知的好奇心はなぜ尊いか

知的好奇心はなぜ尊いか

人間の3大欲求は性欲、食欲、睡眠欲である。知的好奇心はこの三つと同等、もしくはそれ以上に尊いと考える。それはなぜか。

セックスと食事は人生における最高の快楽だが長くてもせいぜい2時間しか時間を費やすことができない。睡眠なら8時間は使えセックスや食事と比較すれば長い時間を費やすことができるが、それでもその後1日のうち16時間を持て余すことになる。また、睡眠は本質的に価値が逓減するものである。3時間しか寝れないときの追加1時間の価値はとても大きいが、8時間寝れたときの追加の1時間はとても価値が小さい。もしくはゼロ、マイナスにもなり得る(寝すぎることは身体によくない)。

知的好奇心を満たす遊び(仕事や読書など)は8時間でも続けて行うことが可能である。長い時間行うことで発生するデメリットもないのでやりすぎという概念もない。そのうえ、知的好奇心は価値が逓減しづらい。SF小説を8時間読み続け飽きてしまったとしても、経済学はやっぱり楽しい。

また、子供でも漫画や百科事典を読んでワクワクドキドキするような知的興奮をするし、年齢を重ねても仕事や読書を楽しんでいる人は多い。人生の特定の時期に依存せず再現性が高く、長い期間において継続することができるのは大きな魅力だろう。

一人で行うことができ場所や時間を選ばない点も魅了的だ。セックスは相手が伴うし(それが魅力でもあるのだが)場所にも依存する(そうでない人もいるが知的好奇心のそれと比べれば限定的である)。食事や睡眠もいつでもどこでもというにわけにはいかないだろう。知的好奇心はとても自由で解放されている。

そのほか、地位や名誉、富を得ることがあり、特定コミュニティへの参加券になり得ることも特筆すべき点だ。知的好奇心を満たすその行為自体が人生を豊かにする尊いものだが、知的好奇心を満たすプロセスによって得られるさまざまな副産物がさらに加速度的に人生を充実させる。知的好奇心は一度で二度美味しい。

もしセックスや食事、睡眠がもっと長い時間を費やせるものであったならば人間や社会はまったく違うものであっただろうと思う。まあ、長い時間セックスや睡眠ができる(する)種は狩猟時代に食料の確保が困難になり争いでも命を落としそうであるし、長い時間を食事に費やせる(費やさないといけない)種は燃費が悪すぎて必要なカロリーを確保できず淘汰されていたのだろうとは思うが。

脱線したがこれは非常に示唆に富んだ仮説である。人間が知的好奇心を強く持てるのは淘汰の結果であり必然であると言えそうだからだ。知的好奇心が生存において重要な三大欲求に勝るとも劣らないほど魅力的なのはそれなりに理由があるはずだ。

我々は知的好奇心の奴隷である。知的好奇心はとても尊い。

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