タンパク質の取りあつかい技術の継承について
はじめに
博士号をもち、本業のかたわらタンパク質の研究や技術開発を30年あまりおこなってきました。創薬や生命を根本から知るうえでタンパク質を避けて通れません。つねづねこの分野の進展について危惧しています。あくまでもこの私見が杞憂で終わることを願いつつ、なるべく平易なことばで記しますので、語句の適切さに欠ける点をお許しください。
DNAの時代
この半世紀で遺伝子(DNA)の取りあつかい技術は急速な進展をみせてきました。それらは社会でさまざま活用され、枚挙にいとまがないほどです。多少の知識と手技を身につければ、DNAでかなりのことができる時代になりました。
機材や試薬がキット化、市販されてネットからの入手が容易になり、多少の資本があれば購入し利用することができます。
したがって、生命科学の研究に着手するならば、まずはDNAから調べてみようと考えるのはごくふつうのことでしょう。
一転してタンパク質に目を向けると
生体内でDNAと切っても切れない関係にあるのがタンパク質です。この物質については、DNAとくらべて当初からあつかいにくいことが明らかになりつつありました。したがってごく初期にはごくすなおなタンパク質が選ばれたようです。結果として、そうじてあつかいやすいDNAとのあいだで研究の進展に差が広がってきたと思います。
80年代にDNA研究への華々しいスポットライトを横目にしつつ、私は停滞気味のタンパク質を研究対象にしてきました。どこか陽のあたらない、地味な立場にいることを自覚してきました。タンパク質研究の足ぶみの世代といえるかもしれません。
ちがいが歴然 タンパク質とDNAの配列分析
DNAとタンパク質をくらべて、20世紀後半以降にどの程度のちがいが生じたか、両者の配列決定法の進展を例にしてみましょう。
4種類のヌクレオチドの配列に特徴のあるDNAの配列を明らかにするエレガントな手法が76年に開発されました。急速な発展をみせ、いまではヒトのDNAの配列などはごく短期間にあきらかにできるほどです。
その一方でタンパク質については、50年に開発されたエドマン法をほぼそのまま踏襲したシーケンサー(自動配列分析機)が使われ、地道にアミノ酸配列をアミノ末端から1個ずつ決定していく手法が今もつかわれています。質量分析を取り入れた別法が試みられていますが、大きなブレークスルーにはなっていません。
じつに70年の年月がたっています。もちろん手をこまねいて放置しているわけではなく、あまたの方々が考案しつづけてきましたが手に負えていません。4種類の塩基のちがいだけのDNA配列に対して、タンパク質のアミノ酸配列は20種のアミノ酸から構成される点がネックで、打開がむずかしいといえるでしょう。
いや、遺伝子DNAからタンパク質の配列は予想できるからすでに用は足りているではないか、なにもあつかいの難しいタンパク質に固執しなくてもとか、DNAでも詳細な研究に着手しようとすると同様にかんたんではないという意見が聞こえてきそうですが、ここではそのことには触れません。
タンパク質研究がなかなか進展しないべつの理由
タンパク質の取りあつかいをむずかしくするべつの理由は、その構造です。
多様な構造を示すタンパク質は、ひとすじ縄ではいきません。それほど個性的です。構造がわりと明確なDNAでは比較的初期に取りあつかいが確立した(例外はありますが)にもかかわらず、タンパク質についてはあまりに多様で、例外が多すぎて経験にたよる域を出ていないといえます(もちろん地道には進展しています)。
一般的に生体物質を研究するうえで水溶液であつかうことがよくあります。ところが生体物質のなかでもタンパク質は、その個性的な構造があだとなり、水に溶けやすいものから不溶なものまでさまざまです。なかには界面活性剤や変性剤を添加してようやく溶液にできる場合があります。このように操作性に大きく影響する薬剤を投入する際にも経験と勘がもとめられがちです。
タンパク質取りあつかい情報の入手の難しさ
地方でも比較的大きな書店や、理系をもつ総合大学の書店や図書館などにいけば、DNA取りあつかいのマニュアル本は選べるほどあるにもかかわらず、タンパク質に関してはほとんど書棚では手にとれないです。そこでわたしはいまだに20世紀に出版された書物をだいじにかかえています。
新たな参考にできる書物があまりないということは、すでに執筆できる著者が限られているかもしれません。つまり、本を見つけることのできる時代までさかのぼらないとまとまった情報が入手できない、概観できない、更新されつつある情報を把握しづらい状況が生じつつあるのではないでしょうか。もちろん、学会に参加し、原著論文や総説などにつねに目にしておくことは重要ですが、個人ではかぎりがあります。
危機的状況かもしれない
すでに時代はDNAやタンパク質のそれぞれを個別に対象とする時代ではないのかもしれません。生体物質どうしの相互作用や、さらにマクロな視点も必要でしょう。そのための物理、数学、そして化学の知識も重要です。
しかし、「タンパク屋」のはしくれ、末席にいつつも矜持というか、態度は継承していきたいと感じています(じっさいに教育者として細々と実行していますが)。
時代が必要とするならば、優秀な人が現れてあっさり解決してくれるさ、といった意見があるかもしれません。たしかに20世紀なかばにはその時代を代表する英知がDNAに興味を示し、寄ってたかって技術や知見を集積した事実があります。
継承の必要性
今後タンパク質に着目すべき事象に対して、従来の技術や知見の基盤なしで解決が図れ、そうした人材の出現が連綿とつづくでしょうか?わたしが危惧する(杞憂であってほしいのですが)のは、DNAの時代にあったような、今後の英才たちが果たしてタンパク質に興味を示すかという点です。
さいごに
すでに人類は環境や情報分野などにそうした優れた人材を充てないと、地球上での存続すらどうかというところまで来つつあるようです。一方でタンパク質のかかえる未解明の事象はまだまだあるといえるでしょう。たとえば、命にかかわる疾病の特効薬や治療法が予想した時期に出現していないということがつづいています(例外はもちろんありますが)。
このことは人類がいまだにタンパク質という、基本的でありながらじつは精緻な構築物の本質にせまれていないことに結びつけられるかもしれません。
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