不換貨幣制度と古典派経済学の失敗|ウォルター・バジョットとジョン・ロック

不換貨幣制度と古典派経済学の失敗|ウォルター・バジョットとジョン・ロック

バジョットの「マネー/銀行業/金融」を重要視したマクロ経済学は、リーマンショック以前のノーザン・ロック救済時における国有化や2020年以降の金融緩和/インフレーションなど、その理想とはかけ離れた発展をある意味で遂げているとも考えられ、1990年代から古典派経済学/新ケインズ派及びマクロ経済を無視した金融理論の残した負債の救済処置として機能せざるをえない国家/中央銀行に対する懐疑や批判は年々大きなものになっている印象を受けます。

古典派経済学/新ケインズ派の負債を国家/中央銀行が補填し、不換貨幣制度における普遍的な経済的価値の標準の再調整が必要とされる構図が、ジョン・ロックの時代から今になって、連綿と続いてきているのかと個人的には想定しているのですが、ヤップ島/フェイが海底に沈んでいてもその経済的価値を人々が交換/譲渡していたように貨幣は物々交換ではなく、信用創造を本質とし、その合理的な仕組みが金融に発展してきたと仮定した場合において、ジョン・ロックによる「経済的価値は自然状態下にもともと存在していた」、つまり「貨幣 = 商品(金/銀)」にすぎないとする貨幣理論は、非合理的なものであったとも考えられます。

一方、経済的合理性の追求は貨幣の大量発行/希釈化など、近年においては国家の信用を低下させ、経済的格差を助長することにもつながっており、不換貨幣制度下における普遍的な経済的価値の標準の再調整にひとまず注目する必要があるフェーズなのかもしれません。

古典派経済学/新ケインズ派の経済分析が1990年代からすべりまくってるのが、近年における国家/中央銀行への懐疑/批判を生み出しているのかなと想定すると、「The Times 03/Jan/2009 Chancellor on brink of second bailout for banks」の意味合いもちょっと変わってくるのかなと感じた次第です。

■不換貨幣制度の歴史

・1710年代のフランスにおいては貴金属を貨幣としていたため慢性的な「貨幣不足」に陥っていました。貨幣制度の改革と戦争による公的債務問題の解決に向けて貴金属本位制のもと銀行券「バンク・ジェネラル」を発行し、経済の活性化に成功。

・1718年には世界で初めての不換貨幣制度を導入し、ジョン・ローによる「ミシシッピ会社」株式とフランス政府発行の国債の交換、M&Aによるバブルによって、政府債務残高の解消を実現。

・1720年にはミシシッピ会社と王室銀行の統合が実現したものの不換貨幣制度によって貨幣の流通量が増加したことでインフレが進行。ミシシッピ会社の株価下落と銀行券の信用が下落したことで、バブルは崩壊し、格差社会とフランス革命を生み出しました。

・普遍的な経済的価値の適用範囲の限定化ではなく、不確実性を内包した形で経済の生産性/社会の移動性を高めることを目的とした「人々の所得に対する請求権の表象 = 貨幣」。このことは現在では一般的な貨幣思想として知られていますが、1710年代のフランスにおいてジョン・ローがはじめて成立させた貨幣制度とされています。

・ジョン・ローとフランスによる貨幣実験は、約260年後のプラザ合意による不換貨幣制度の再登場によって、世界的な採用がなされるようになります。

・普遍的な経済的価値の標準は、古代オリエントから現在まで、時代の移り変わりと共に「神・絶対君主・民主政治」の決定を根拠に再調整がなされてきました。

・普遍的な経済的価値の標準の再調整は、紀元前の神による債務帳消しや紀元前594年アテネにおけるソロンによる債務帳消しを伴った社会改革及び民主国家樹立からその起源を確認することができます。

・日本においては、普遍的な経済的価値の標準の再調整の事例として第二次世界大戦後の新円発行(貨幣の一新)が挙げられ、不換貨幣制度は中央銀行による信用/信認のコントロールによって、成立してきました。

・しかし、近年においては1720年のジョン・ロー/ミシシッピ会社の事例と同様にその信用/信認のコントロールが困難なフェーズにあると考えられます。

■古典派経済学の貨幣理論

・ジョン・ロックやアダム・スミスなど古典派経済学の教えを参考とするジャン=バティスト・セイなどの「貨幣 = 商品(金/銀)」の貨幣理論の元では、景気後退期における中央銀行による貨幣供給量の増加(信認の回復)を前提とせず、マクロ政策自体を市場メカニズムに委ねることを基本原理としています。

・ロックの貨幣自然思想の影響下のもと、古典派経済学における経済的価値の概念は、貨幣を「物々交換の非効率性を軽減するための交換手段にすぎないもの」と位置付け、その重要性を無視できることを特徴としています。

・このことによって「経済的価値は自然状態下にもともと存在していた = 経済活動自体から貨幣を無視できる」といった側面から考察/分析が可能となる一方で、その非現実的な論理性から1800年代のイギリスにおける3度の恐慌や不況を防ぐことができないといった欠点も古典派経済学によるマネーシステムには存在していました。

・1873年、ウォルター・バジョットは著書「ロンバード街」において、古典派経済学が普遍的な経済的価値の標準を「貨幣 = 商品(金/銀)」と定義し、その貨幣理論/マネーシステムに経済を適合させようとしていることに懐疑的な立場を示しました。

・1800年代後半においては、「交換手段」ではなく「譲渡可能な信用」として、銀行券や銀行預金が貨幣として機能しており、バジョットは、商品(金/銀)の需要供給ではなく、人/金融機関などの信用/信認こそがマネーシステムを説明するのに適切であると、古典派経済学の貨幣理論を否定しました。

・バジョットは、イギリスにおける「君主-中央銀行-銀行」による金融システムを例に古典派経済学の抽象的な経済分析から「信用/信認の健全性」を基礎とした新しいマネーシステム/経済学への移行を提示。そのことは、現在における中央銀行制度や恐慌/不況に対応した政策の礎となっています。

・バジョットが「ロンバード街」を発表する以前のイギリス社会においては、恐慌時のイングランド銀行による金融政策の実施には、明確な原則がありませんでした。モラルハザードが発生しない範囲で、大規模な恐慌/不況に発展することを事前に防ぐ金融政策の実施に関する法整備など、バジョットは、貨幣と経済のシステムに論理性をもたらしました。

・1936年には、2010年代における財政拡大/金融緩和政策の礎となったジョン・メイナード・ケインズによる「雇用、利子および貨幣の一般理論」が発表される一方で、古典派経済学は、新ケインズ派としてDSGEモデルを構築。

・DSGEモデルは、1990年代以降のマクロ経済学を席巻し、中央銀行の政策に大きな影響を及ぼすこととなり、銀行によるモラルハザードを考慮しない経済分析によって、リーマンショックを引き起こす1つの要因となってしまいました。

・第2次世界大戦以降は規制緩和に伴う株式/債券市場の発展と共に、マクロ経済を無視した金融理論が構築され、新ケインズ派による「金融の安定化(低インフレ率の達成)」は、高リスクな投資市場の形成促進を招きました。

■参考文献

21世紀の貨幣論

https://honto.jp/netstore/pd-book_26356568.html

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