バイオフィリア第0侯 Vol.6 
  〜田んぼと昆虫〜

バイオフィリア第0侯 Vol.6    〜田んぼと昆虫〜

「お米つくりと昆虫の暮らし」 

農薬の中でもカメム シ防除のもので蜂が死ぬ確率が多い様だ(とよく 聞きます。 )そし てそれは私と暮ら すミツバチたちにとっても例外ではなく、死活問題になりそうな予感を持った頃、無農薬の米つくり につ いて考えていました。なぜカメム シを目の敵にするかというと、お米には農林水産省が決めた等級があり 毎年新米ができるとこの規定に則って等級が高ければ高値で買ってもらえるからです。 その等級の付け方 が、 ある一定の量の中にどれだけカメム シに食われた黒い斑点があるかないか、 というものです。 実際に は黒い斑点があろうがなかろうが味に変わりはないと思いますが。 。 その様なことからこれまで米農家の方々は農林水産省の定めた規定で少しでも高値で買ってもらうため、 一生懸命カメム シ防除の農薬を買っては撒いてカメム シのつける斑点のない米を作ることに専念する、と いう農薬を「使わないとできない」農法が主流になったのではないでし ょうか。 

平成23年 の春先、仕事の合間にお店から外を見ると目の前の空き地にユンボが入って土を掘り出しまし た。「何ができるのですか?」と作業をしている方に聞くと 田んぼになると教えてくださいました。持ち 主の方が遠く岐阜市に引っ越しており管理ができない為、農協が田んぼとして活用し管理するのだと いう 事でし た。私はその土地を又借りしてお米つくり を始めました。ちょうど田んぼの隣であるお向かいさん がお米つくり の先生をしていらっし ゃったので、一から教えていただきながら毎年いろんな農法に挑戦す ることができました。 農作業用の機械を持たない私は、作業の大半を農協の「農援隊」さんに協力して頂きながら続けてきまし た。農援隊の皆さんにはいろいろな形で優しい 気持ちをもらっていたと 思います。 自分のやっているお店の方向性につまづいて、やっているのかやっていないのか分からない日々が続いて いた時も、皆さんで来てくださったり、 畑で採れた枝豆を袋いっぱ い持って来てくれ ました。気の利いた 言葉をかけてもらったと いうことではなく(それがまた温かかったり)、とてもありがたく思えました。 

お米つくり でまず最初に行ったのは、鯉農法という農法でし た。代掻きをして田んぼに水を入れ、それか ら微弱の除草剤を入れて半月経過したら約10 00匹の鯉の稚魚を入れます。 その稚魚は錦鯉の養殖をし ている方から当時営んでた パティ スリーで作ったスイーツと物々交換で分けていただきました。そうして 色とりどりの錦鯉が私の田んぼで泳ぐことになりました。 田んぼというのは水路に近い手前と奥では水温が違い、 真夏になると稚魚たちは程よく 冷えた 水路の近く にたむろして満遍なく田んぼを濁してくれ るわけでは無いようでし た。しかし、赤や黄色の可愛い稚魚が 田んぼを泳ぐ様は可愛らしく、それはそれでまあいいかという気持ちになるのです。 果たし て鯉農法の効 果はどうなのだろうか笑。 ----- お盆が過ぎた頃から田んぼは水を抜いて乾かしていきます。 約10 00匹の鯉の稚魚は水を抜くまで の間に20セン チほどに成長するものもいればさほど成長していないものもおりますが、 捕まえられるも のは母方の祖父の家にある池に放します。 と言っても田んぼ中探しても見つけられるのは数十匹程度で多 くは早朝の鳥に喰われたか何か。 それ以外は感謝し、そのまま田んぼの肥やしとなりました。田んぼの肥 やしとはいささか残酷では無いかという思いも勿論あるのです。 では、うちに来なかった錦鯉の稚魚はど んな人生を歩むだろう。 人間の美意識を物差しに選りすぐった後、お眼鏡にかなわなかった沢山の稚魚は、一説よれば川にそのま ま放流されることが生態系にとって昨今問題視される。 

・・・ならばうちの田んぼで生命を全うしてもらおう、と、私は自分の行動を正当化しようとするのですが、 どちらにせよ人間のエゴなのかもしれません。 鯉農法の利点は鯉が泳ぐことで水面が濁り、 草が生えにくい、 また、鯉の糞尿が肥やしとなる。とのこと ではありましたがやってみて思うのはそれは単に、辛い農作業の中に楽しさを一つ加えたと いうか。 そう いう意味での昔の人の知恵だったのかもしれない。 少しでも楽しんで仕事をする。変哲のない暮らしの中 に遊びを加える、そういうことだったのかもしれない。 と思う様になりました。 お米つくり は年々水の管理も上手くな るにつれ美味しい お米が採れるようになり、 オーナー 制で新米を全 国のオーナー さんに送れるまでになりました。 平成23年 から始まったお米つくり は毎年色々な農法を楽しみながら試すことになりました。それらはど れも水を張ったら微弱の除草剤を使用し、その後は田植えの際に一緒に肥料を撒いて後は無農薬という方 法です。 別の場所でもお話ししようと思いますが、 私なりにたくさ ん考えました。ただただ闇雲に農薬反 対という姿勢ではなく、今の地域社会に少しでも広く受け入れられる事の重要さを肌で感じました。世の 中に合った共生を探りながら軌道修正のバランスとストレスのない取り組みに重きを置こうと考えまし た。 

その年の気候によって多少獲れ高に違いはありましたが、 おおよそ、7俵 のお米が獲れました。2年 だけ 完全無農薬に挑戦したことがあります。 それはもう雑草との戦いで、とても片手間で出来るものではあり ません。日々の仕事を終えた 後、日が暮れるまで田んぼに入って草取りをしました。田んぼの中は歩くの だけでも大変で、草取りとなると腰をかがめっぱ なしなので、足腰がパンパンになるし長袖じゃあないと 痒くてた まりません。暑いので汗が滝のように流れ、額から顔をつたう汗がまた痒くて、掻こうにも泥だ らけのビニール手袋だからもう何もかも我慢するしかない。 。毎日続けたと ころで雑草は抜いた後からス クスク 育ちます。 完全に私は雑草に敗北し、もう呆然とするしかありませんでし た。 ---- そこで私は「農薬の有り難さ」を感じさせられる事になります。 この経験は重要だったと 思いました。 そうして田んぼと格闘しながら自分なりに挑戦する事になったお米つくり は、その辛さを時には上回る、 宝物のような時間でもありました。道のすぐそばにある田んぼであっても、実際にその中に入ってみない と気づくことができない景色があります。 同じ世界に存在していながらすぐ横に違う次元が存在している ようなもので、チャン ネルを合わせないとその世界は見ることがない。 そんな不思議な感覚を味わえる場 所でもあります。 

イネとイネの間には道端では見られない草花が生きていて、小さな白い花やピンク色の可憐な花を咲かせ ていたり、 綺麗な瑠璃色のイトトンボが飛んでいたり、 色んな昆虫が草の上で休んでいたりします。 話が逸れましたが、 所詮わたし の米つくり などは、米農家さんに比べた らなんちゃってなのです。 たかだ か無農薬農法2回 のトライ で何かを語れるものではありません。しかし、それなりに分かったこともあり ました。毎年7俵 程採れる田んぼで、完全無農薬に挑戦した年に穫れたお米はたったの2俵でし た。無農 薬だからきっと美味しい のでし ょうね!と思われるかもしれません。しかし、栄養を雑草に取られてし ま い、そしてわたし の知識不足もあり、 全然美味しくな いのです。 おいしい 無農薬米を目指される農家さん ならもう少したくさ ん穫れただろうし、きっとおいしい お米になったと 思います。 知識と技術が違うので す。 とはいうもののもっと楽に安心で美味しい お米が穫れるに越したことはありません。 私なりに色々考えてみました。もっと楽に美味しい 無農薬米を作れないだろうか。 生態系を利用して、人 がなるべく 手を加えなければ、案外うまくいく のでは? それは私のニホン ミツバチとの関わり方と通ずるではないか!と思い始めました。 

そんな時冬水田んぼという農法があることを知りました。冬の間も田んぼに水を張っておくことでビオ トープ(野生動物の安定した生息地)を作り一年を通して生き物が生活できる一つの生態系を作ります。 イトミミズなどの小さな生き物たちが雑草の種ごと泥を押し上げたり、 水鳥達が来て雑草の趣旨を食べた り、 何よりわたし にとってストレスがなさそうだ・・ 利点ばかりじゃあないか!早速やってみよう! と思い立ってはみましたが、 いまの田んぼの殆どは改良?されてし まって水路はコンクリートで固められ 小さな生き物達が暮らせる場所がない。 近代農法は冬場の田んぼを乾かすのが一般的です。 水路の水も稲 刈りの少し前から止められます。 --- なぜわざわざ農薬を使わねばならない農業になってし まったのだろうか。 それで誰が得をする形に世界 はシフトされてし まったのでし ょうか。 それでどれだけの小動物や植物が犠牲になり私たちの食の安全を 脅かすことになったか。 ・・あまり言及すると偏った表現になってし まうのでこの辺りにしておきましょ う。とにかく現時点で農家さんが農薬を使用するという選択に対し、とやかく言える人などいないのです。 たと え使いたくな くても使わざる得ないシステムになっているのかもしれません。より沢山、より良い等 級のお米を作ってより高値で売らねばならない。 だってそのお金で家族を子供たちを養い食べて行かなけ ればいけないのだから。 これを踏まえてミツバチが住みやすく 、農家さんも 経済的に安心し生活ができる形を模索するしかないと 思うようになりました。この想いが私たちの取り組みの原点です。 

つづく

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山奥の地元でニホンミツバチと暮らす人たちです。

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