『右大臣実朝』太宰治とキリスト教
太宰の文にはキリスト教が見え隠れすることが多い。
この本を買った理由はタイトルの『惜別』ではなく、収録作品の『右大臣実朝』目当てです。
新潮文庫ではない文庫本で蔵書していたはずだけど、重複していたら人にあげます…。
私が太宰の文を好きな理由は、「〜を神のように尊敬する」ということを大事にしているからです。『駆け込み訴え』などはモロですが、キリスト教的な文脈での、愛する行為を尊ぶ作品が多いと感じています。
本作ではマスターピースがこの世に存在するという希望とそれを手放しで信じることができる幸せが書かれています。 これが前述したキリスト教的な文脈での愛です。
私みたいな凡俗な人間は実際にマスターピースを前にしても、その瑕疵を疑ってしまうでしょうし、当然それを信じ続けることは難しいでしょう。 ただ、それがイデアであることは理解できる。 読んでいただきありがとうございました。