認識し、日本円を貨幣として使用するのか?」などといった、より広義な国民主権としての「ナショナリズム」について考える必要があると仮定する。
・暴力的衝撃などの平等化装置によって人々の生活や社会は変化を余儀なくされ、その都度、国家/貨幣システムもリセットさせることで、日本でも戦後の財閥解体など、富の循環を促してきた歴史がある。
・ Ex:1920年代の独立前のインド・デリーを舞台にした映画「RRR」は、支配者層(英国)に対する非支配者層(インドの武装組織/山岳民族)の超越的な能力による社会の平等化をエンタメに昇華させることで「ナショナリズム/国威発揚/共同体」といった、やや難解な事象をわかりやすく人々に伝播されるように設計/構成されている(ように個人的には感じた)。「祝祭(Let’s Naacho!)」による共同体意識の醸成や1920年代における文化システム(組織/民族ごとの連帯意識)などを通じて、現代におけるある一定の「ナショナリズム/国威発揚」の表現方法について多くの示唆をもたらしている。
※監督はナショナリズムとの紐付けに関しては否定をされているので、個人的解釈にとどめていきたい。
・実際問題として、交換や贈与、私的所有/家族制度のあり方、貨幣のデザイン性などの議論をこねくりまわしてもほとんどの場合、何も変わらない。重要なのは社会のOSのアップデートであり、それにともなう交換や贈与、私的所有/家族制度のあり方、貨幣のデザイン性に関する議論である。しかし、暴力的衝撃などの平等化装置が起動し、抜本的な社会OSのアップデートが行われる時代が到来することは望ましいことではない。
・さらに、社会OSのアップデートが行われたとしても人間の生物としての本質は変わらない。が、人間が生物である限り、どのような脳内物質を分泌させるかなどを通じて、洗脳教育を施すこと、共同幻想を信仰させることが可能である。それがこれまでは超越的存在(国家・神)であったが、アングロサクソンから中華に世界の時代の中心が移り変わっているなどの要因も含めて、従来の暴力的衝撃などの平等化装置ではないなにかやどのような超越的存在が共同幻想/信仰の対象となるかなど多角的な議論が期待される。
・よりミクロには交換や贈与、私的所有/家族制度、貨幣をどのようにデザインするのかが重要であり、貨幣の設計による人類の生物的な進化について個人的には優先して考察していきたい。全自然的に取引データ履歴が半永久的にデジタルに残り続ける貨幣設計のもとに、生物である人類がどのような超越的存在を求めているのか?そして、それに基づいた交換や贈与、私的所有/家族制度の設計は、ナショナリズム、国家、宗教などを含めてより包括的な議論が必要であり、富(価値)の循環がなめらかなですべての人間が人間らしく生きられる社会の実現など、かなり広義にフィールドワークを行っていきたい。
参考文献
鈴木健×東浩紀(+清水亮+安達真)「なめらかな一般意志は可能か──『なめらかな社会とその敵』vs『一般意志2.0』」
https://shirasu.io/t/genron/c/genron/p/20230404
なめらかな社会とその敵 PICSY・分人民主主義・構成的社会契約論
https://www.keisoshobo.co.jp/book/b105891.html
21世紀の貨幣論
https://honto.jp/netstore/pd-book_26356568.html
貨幣の「新」世界史
https://honto.jp/netstore/pd-book_29233131.html
映画「RRR」
人類は「破壊」でしか平等化できないのか「戦争・革命・崩壊・疫病」の凄まじい衝撃