今日言いたいことがあったので書きます・・・。
みなさんこんばんは。和尚です。
さっきまで仕事してて、もう疲れたー!!と思って風呂入ろうかと思ってたんですが、どおおしても、書いておかないと忘れそうというか、結局書かなくなりそうなので、書いておきます。乱文にならないよう気を付けながら・・・。
もう、アイキャッチ画像で勘のいい方はお分かりになるのでしょうが、珍しく時事ネタです。はい。明後日「桜桃忌」(お、一発変換出た!)といって、太宰治の忌日(たまたま誕生日でもある)です。
いきなり脱線なんですが、文学者の忌日は面白くて、ココ見てもらうと、もうクイズがすぐ出来ちゃうんですが、太宰は作品名から「桜桃忌」、芥川も「河童忌」、三島も生き様もありますが「憂国忌」。面白いのが、中島らもの「せんべろ忌」。まあノンベエだったから。さらに誰でもわかるのが「ゲゲゲ忌」・・・。とかとか。
あ、それは本題ではなく、太宰の死にざまがすごいのなんの。彼が愛人と心中しているのはご存知の方も多いと思うんですが、
まず、正妻の子、すなわち次女である津島佑子(後で出てきますから覚えておいてね!)が1947(S22)年3月に生まれ、また歌人である太田静子が母の太田治子が同年11月に生まれこれを認知。どちらも小説家です。
で、上述の通り、正妻や太田静子とも違う女性、山崎富栄(これはいろんなところにはっきり「愛人」と書いてあるのはなんでだろう・・・)と心中します。
過去にも、知り合ったばかりのカフェの女中と心中して相手だけ死んでしまったり、薬物中毒になって精神病棟に入れられたり、左翼に走ったり、川端康成に芥川賞クレ!と言って落選したらケンカ売ったり、よくぞここまで・・・というか、なんというかなんです・・・。日本の作家の中で一番アップダウンが激しいというか、子供じみてるというか、なんですわ。三島も死に際はすごかったですが、こっちに比べれば・・・という感じがするのは私だけでしょうか。
ただ、逆に戦時中に精力的に活動した作家でもあるんです。これも稀有な存在で、教科書に載ってた走れメロス、富岳百景、みみずく通信などは、すべて日中戦争がはじまってから終戦までに書かれてたりする、またその内容も、それまでの人生とは全く違った文学的にも昇華された珍しい作家であると思います。
さて。そろそろ本題に入りましょうか。
昨日でしたか、第163回芥川賞と直木賞の候補作が発表されました。詳しくはこちらを見てもらえればわかりますが。
この中の芥川賞の候補の石原燃さん、なんと、太宰治の孫、上述津島佑子の娘、ということらしいです。
1935(S10)年の第1回芥川賞候補にノミネートされた太宰が、あこがれの芥川の名を冠した賞を欲しいと懇願して、惜しくも次点となり、そこから薬物におぼれていった経緯があります・・・。
85年経過後の今、そうした巡り合わせで孫がノミネートとは、なんだか歴史が回っている、と感じるのは私だけでしょうか。
【追記】
ちなみに、4回目の直木賞ノミネートの伊吹有喜さん、私の高校の1級上(多分)の先輩です。当時生徒は1000人くらいおりましたので、どこかですれ違ってても分かりませんが・・・。2年くらい前里帰り講演会聞きに行きました。