ロトクラシー(くじ引き民主主義)のススメ
通常の民主主義に慣れている人は、「選挙なんてめんどくせぇな」という声を聞くと、「それが民主主義で社会のルール、仕方ないだろ」「一票を入れられることをありがたく思え」などと思ってしまいそうです。
本当にそうでしょうか?
本来、"数学的には"、全員が投票する必要性は限りなく低いです。
例えば、2つの選択肢に関して1億人の人間の多数決の意図を有意に観測するために必要なサンプリング人数は何人でしょうか?
これはアンケートに何人必要かという非常に簡単な問題と同じ問題であり、実際には380人しか必要ではありません。1億人が投票する前提の現在と比べて380人しか必要でないというのはなかなか衝撃だとは思いますが、統計的には有名な事実です。
許容誤差が5%となっていますが、現在の選挙システムの投票率で言えば5%以下でない可能性が高そうな印象も受けます。まー断定するのには細かく計算した方が良いでしょうが
参考:
https://trim-site.co.jp/first/firststep/qa001.html
さて、つまり言いたいのは、めんどくさい大規模の選挙などせずに、380人くらいをくじ引きして、議員にして政策を投票して貰えば良くない?という話です。
そもそも投票のフローはこんな感じです。
https://www.clb.go.jp/recent-laws/process/
内閣もくじ引き議員が決める。統計上、これが国民の選好とズレる確率は低いです。
このくじ引き民主主義はロトクラシーと呼ばれ、批判としては国民全員が実際にプロセスとして政治に参加していないこと、そしてくじ引きの脆弱性や、くじ引きで選ばれる人間の討論能力の低さの可能性などもあります。
しかし、そもそも投票率が低いことが問題になっているのに、国民全員がプロセスに参加していないという批判は成り立つのでしょうか?
コンピューターと暗号が発達した現代で、くじ引きすら安全に作れない社会はそもそも選挙を公正に作れるのでしょうか?
今の議員は有意義な議論をする討論能力があるのでしょうか?
このロトクラシーの概念は一度、既存の民主主義やポピュリズムに絶望した人々、これからのDAOの改良に熱心な人、両方が考えてみてもいいのかもしれません。