仮想通貨の世界に触れてしまったひとりのおとな:主体性をとりもどすにあたっての実存主義

仮想通貨の世界に触れてしまったひとりのおとな:主体性をとりもどすにあたっての実存主義

はじめに

 人間とはなにかを考える(哲学あるいは倫理学)と興味深い。たとえば仮想通貨の世界。これも人間が編み出したもののひとつ。3歳のこどもにこれだよと手のひらにのせてみせることのできない実体のつかみづらいもの。

でも「おとなたち」はその世界にどっぷり頭まで浸かり、あれやこれや物色して、へえ~こんな使い方があるのかとか、これってあやしくない?とかひとりごとをぶつぶつ言いながら、おおまじめに人生の貴重な時間をそれに費やしている。

IT技術の進展にともなって合理的な判断が求められる時代。便利にはなっているがそうした社会のあり方は、はたして人間の主体性という観点から考えるとどうだろう。コンピュータに頼るあまり人間自体の判断力はおちていないか、画一的で受け身になっていないかなど気になる点だ。

遅ればせながらデジタル庁ができる時代となり、いよいよ私をふくめて[化石世代」は世の風潮にあらがうまでもない。いよいよ「ついていかないと」と極端に言えば自らのいのちすら危ういという状況に追いやられつつある。そんな世の中であっても主体的に生きて人生を全うしたい。

ここで人間の内面にたちかえり、人間性をより高め、本来もてる力を発揮できるよう主体的に自己をみつめ、確固として生き方に反映できるよう、実存主義の立場を高校倫理のレベルで確認して考えてみたい。

19世紀のキルケゴールとニーチェ

 すでに200年前に生を受けたふたりだが、いまもって実存主義を語る上で欠かすことができない。まったくもって現代を見通していたのではないかと思えるぐらいの普遍性を感じる思想家ふたりだ。

両者はともに実存主義の祖といえる。

キルケゴール

 そのうちのひとり、19世紀に活躍した思想家のキルケゴール。1度きりの人生を誠実に生きようとすれば「あれか、これか」の選択の段階がある。そこで人生の痛みにたえつつ勇気をもって主体的に選択していかねばならない単独者としての人間のあり方を示した。

万人に通用するような客観的真理の追求などは、「わたし」(主体)にとっては何ら価値をもたないとし、実存している「わたしのため」の主体的な真理の追求こそが求められるとした。

美的実存(欲望、快楽の追求の生き方)、倫理的実存(良心に忠実な生き方)を超えて、宗教的実存(神の前に単独者としての生き方)に向かうと自己の真実に出会えるとした。人間をはじめて実存と呼んだ思想家。

まとめると、彼は絶望のきっかけにより飛躍していく実存の3段階を通じて、単独者の信仰と単独者の生き方に本来的自己を見出そうとした。

②ニーチェ

 キルケゴールよりもすこしあとの時代(30年ほどのち)に生まれたのがニーチェ。彼はキリスト教道徳が、人間の精神の無力化を生んだと批判し「神は死んだ」と宣言した。

そこで人間の生きようとする根源を「力への意志」ととらえた。これは自己を拡大させようとする本能的な意志であり、無価値で無意味な現代のニヒリズムを乗り越えうる新たな価値を、創造しようとする意志だとした。

永劫回帰するニヒリズムの現実のなかで生きる自己を「運命愛」として受容しつつ、勇気を持ち強く生きようとする「超人」として創造する「能動的ニヒリズム]の生き方を理想とした。彼の思想は20世紀の先駆者として知られる。

つまり彼はキリスト教道徳批判をつうじて、力への意志(権力意志)にのっとる超人を理想とし、運命愛を説いた。

20世紀になると

 急速に進む工業化や情報化の進展により、現代社会において人間存在が社会のなかで埋没してしまい、主体的生き方を模索する動きが求められるものとなった。先行していた哲学や思想がその他の科学と相まって、現実社会において必須の要素として取り上げられるようになった。

ヤスパース

 ニーチェから40年ほどあとの人物。避けられない死や苦悩など挫折を通じた限界状況による絶望感をニヒリズムに逃避したり、権威に頼ったり、自己を超越したものに依存したりせずに受容、克服しようと、理性にもとづき他の人と「実存的交わり」をもって自己の実存に目覚めることを唱えた。

いいかえると限界状況による挫折こそが実存に目覚めさせるといえる。

つまり彼は、自己を超越者から賜われたものとする有神論的実存主義をとなえた。後述のハイデガーとちがい、経験や現実的存在として現存在を定義。

ハイデガー

 自らの存在を現にここにあると自覚し、あり方を自ら決めていく存在を現存在とした。それは周囲の存在とかかわりをもちつつおこなう「世界内存在」。

避けられない死としての有限性という意味合いにおいて「死への存在」といえる。それを直視しないで「ひと(世人)」として生きることは自己を見失っているとする。

無神論的実存主義の立場で、彼は世人を存在の時間性に自覚させる良心の声(存在からかけられる)は超越的。そして死の先駆的決意は未来を予想して決意し、過去を捉え直し、現在へと反映させうる。こうした時間からみた存在論を考察した。

つまり日常の頽落(たいらく)を批判、死への自覚を自ら持って生きようとした。

サルトル

 ハイデガーと同様、無神論的実存主義の立場人間存在(実存)は被投企性(偶然性)をもち、本質は非決定的。自己の個性のあり方は自己で自由に創造する存在とした。このあり方を「実存は本質に先立つ」と記した。人間という存在は「自由の刑」に処せられ、孤独である。

社会において行動する上で責任を負い、新時代の創造の行動(アンガジュマン)となる。これは現代のヒューマニズムへとつながる。

まとめると、サルトルは呪われた自由を説いて主体的な社会参加を希求した。

おわりに

 わたし自身にとって高校の授業での「倫理」、さらに大学での「社会思想史」の講義を通じてほんの短いあいだ講師から教わったに過ぎない学問ジャンル。学校教育の中ではその後の人生において役立っている分野といえる。

生き方を考える上で、先哲の頭脳から出てその後の議論で磨かれた論理の素晴らしさは何ものにも代えがたい。

たとえばサルトルはノーベル文学賞(辞退しているが)に取り上げられるほどの人物であり、ニーチェは24歳で博士号をもたずにバーゼル大学で教授に着任したほど。

いまをもってしても実存主義の思想は色褪せないし、現代人の生き方に多大な影響を与えうると思う。そして彼の病の流行のなかでの生活。生き方を再考する上で、先人の思想家の考え方は先達として参考にさせてもらうには好適だろう。

実存主義という哲学のなかでもごくごく狭いところを取り上げたに過ぎない。取り上げたと言ってもごく表面をなぞっただけ。ほかにも東洋思想などで取り上げたい思想家がいる。

またの機会にそれらの思想家と比較検証する場をもちたい。

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