故郷といつか住むところ
今日もつらつらと。
広辞苑で『故郷』を引くと、
『故郷』 ふるさと、①古くなって荒れ果てた土地②自分が生まれた土地③かつて住んだことのある土地、またなじみ深い土地。とあります。
今回は故郷について(とくに②の意味について)私の感じることについて書こうと思います。
私はある田舎で生まれそだちました。20年弱生活しましたがあまりその土地に愛着とか、親密さを感じることなく過ごしました。両親は全く違う土地の出身で、話す言葉や考え方も異なり少し住みにくいと感じていたようです。周囲の友人は何世代も前からその土地に住んでおり、近くにも親戚がたくさん住んでいる、といった人が多かったです。
その後いろいろなところをふらふらとし、今は関西にながれつきましたが、周囲から故郷には帰らないのか、と聞かれることがあります。
そう聞かれると、いつも不思議な気持ちになります。わたしの生まれそだったあの土地は自分の故郷なのだろうか、また故郷とはほかの土地にいってもまた帰りたいと思うような場所なのだろうか、ということです。
私は生まれ育った土地が嫌いなのではありません。おばあちゃんが切り盛りしている古めかしい駄菓子屋、ところどころに草が生い茂った空き地、木造の古家が並ぶ通り、車の走っていない道路や畑の向こうににじむ夕陽など今でもなつかしく思い出す景色があります。今はどうなっているんだろう、ともう一度訪れたいという気持ちもあります。しかし、また住みたいとは思えないのです。自分の通過点に過ぎないような気がするのです。
私の思う『故郷』とは、自分が愛着を持ち、一度遠く離れてしまってもまた帰ってきたい、と思うような場所です。(周囲の友人が自分の出身地についてそのように語っていたからです)、広辞苑からはやや離れているのかもしれませんが。
私が愛着をもちにくいだけでしょうか?昔から周りよりもすこしはなれた視点に立ってしまうことが多いので、そのためでしょうか。
関西に住むのも長くなってきましたが、いまだに関西弁はしゃべれないし、温度がちがうようにも感じます。(関西は大好きですが)
自分はきっと根なし草でいるのがすきで、どこにも属さず、てんてんと移り住んでいくのが性にあっているように思います。ときどき、最後にはどこに腰をおちつけたいだろうか、と考えます。便利な都市部がいのでしょうか、落ち着いた郊外がいいのでしょうか、答えはまだわかりません。今あこがれているのは、田舎に住むことです。山がちかくて、窓を開ければ風にそよぐ木々がすぐにみえるような家。人の声はなく、鳥のさえずりが聞こえてときどきからからと、自転車の走る音が聞こえる、そんなところに住みたいです。
ながながと思いのままに書いてしまいました。自分がつぎに引っ越したら、どんなところにすんでいるか、想像するとわくわくします。