NFTにはまると実存主義のページを開きたくなる

NFTにはまると実存主義のページを開きたくなる

はじめに

 先日、NFT上のアートなるものの価値についての深夜のつぶやきをSpotlight上にしたためました。

今回の記事は、ひきつづきNFT上の芸術に関し、高校倫理に登場する哲学者の主張にもとづく視点から書いてみたものです。

芸術の考察の肴に哲学書を引っぱり出してくる

 ニーチェは、「人間は超克されるべき何者かである。」と主著『ツァラトゥストラ』のなかで説きました。著書の中で、現代社会の無価値なルサンチマンがニヒリズムを生んだと主張します。

ルネサンス以降、後代のニヒリズムのもととされるキリスト教道徳の束縛から、人間を解放しようという動きがあらわれました。

芸術もしかり。ギリシャ・ローマのいにしえの文化を横目で見ながら文芸を復興させようとしたのです。

その後の芸術は、いずれもその呪縛からのがれようとするあがきの連続だったと俯瞰できないでしょうか。印象主義しかり、ダダイズムや表現主義、現代のアニメ文化ですらそうかもしれません。

それらを基盤としつつ現代の芸術はうごめきつづけています。停滞と突破、提示と止揚(アウフヘーベン)をくりかえします。

酵母とNFT上の芸術についての一考察

 NFTが現代という時代を表す一種のアイコンと提起します。ここで芸術を酵母に例えてみましょう。酵母は生活環のなかで、こぶのように娘細胞を成長させる形態をとりながら分裂をくりかえして生命をつないでいます。

NFT上における芸術という酵母は、生々流転する芸術の細胞のミトコンドリアで生成するエネルギーを糧に、いままさに娘細胞を突起として発出、分裂に向かう途上にあるといえるでしょう。

この娘細胞が成熟して無事に分裂に向かうのか、もしくはアポトーシスを起こし、こなごなちりぢりになってしまうのか、はたまた遺伝子が組み換えられて突然変異を起こし、へんげしていくのかという状況下にあると考えます。

小さなぶどう酵母さえ、生命は自身にいのちをつなぐ持続可能性を包含しています。NFTがそうした側面を持ちえて芸術のなかで恒常のものとして成立しうるのか、芸術としての普遍性をもちえるのか、さらに考えます。

力への人間の意志

 芸術の表現がさまざまな状況下で生まれては消えました。これは芸術をこころざし、生きた証にしようとチャレンジしてきた人間の強い意志の吐露です。この「若々しさ」が感じられると100歳の画家が描いた絵でも感動があります。

これはまさに、ニーチェの示す「力への意志」ではないでしょうか。これが果たしてNFTにあてはまるのか、過熱ピークを過ぎつつあるNFT上のアートについて考察はつづきます。

新たな価値を生むのか

 ニーチェは「最高の価値が無価値になる。なんのためにあるのかという問いかけへの答えが欠落する」のがニヒリズムだと述べています。

彼の病に全人類が立ち向かっている状況下にあり、さらに10年前の東北の震災を鑑み、冷静に現状をみつめ、のりこえていこうとする勇気を示す人間たちの崇高な精神を感じながら、わたしたちは生きています。

立ち返ると、自分は精一杯きょう一日を生きているのかを自問自答する日々です。

その一方で、新たな価値への創造をNFTに垣間見ています。ただし、たとえばOpenSea上の作品群に、上で述べた酵母のたとえで論じた生きようとするエネルギーを内包しているか、みずみずしい感動があるかという点に関して言えば、いまだに私自身は疑問符がついています。

能動的ニヒリズムの段階にはいまだ到達していないのではないかと感じています。

おわりに

 

 ニーチェの提起する「超人」。虚無の現代の中で、強く生きようと勇気を奮い立たせる人間の姿をあらわします。

NFTはまだ世の中に出現して間がありません。この概念が芸術のとらえ方を根底からくつがえそうとする動きなのか、ニーチェの「超人」の範疇に向かいつつあるのか注視が必要です。

そのあいだにサルトルやヤスパースなどのべつの実存主義の思想家の思索について、さらにNFTへの考察をあたためたいところです。

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