【をしこまれの文学】体育、憎し
私は学生時代、『体育』がとても苦手だった。
根っからの運動音痴。
自分の身体運動を客観的に認知して学習することがとても苦手だった。
中高時代はやりたいこともわからず万年帰宅部。
しかし実は、『スポーツ』が嫌いなわけでもない。
体を動かすことが苦手ながら、球場の注目の中で一球ごとに勝負する野球の集中力、バスケットボールのスピード感、様々なスポーツの尊さはとても伝わる。
しかし、『授業』としての体育がとても嫌いだ。
卓球は卓毎のランキング制度だった。勝者は一つ上ランクの台へ。敗者は一つ下のランクの台へ。私は最下位の台へ擦られ続ける。しかし、大概いつも帰ってくる同じメンバーで打つのでこれはこれで楽しさもあった。高橋、山崎、またお前らか。
サッカーはとにかくディフェンス。ドリブルは足が回らず機能しないので、ひたすらディフェンスする。貼りつく。ディフェンスしかできない。必死。
野球はバットを振ってボテボテの球を転がすも、守備は祈りの時間である。ライトでひたすら自分の方角に打球が飛んでこないことを祈り続ける。
室内体操、これは楽で実にいい。適当に隅っこのマットでゴロゴロ転がっていればいい。実技試験に選択する技は最低難易度の開脚後転とグダグダの側転だ。
一方、バドミントン、これはひどく苦痛である。
『ダブルス』
こりゃ地獄だ。
なんせ教師というものは余計な配慮をする。
教師「じゃあチームのバランスが公平になるように勝率の高い子と低い子でダブルスを組みましょう」
なんて『イカれた制度』だ。
何故俺の運動神経の悪さを上位のキラキラした面々に押し付けて彼の楽しみを奪わなければいけないんだ。
しかもダブルスを組んでくれた、もう名前も忘れてしまった、一見冷たそうな流行りのアシメ茶髪の彼は私の度重なる空振りに文句ひとつ言わずにプレーしてくれていた。「ドンマイドンマイ」。いい人すぎる。
その罪悪感に耐えられず度々サボっていた。惨め。なんと惨めな。
バレーボール、こいつは最低だ。
なんせ、サーブやトスで必ず順番が回ってくる。
注目が集まる。
そしてミスをする。
回転車に磔にされて熱湯地獄に漬けられるのを周回待ちさせられている気分だ。
チームが多い分、被害を被る関係者が多い。もう何も記憶がない。
そんな自分でも、スポーツを楽しいと思った瞬間を今でも覚えている。
高校最後の球技大会は、クラスの好きなメンバーとチームを組める機会だった。
日陰者を集めた、仄暗いチームだ。(といいつつ、正直文化祭とか主導権あって好き勝手遊んでたのでそんなに日陰感もなかったのだが。)
種目はバスケとサッカーとあと一つは失念したが、この時のバスケがなんだか楽しかった。
みんな運動神経が鈍いのでグダグダで負けつつも、でも仲間同士で気張らずそれなりに一生懸命に取り組んだので充実感があった。
日陰者を生贄に、仮初の平等を与えたつもりで悦に浸っている教育現場に異を唱えたい。
女子に囲まれるバスケコートでパスが一度も回ってこない、ただコートを往復するだけの謎の生命体のお気持ちを考えよ。
(自分の積極性の問題ですが…)
実はこの運動神経の悪さ、自分の身体能力の認知の悪さもあるが、高校生までド近眼であったにもかかわらず眼鏡をかけていなかったという謎の習性に起因した自己責任でもある。シャトルやボールが急に出てくる。眼鏡かけろよ…
ウジウジ文句言ってないで練習すればよかったのでは、と思うのだけれどそれが出来る程には賢くなかった。弱い。
今の体育の現場はどうなっているのだろうか。
今の子は賢いし、出来ないことをYoutubeできちんと学習するのだろうか。Youtubeを開くと様々なスポーツのベストプレイが簡単に見られて、「"すぽーつ"というものは面白そうだな」と思わせてくれる。
そういえばこの運動神経の悪さは社会人になっても厄介だった。前の職場では学生さんとの交流があり、年に一度程度、大学生間の交流イベントとして大学対抗ボウリング大会を開催していた。それに参加した際に、何故か職員の私が最下位になり、ネタとして最下位賞を用意してくれていた学生を困惑させてしまったことがある。あのときの何とも言えない空気。地獄。
記憶を掘り起こすと色々こぼれ落ちてくる。
当時流行った学校掲示板でクラスの女の子が中傷されていたので匿名で庇ったら何故か翌日別の子から自分を犯人に疑う談笑が聞こえたのは理不尽 of the 人生.(本人は否定してくれていたけれど)
なんだかんだいえ、今でも遊べる友人がいる程度には中学高校の学生生活を楽しんだけれども、鬱屈とした感情があるのは間違いない笑