古代・中世のサイエンスの歴史
最初に、自然界でのあらゆる現象の説明は、哲学や宗教を用いて説明するところからはじまりました。また星空を見て星座を作り、占いを考えていく上で天文学が発展し、そのような中で、古代ギリシャでは地球が球体であることが知られるようになりました。
古代ギリシャ
紀元前650年頃から480年頃のギリシャでは、あらゆる哲学者が自然現象を考えていました。
タレスは「万物は水から創造されている」ヘラクレイトスは「万物は流転する」
デモクリトスは「空間は空虚な空間と、分割不能な原子からなる」という原子論を唱えました。以上のような哲学者が自然哲学として、自然界について考えていきました。
その後、プラトンが「ティマイオス」を書き、アリストテレスが四元素説を「自然学」でまとめ、火、水、空気、火の混合で全てのものが作られていると唱えましたこうして自然界について考察しました。
また、この頃は観測や実験よりも「なぜ自然現象が起き、その現象の目的は何なのか」の論証が重視されました。
ヘレニズム時代
時代が経つと、学問の中心はエジプトのアレクサンドリアに移り、学問が発展しました。
紀元前240年頃エラトステネスは地球の円周の長さを正確に測定アルキメデスはアルキメデスの原理を発見する
アリスタルコスは、地球ではなく太陽を中心に置いた地動説を主張しました。
紀元後150年ごろプトレマイオスは、地球が宇宙の中心にあり、太陽やその他の惑星が地球の周りを回るという天動説を唱え、古代ギリシアの天文学を「アルマゲスト」という本にまとめました。
中世ヨーロッパ
プトレマイオスの天動説は、この頃に誕生したキリスト教の価値観を説明するのに都合がよかったために、天動説がヨーロッパの科学で一般的なものになります。つまり、宗教が社会を支配している状態でした。
それ以後、ヨーロッパでの科学の発展が停滞し、約1000年間、科学の発展がなく、イスラム圏で科学が発展しましたが、それでも大きな発展はありませんでした。
それから時間が経ち11世紀になるとスコラ学が誕生し、アリストテレスの思想がキリスト教の中に取り入れられました。それは、日常経験から、宇宙の構造から人体に関して自然現象を説明をするというものであり、自然哲学にも影響を及ぼします。
12世紀になるとイスラム圏で発展した科学がヨーロッパへ伝わると、アラビアで栄えた科学とギリシャで栄えた科学が融合し、それはスコラ学も影響を受けました。この頃に、コペルニクスが地動説を唱え、後の科学に革命的な事を及ぼす基礎となりました。
16世紀になるとスコラ学への反逆運動が起きることで、アリストテレスの哲学的な価値観の脱却が図られ、先入観が入らない科学が構築されました。
この時、これまでは「なぜ自然現象が起き、その現象の目的は何なのか」という論証することに力を入れてきた自然哲学が、「数学に基づいた論証をしつつ、実験や観察事実に基づいた科学の追求」をするようになり、ガリレオやケプラー、ニュートンもその手法を使って研究しました。
このようにして、アリストテレス的自然観から古典力学的な自然観へ交代をしました。