大学の思い出
旧正月が近づいてまいりましておめでとうございます。こちらは大晦日に花火大会があり、教会の窓が割れたり民家が燃えて人や動物が多数大けがをした以外はほとんどクリスマスの延長のようなもので、サンタやツリーも最近まで飾られており、正月らしさは感じられなかった。
パキスタンでも年の移り変わる際には、実弾入りの祝砲がそこらかしこで上がり、流れ弾に当たって死傷者がでること以外は普通の日である。ゆえに、麺類を食べたり餅を食べたり、神社でおみくじを引いたりスーパーで無用な福袋を買ったりと、イベント満載な日本の正月は非常に羨ましいばかりである。
パキスタンは12月31日や1月1日も平日であり、正月は関係なく今の時期は学期末試験の勉強をしていた記憶がある。そして現在はドイツで学期末の試験とレポートに追われている。
天才の誉れ高く、ラテン語、エスペラント語、大阪語などが母語のごとく堪能であるわしが唯一F(不可、つまり再履修)を取ったのがアラビア語である。大学はワッハーブ派のイスラム系大学であったのでアラビア語が必修であり、卒業試験はクルアーンの暗唱であった。