「いい親子」を演じるのをやめたら、きっと育児は楽になる
あまりに痛ましく、正直、言葉を失いました。東京都大田区で、3歳の女児が何日もアパートに放置され、死亡した事件。この子に必要な養育を怠ったということで、7月7日に母親が保護責任者遺棄致死の疑いで逮捕されました。
この事件には、かなりショックを受けました。
やっと気持ちが落ち着いてきたので、少しコメントさせていただきたいと思います。
事件の報道で、このお母さんがSNSに上げていたという写真が出ていました。
これが、一見、「幸せな親子そのもの」に見えるんですよね。
私が考えさせられたのは、こういう親でも、「いい親子に見える」ように振舞っていた、ということです。
我が身を振り返ってみると、たしかに私も自分の子供と接する時、人目を意識しています。
程度の差はあれ、つまり私も父親を演じているんですよね。
乱暴な言い方をすれば、子育てって、けっこう「プレー」的な面があるんじゃないかと思うのです。
もちろん、それは自分の意思でそうしているんですけど、中には、「社会の圧力」でそうしている人もいるでしょう。
でもね、子供を嫌いな人って、けっこういると思うんですよ。
そう言わないだけです。
言えませんから。
特に女性は、「子供が好き」であることを求められている空気があって、なかなか「私は子供が好きじゃない」とは言えない。
世の中の多くの女性が、子供が好きなふりをしています。
誰もが隠しているんです。
なぜ私がそう考えるか。
その根拠は歴史にあります。
近代以前、子供の死亡率は非常に高かった。ある統計によると、乳児のうちに4人に1人が死亡し、25歳までにさらに4分の1が死ぬ。
つまり、出生した子供のうち、半分は大人になれないのです。
それが前近代社会の実態です。
日本では江戸時代まではそうだったのです。
そんな「子供の多死社会」においては、残酷なことですが、子供の死など誰もが目にすることです。そうすると、精神的なショックを受ける人ももちろん多くいる中で、まったく意に介さない人も、かなりの数がいたはずなのです。
そうでなければ、社会全体が鬱病になってしまいます。
子供が死んでも、仕事や家事に打ち込める。そういう人たちがいたからこそ、人類社会は停滞せずに前進してきたのです。
つまり、子供に頓着しない人が一定数いるように、人間社会はプログラムされているのです。
子供が好きな人と、嫌いな人。その両方がいて、なんの不思議もないのです。
しかし近代になって(日本では明治時代以降)、「母性」が過剰に重視されるようになり、子育てにしっかり手をかける人(もっぱら女性)が賛美されるようになった。そうなると、子供が好きではない女性まで「子供好き」を演じるようになり、そうアピールするようになった。
それが、「子供が嫌いだと言えない社会」の正体だと思います。
そして、この子供の好き嫌いというのは、男女は関係ないと思います。
私は「母性本能」は幻想だと思っている方です。
男女関係なく、子供が好きな人は好きだし、嫌いな人は嫌いです。
そして、本当は子供が好きではない人にまで、子供好きなフリをさせる空気こそが、児童虐待を早期発見できない原因なのです。
過激な主張かもしれませんが、敢えて言います。
子供が嫌いな人が、そういう自分をさらせる世の中にしましょう。
そして、子育ては誰かに託しましょう。
なぜなら、子供が嫌いな人は、世の中から決していなくなりませんから。
そして、子供が好きな人が、それを引き取る。
それこそが、児童虐待を防ぐ手立てです。