【ノート】岩村充 「グローバリズム下の世界と漂流する通貨たち」 GraSPPオンラインセミナー

【ノート】岩村充 「グローバリズム下の世界と漂流する通貨たち」 GraSPPオンラインセミナー

GraSPP オンラインリサーチセミナー "グローバリズム下の世界と漂流する通貨たち " 講師:岩村充 | GraSPP
http://www.pp.u-tokyo.ac.jp/events/2020-05-26-25160/

グローバリズム下の世界と漂流する通貨たち

貨幣進化論―「成長なき時代」の通貨システム (新潮選書)中央銀行が終わる日―ビットコインと通貨の未来―(新潮選書)金融政策に未来はあるか (岩波新書)、特に国家・企業・通貨: グローバリズムの不都合な未来 (新潮選書)で取り上げた問題についてお話する。

16世紀

アジア(中国)と西欧で大きな国力の違いがあった。鄭和が使った船が数千トンから1万トン。コロンブスが使った船は100トン。それぐらいの国家としての力の差があった。

17世紀

全般的危機の時代。地球が大きく寒冷化した。

高緯度地方から低緯度地方に軍や人が移動する。混乱の時代。

中国では明から清へ王朝後退、ヨーロッパ大陸では30年戦争でドイツが荒れ果てる、この後の時代にも大きく関係するのは、イギリス本土から北米への移住が起きた。

北米に移住した人はそれまでのヨーロッパの人達と違った。多くの国の移住はワンチャンスの商売の機会を狙って行く人が主だったが、北米に行ったイギリス人は定着し独立自営農民になろうとした。

後世北アメリカ大陸でイギリスが大きな影響を持つことにつながる。

18世紀

産業革命と七年戦争

要するにフランスとイギリスの勢力争い。ヨーロッパでは引き分けだったが、植民地、インドと北アメリカではイギリスが圧勝。

それが次の時代の伏線になる。

19世紀

経済成長の始まり

とても大事な時代。

近代現代は私は19世紀から始まったと言えると思っている。

起源1年ぐらいから2000年ぐらいまでの長期経済統計で見ると、一人あたりGDPに動きがある。一人あたりGDPが大きくなるのは豊かになるということ。一人あたりGDPは長期的に見れば自然利子率と同じぐらいになる。

19世紀は利子率が生まれた時代と言っても良い。

それ以前は高利貸しの金利=リスクプレミアム。

19世紀以降の金利は「それ以降の成長を分けてもらうもの」になった。

成長が始まったのは19世紀。

何が大きな事件かと言うと、ナポレオン戦争が大きい。イギリスではもう少し前からあったが、西欧世界に財産権が普及した。

もうひとつ産業革命の性質が変わった。

紡績(資本が要らない地方でお金をかき集めてやる工場)が18世紀、19世紀中頃からは鉄道業や鉄鋼業、これらは成長のネタがないといけない。

財産権がないと来年のために投資しないので再投資の循環が始まらない。それが始まったのも19世紀。

国民国家の登場

それまでの国というのは王様の家の周りの宮廷だった。19世紀からは意識的には国民が主人という国家が出来上がってきた。イギリスでグラッドストンの時代に国家と王室が別れた。

大陸ではドイツが勃興しフランスを圧倒。

ペリーが日本に1853年に来る。アメリカを西欧の国と認識、開国するが、ペリーたちは南北戦争で去っていった。日本はいいタイミングで開国した。日本はドイツなんかと比べると早いぐらいの時期に国民国家になった。西欧が目覚めたタイミングで日本はコピーしてきた。日本を目覚めさせたアメリカは本土に帰ってしまった。

株式会社制度の標準化

株式会社の原型は1802年の東インド会社。60年後にアメリカが自分で東インド会社を株式会社化するが、そのあと200年ぐらい一般化しない。

株式会社制度は日本が明治維新の開国とともに取り入れた、それ以前からヨーロッパにあったと認識しがちですが、その頃の株式会社は特許会社、チャーターで作る、一般法で作れないものだった。

それがイギリスで条件を満たせば作れる、会社法による準則主義を1860年前後に実現。それを福沢諭吉は見てきて1866年に西洋事情にかいている。

1869年米国大陸横断鉄道開通

日本は、本格的な株式会社組成が起きた産業は国立銀行。第一国立銀行以降、国立というのは免許による、ということ。金禄公債を資本金として払い込むことを認めた。それから日本鉄道1881年。明治の初め、鉄道会社と国立銀行設立はカップリングしているところがある。日本鉄道の大きなプロモーターは岩倉具視、第15国立銀行=華族銀行が結びついている。

少し遅れて明治の企業勃興。1899年に会社設立が準則主義に。免許がなくても形式要件を満たしたら会社を誰でも作れるようになった。イギリスから遅れること30年程度。アメリカの準則主義会社法はデラウェア州(州ごとに会社法がある)が最初で日本より遅いぐらい。日本は今から見ると欧米制度を慌ててコピーしたと言われるが、だいたいイギリスの制度をコピーしていて、日本と同じ頃に他の国もコピーしているので、コピー第一グループに日本は入っている。

中央銀行制度の普及

イングランド銀行は1694年に設立されているが、国への債権を持つための銀行。国に融資するための銀行だった。

それがナポレオン戦争後、ピール銀行条例1844年で、ようやくこれが普通の私的な銀行から中央銀行になることに成功した。

日本はそのイギリスを真似して日本銀行設立は1882年。ただそのあと会社だけ作ってじっとしている。西南戦争の後のインフレの時代で松方財政。インフレが収拾されたことに日銀券を発行した。

アメリカは連ぽい準備制度設立が1913年。イングランド銀行的なものを作る動きはそれより前にあったが挫折しており、相当長い間民間発券銀行が通貨を発券供給。

19世紀は国民国家、株式会社、中央銀行の3点セットが出揃った時代。日本はそれを取り入れることにそんなに遅れてはいない。その後の発展の一つの理由だと思っている。

大分岐の時代から

19世紀〜20世紀なかば

地域でヨーロッパがどんどん強くなる。西欧・旧ソ連圏、US、オーストラリア・ニュージーランドが8割のGDPを支配する時代。

ヨーロッパ型世界がどんどん大きくなりそれ以外の国が小さくなる。この時期に抵抗しているのが日本。

20世紀なかばから21世紀初頭

アジアが押し返し、アフリカは取り残される。

資本蓄積が進みやすい産業とそうでない産業があると、一回一回の最適が時間軸での中の最適を単純には意味しなくなる。

アジアの貧困率低下と取り残されるアフリカ

1日あたりの所得が1.9米ドル以下を世界銀行は絶対的貧困と言っている。

1981年からの貧困率のグラフ、東アジアと大洋州の貧困率はものすごい勢いで下がっている。アフリカは取り残されている。

もう一つの大分岐、先進国内における所得格差の拡大

進み始めたのは1980年代から。

米国は基本的に富裕層の所得比率がどんどん増える形で格差が進み、日本は貧困層が更に貧しくなる形で格差が進行した。

アメリカは豊かな人達の豊かさが加重される、それ以外の人たちが貧しくなることはなかった。それがFRBが支持され続けた理由。

日本は貧しい人たちがますます貧しくなる形で起きたので金融政策への批判が強くなった。

なぜ格差が拡大するのか

「底辺への競争」富者優遇競争

1978年マーガレット・サッチャー登場以来、最高税率は下がり続けている。アメリカはレーガンが下げすぎて戻したりしているが。

所得税の最高税率は40%が普通の時代になった。

1978年、日本は75%だった。

新自由主義で、フラット化したほうが人々は働くという理論だが、実際には、このころから国境を超える人の移動が楽になってきた。

高い最高税率をけけていると、その人達が出ていってしまう。投資家が自分の投資資金を抱えたまま出ていくと困るので、優遇する競争、底辺への競争が始まった。金持ち大企業優遇競争。

「底辺への競争」法人税率引き下げ

日米欧州の主要国で2000年と2019年の法人税率を並べると、法人税率がどこも下がっている。

法人税率を下げないと出ていってしまう。

かつてOECDが法人税率20%は有害な税率だと行っていたが、いまではイギリスなんて20%下回っているぐらい。

消費税の労働課税性質

消費税の課税対象は付加価値。付加価値は売上から物件費を引いたもの。

法人税の課税対象は利益。利益は売上から物件費と人件費を引いたもの。

人件費が違うだけで付加価値税と法人税は双対の税。ただ、人件費が違う。そうすると、多くの国で法人税率があげられないので下げ、所得税でも人が逃げるのであげられない、最も逃げないのは生産活動に着目する付加価値税に注目が集まる。日本でも法人税を下げて消費税を上げている。これはよく考えると、人件費への課税を以前より重くするような税制変更をしている。

これも格差拡大の背景の一つかと思っている。

ピケティの r>g

r: 資本収益率

g: 実質成長率=自然利子率

彼が言いたいのは、資本収益率が実質成長率を上回っている時代が長かった。

20世紀前半は資本収益率が高いが税引き後資本収益率は成長率を下回る。2回の大戦争の時代。大戦争を国家が生き残るには民衆を味方につけないといけない。大きく資本収益に税金をかけて調整する時代だった。それが急速に終わり、もとに戻りつつある。

r>gという不都合な事実に対して

破壊的格差に至らなかった理由

これがなぜ持続したのか。近代までは資本家が設けすぎると打ち壊しや反乱が起きた。あるいは領主、帝王、帝国、皇帝が、儲かったものを取りに来てしまう。

課税と破壊による定期的リセットがあった。

大戦の世紀における一時的逆転

20世紀後半には富裕税が存在していた。日本でもわずかに一回あった。

「底辺への競争」への中央銀行参戦?

今なぜ格差が拡大し続けるのか

g: 短期的には、とくに人口が増えなければ実質成長率は自然利子率と等しいはず。

r > g

が永続的になるのはおかしい。

永続させるには、r と g の差を引き受けている物があるはず。

それが低金利政策だと思う。政策金利マイナス物価上昇率と計算できる実質金利をgよりも低く抑えているから、rが常に高く居られる。

実は伝統的な、クラシックな中央銀行の政策はこうではない。

r > g (緩和)のときもある、r < g (引き締め) のときもある。緩和と引き締めはかわりばんこに行われるものだった。

それが日本では20年緩和一辺倒。アメリカもグリーンスパン以降緩和一辺倒。それが格差拡大の一つの要因になっている。均衡を意識的に介入するような金融政策運営がされているとすれば、底辺への競争に中央銀行が参戦した状態になっている。

それが物価上昇率2%を目指しながら政策金利0は、どうみても r > g をささえている。金融政策にも責任がないとは言えないというのが現代に対する私の理解。

それが今回のコロナウイルスの衝撃でますます永続するようになってしまったのではないか。それは最後にMMTも含めてお話したい。

金融政策とはなにか

FTPL

(ちょっとこの辺は資料がないと理解が厳しいかも)

中央銀行的な感覚の中では物価は中央銀行がコントロールしていると言いたい気持ちがあるが、経済バランスからそれはありえないというのがFTPL。

政府と中央銀行をくっつけて統合政府のバランスシートを作る。中央銀行保有国債と中央銀行自己資本が消去される。

私達の予想、将来への期待・警戒を書き入れていけば右と左はイコールになる。そこでよく見ると実質価値と名目価値、という事を考えていくと、物価、貨幣価値の均衡値が取れるはず。それをひっくり返せば物価の均衡式になる。

比較的小さい金額のものを無視すれば、

P = (ベースマネーM + 市中保有国債 B)/ 統合政府債務償還財源S

Bの割引レートは実は名目金利。

FTPLで考える金融政策の効果というのは、市中保有(日銀以外が持っている)国債の債務負担を名目金利で割り引いている。DCF(ディスカウントキャッシュフロー)

名目金利がうごくと市中保有国債Bがうごく、Bを変えると物価がうごく、と考える。

これが金融政策のFTPLの解釈。

フィッシャー方程式と金融政策の効果

金利政策を図式化できる。

財政出動というのは投資。合理化されるのはそれが将来のキャッシュフローに結びついているので損得は基本的には存在しない。今までの財政出動とは上手く行っているかどうかは別に将来のキャッシュフローで戻ってくるという予想で出動するというようなもの。

そこに大きなショックがあるとする。償還財源がない、戦争で負けた、コロナで普通の水準で投資クライテリアを満たさないような財政出動をしてしまう。

コロナの支出にはリカーディアン的なところとそうでないところがある。

もしかするとそれは一定のインフレ要因になっているかもしれないが、中央銀行はそれを一次的に消すことができる。金利を引き上げれば、名目国債の現在価値が減るので、物価が少し抑え込める。

自然利子率より名目金利を低くするので、物価上昇期待が上がらないと、フィッシャーの均衡条件はクリアされない。

金利政策は物価に生じたショックを消しているのではなくて現在と将来の入れ替えをしている。無から有を作れないし、有から無を作ってしまうこともない。

異次元緩和が残した問題

物価決定式の分子のBの比率がどんどん上がった。国債総発行高が1000兆円、500兆円がベースマネーに置き換わっている。

なにがまずいか。

物価決定式 P = (M+B)/ S なのでBの比率が下がると、金利を変えても前ほど大きく分子が変わらない。金融政策の効きが悪くなっている。

金利が上がったときのキャピタルロスを中央銀行が引き受けていると言えば、世の中を安全にしているとも言える。

市中・銀行が本来引き受けるリスクを政府の一員である日銀が戻している。財務的安全性は高まっている。日銀は究極的に政府の一員なので、リスクを世の中に押し付けて買い戻している。なにか得られたかと言うと何も得られなかったのが残念。異次元緩和の効果は、何らかの原因でインフレが生じたときに起きるリスクの再配分をした。くだらない政策だとも言えるし意義のある(引き締め時の金融システムの安全性を高めている)政策だとも言える。

それで通貨に何が起きるか

金融政策への非伝統的要求が噴出してくる。その一つがMMT

もう一つは、こういうことをしていると何が起きるか、中央銀行に対するリスペクトが減る。通貨を発行独裁していることの説得力が失われていく。その典型・前兆がFacebookのリブラ

そういうものが注目を集める、あるいは中央銀行がそういうものに浮足たった対応をする。

19世紀に生まれた中央銀行モデルの説得力がなくなっている。

19世紀に急に成長が始まった。

中央銀行が中央銀行らしくなるのは19世紀なかば。中央銀行は世界が成長になったから生まれた。中央銀行に関係している人間としてはこれを肝に銘じておいたほうがいいと思っている。

成長経済を中央銀行が独立したことで実現したというのは事実関係から言うとおかしい。成長経済だったから中央銀行が存在できた。成長が止まったら存在できないんじゃないか。

利子率がプラスの値を取ることがなくなる、それが成長が止まるということ。均衡利子率が0まで落ちてくると、ケインズの流動性の罠とか、金利のゼロバウンド、マイナスになれないというのが出てきてしまう。

もし19世紀が成長の時代じゃなければ中央銀行はなかった。なぜなら中央銀行の役目は現在と将来の物価を入れ替えるのだから。

長い人類史ではAD1、もっと前から、自然利子率はほぼ0。その時代は中央銀行を作っても成立しなかった。その時代にも中央銀行のモデルになるような発券銀行は作られている。ただ中央銀行にならない、なれない。金利がプラスでないと成立しないから。

これから低成長の時代に入る。そんなことはみんな言っていたわけだが、今回のコロナでさらに頭を押さえつけられた。元気になろうとするとまたいつコロナが来るかわかりませんよとなって、経済再開も恐る恐るということになれば、中央銀行が存在できる余地が狭まっていく。

私はそれでも貨幣価値を安定させることぐらいはできると思うが、景気を加速させたりブレイクさせたりはできなくなる。

そうすると、どうせゼロ金利なら、国債と貨幣の違いなんて無いと考え始め、そうするとMMTになるし、どうせ決済手段を出すだけなら独占する必要ないでしょ、という発想になるとリブラになる。

ただこうした現象には共通することがある。MMTもリブラも、随分問題があって、面白いほどの話じゃないのに本人たちはすごいことを言ったつもりになる。というのが未熟。

だったら放っておけばと思うが、それに対して、反発がすごい。経済学者総動員で批判しているようなところがあるし、リブラは金融当局総動員で叱りつける。異様な拒絶反応。

これは痛いところを突かれたんだと思うが、突いたほうの突いてきた時期が悪いんじゃないか。拒絶反応起こしやすい時期に。

FTPLを主張する一人であったことを誇りに思っているが、そのときは伝統的ケインジアンとか、どういう人をマネタリストというかわからないところもあるが、マネタリストの人たちの反応は冷たい無視のようなものだった。

当時日本を除けば、あまり痛い肘を持っていなかったので、拒絶反応を起こす必要がなかったので冷ややかに無視した。今になってむしろこれを標準理論に取り入れていただけるようになってきた。ありがたいと言えばそうだし、そうなら20年前にしてくれという気持ちだが、それに対して、MMTへの学会の反応はヒステリックとしか言いようがないような反応をする。これは時期だとおもう。

FTPLのほうが遥かに痛いところをついているように思うし、FTPLとMMTはにているところがある、財政を自明のものとして分けない、そこは共通しているが、それを2000年の経済学者に指摘しても自信たっぷりだから相手なんかしない。

今はそれを言われたら本当に厳しいという時代に登場してきたのでMMTは拒絶反応されている。

MMTとは

「不換紙幣を発行する政府は通貨を自由に創造できるから債務不履行は存在しない」

債務不履行が存在しないから、つまり自己資本比率100%の会社のようなものだから倒産しない。パフォーマンス悪くなれば株の価値が下がるように貨幣価値が下がる。だからインフレにはならない。貨幣価値が下がると政府債務の実質価値は軽くなるから。今の貨幣価値が下がらなくても将来そうなると思うなら政府はデフォルトしない。

だから財政赤字を膨らませてもいいかと言うと、今は問題ないだけで将来問題ないかはわからないが、いま大丈夫と強調する。インフレになったら財政を引き締めればいい、それまでは何でもできるという。

それはそうだが、それまでに何でもできると思っていると、なんでもできなくなったときに辛くなる。

今楽しようとすれば将来その問題に出会うということを、彼らは整理していないのが、素朴な間違いだと思う。

FTPLからMMTを評価すると

0金利状態では、当然言える話。

問題があるとすれば、彼らの行っているのはインフレ率が限度を超えたら増税する。自動装置にするからいい、そんな装置をもっていない今の中央銀行が悪いと行っている、それは僕もそう思う、でもインフレが起こらなければ何をしてもいいのか?

政府はそういう存在ではない。インフレを起こさないために存在しているのではない。

インフレが起こらなければ何をしてもいいなら、法的権限は持っているのだから、法的権限を持っているので競争者を潰して私だけ流行りますよ、ということをすればいい。その典型が賭博。あれは、政府が特任して関与するから儲かる。

インフレが起こらなければ何をしてもいいわけではない。悪い政策が自己拡大する可能性がある。

ゼロ金利やマイナス金利が定着すると

決済システム難民が増えてくるだろう。

決済システムは銀行業の条件として開放していたがそれを有料化する動きが出てくる。

それに対してリブラのようなものがソリューションと出てきても攻撃するだけ。

どういう趣旨で攻撃していたか、そういうつもりではなかったかもしれないが、見ていると、自分たちがCBDC出すまではまってろと言っている用に見える。

リブラ型の仮想通貨は、見合い資産を持って、その価値をブロックチェーンのような誰でもアクセスできるレッジャーで管理する。リブラはブロックチェーンじゃないようだが。そういうものがモデルにあるので、私はミダス型と呼んでいる。

ミダスというのは手に触るものを全部金に変えたという神話上の人。

ミダスのような設計例は他にも作れる。

地域通貨イメージのミダス設計例。

Libra発表より2週間ぐらい早く特許出願した

地方債を地域通貨にできないかという構想。

福岡飯塚のChaintope、瓜生糸賀法律事務所の長野に聞いていただければもっと詳しいことがわかると思います。これはご紹介です。

マネーの未来

Libraは一つの象徴で、だんだん通貨発行独占が希薄化していく。

なぜ通貨発行独占に意味があったか。

ぎりぎり言えば金利政策が裁量的に運用できた、そのために通過発行独占が必要だった。それが意味のある行動である範囲では許された。

ハイエクは通貨発行独占要らないんじゃない?ということを1976年、The denationalization of moneyで言ったようなことが、現実に起こり始めている。

ハイエクは金利政策の重要性を無視していたのかというと、ハイエクは最初の本「隷属への道」で、「失業対策として金融政策は何の解決策をもたらさない」と言っている。理由は書いていないが。

お気づきだと思うがFTPLで言っているのも同じ。金融政策は現在と未来の取替で、何も増えないし、何も失うことはない。

特に理由なく書いているのがハイエクの凄さ。彼は当然だと思っていたんでしょうね。何も新しいものが空から出てくるはずがないじゃないかということを書いている。西山さんの翻訳でこうなっている。その前の人の翻訳ではこういうことを強調していない。西山さんの翻訳を読んで気づいた。

ハイエクは裁量的金融政策の長期的無効論者だった。

改めて自由主義とは

自由がいま問題な時代。

かつて自由は血と涙で守るもの、苦しいものだった。

サッチャー以来の新自由主義、小さな政府が作り出した弊害というのは、自由は儲けるもの、儲かるから求めるもの、儲けのインフラになってしまった。

そうすると、コロナとかに出会ったときに、大変だけれども自由を、人権を守ろうということについての私達の心を毀損している。それが今の背景になっていると思っている。

質疑

収益を産まない企業が生き残って企業間の競争が行われないのは(金融政策で)自分で自分を削っていないか

いま生き残っているのがゾンビかはわからないし、ゾンビ企業が生き残るべきではないという理念を共有しなきゃいけないものかもわからない。

儲かるかどうかが重要というのは、19世紀の成長の時代に資本主義経済ができたからで、株式会社は儲けるために設立する。

そういう理念からすれば儲からない会社はいなくなるが、儲けるためなら自由に法人を作っていい、というのは普通にすれば儲かる時代だったから言えたはなし。

だから存続すべきでないという話になるかはわからないけど、株式会社の準則主義からは逸脱していると思います。

倒産するとその会社にくっついていた生産設備が再利用可能になて成長する。金繰りが全く自由という極端な緩和的政策が新陳代謝を妨げているのではないか。

倒産が行けないというのは経済的な意味のある経済資源のつながりが崩壊するのでロスになる。

そういう意味でいうと、いい倒産か悪い倒産かはつながりとしての価値がなくなるような倒産が悪い倒産で、解体よりも存在の便宜が大きければ赤字でも退場する必要はないと私は思う。

両論、皆さんの前でやっときましょうか。

新しいキャッシュレス決済が増えてきて自分の債務を銀行以外の人が発行し、疑似預金としてクリアリングに使うことをしている。みんながバラバラのマネーを発行するので効率が悪くなる。銀行は信用創造のために自分で債務を出さないと仕方ない、それをクリアリングするために全銀とか日銀ネットができてきた。これがキャッシュレス業者まで広がって決済の不効率性を招いていて、それに対するカウンターバランスとしてCBDC、新しい一つの債務を中央銀行がつくって、これをみんな使えばマネーの壁がなくなるじゃないかという発想はどう思いますか

僕は1997年末で日銀にいて、日銀に居た時代はその感覚に近いものを持っていた。

だけどそのあとの2000年以降の状態を見ていてだいぶ感じが変わってきて、というのは日銀に私が最後にいた時代、なかなか私も努力をするわけですが、そのときは同時に金融不安、銀行の継続性が問題になった時代ですが、だんだん見ているうちに、もしかすると決済システム不安や金融不安というのは、通貨発行の独占が作り出したものなのではないかという気もしてきた。

いま、ミダスの話をしたが、別に信用創造の困ったところは、自分が金を貸してそれを預金にする構造を持っているが、源泉が他にあれば、国をどのくらい信用するかは別の問題ですが、銀行自身の行動の結果として信用収縮が起こるということはなくなる。

なぜ通貨発行を独占したか。通貨を独占する理由は金利政策をするというのが理由だった

ところがその金融政策があまり役に立たなくなってきている、むしろ弊害のほうが大きくなってきている、弊害とまでは言わない、必ずしも弊害ではないですよ、みなさんが弊害と言っているのは、どこかにプラスが寄って分配を作っている。

だけど、信用創造をせざるを得なくなった。日本銀行が、イングランド銀行が通貨発行を独占した。

イングランド銀行が中央銀行になる前の時代は普通に沢山の銀行が銀行券を出している。特に問題が起こっている様子もない。問題が起こっているという議論はイギリスの議会では一生懸命されるのだけど、どうも怪しい。というのは、実証的でないという話がよく研究で出てくる。

そうすると、通貨発行独占をすると貨幣が不足するので、それをどうするかと言うと信用創造する。信用創造というのは、景気が伸びていくときは皆さんの役に立つが、逆流するとつけが戻ってくる。

それは、なぜそうなるかと言うと、僕は、銀行が自分で貨幣出せばいいのにと、僕は思うようになった。

それが地域通貨とかの支持者になる理由で、私は日銀にいるときはそういうの嫌いで、金融政策の信奉者だったので、金融政策の邪魔になると思っていたが、金融政策が役に立たないなら、みんな貨幣出していいじゃないと思う。

今おっしゃったように沢山の人がたくさん出したらわけわからなくなるという、その情報コストは、事実としては確かにすこしはあると思うが、どんどん小さくなる。それをほとんど0に近いところに持っていっているのが今のデジタル技術。

そうすると、デジタルカレンシーを考えたら、なぜCBがつく必要がるのか。AnyBankでいい、あるいはBankでなくてもいい。

なぜ中央銀行デジタル貨幣かと言うと、その理由は、決済にかかる情報コストを倹約するしか出てこない。

自分で言うのも何だが、CBDCは、中央銀行に昔いた人間としてはある種モラルの堕落を感じる。

そんなものではなくて、通貨発行独占じゃなくて、みんなに尊敬されて、みんなが円使いましょうなら誇るべき話だが、通貨制度に守られてみんなが使ってくれるのは、私は日銀の人としては恥だと思ったほうがいいと思う。

インターオペラビリティを高めることでフラグメントしていても、そこがフリクションレスにうごくなら問題ないだろうと?

特定の人の間違いに大きく依存しなくなる。それが自由主義や市場経済の主張。

統制経済や全体主義の主張は、「だれか賢い人が運営していればいいじゃないか」という。

この部分は、私は新自由主義じゃなくて自由経済論者なんで、それは違うと。色んな人がやっていると間違いは起こるだろう。何回か、何十回に一回か間違いは起こる、一人の人が大間違いをするときの衝撃は小さくなる。

どっちがいいかと言えば、歴史が実証したのは、賢い人が間違えると大変なことが起きるのは毛沢東が実証してくれている。

たとえばアメリカの連銀議長が日本の中央銀行総裁だと、それが毛沢東より賢い人だという証拠がどこにあるのか。といつも思う。

それくらいなら、多少のコストが掛かっても、しかもそのコストはどんどん減っている。特にデジタル貨幣なら殆どなくなっている。

紙の貨幣の時代は、ぼくらドル札見慣れていないから、ドル札見せられるとドキッとするが、デジタルカレンシーだと、何がフェイクか、一瞬で無コストで見分けてしまう。

そんなものができるという前提で話しているから、話してみますけど、感染確認アプリが非常に安くできる、あれはOSに組み込まれていてずるいが、要するにインフラの中で解消できる。

それはインフラの中で解決できるほとんど無コストのものなにに、決済フリクションコストというのを見立てて、セントラルバンクがいいんだというのは、他のところで中央銀行が言っていることととつじつまが合わない。

他の世界には自由競争がいいと言うのに、自分のことについてだけは単一がいいというのは、不思議な理屈だなと思う。

Libra以外にも、Utilityセトルメントコインや、証券決済インフラについても新しいSecurityTokenというものが出てきている。いろんなチャレンジが伝統決済にある。新技術のもとで、どういうふうに未来の決済手段を見ていけばよいのかというグランドデザインを考える時期に来ているという思いがあります。

自分も愚かだったなと思う点で、決済の問題がありそれを直さなきゃいけないと日銀が言うが、それは殆どの部分が、日銀が中央銀行であるから、貨幣を独占しているから作られてしまったんだなと思う。

そういう意味では、90年代に議論していた決済システム問題について、自分としてはそういう角度で気づけなかったのがやや恥ずかしい。

そのへんはよく反省して今後の進展があると嬉しい。

これだけ財政出動しているが、FTPL観点からは将来インフレにならざるを得ないと考えるべきか?

将来という言葉次第。

いつかは起こる。今の状態からすると、いくつかの政府の財政活動というのは将来富をもたらすというものであたりだったものもあるし、失敗だと思っていても後世から見るとあたりなものもあるかもしれない。

今やっている対コロナだって、30年40年50年ぐらいすると、実は結果として良い成長インフラを作ったということになっちゃうかもしれない。

そこはわからない。

新しいものが出てこないとすると、長い目で見れば、バランスの修正は起こらざるを得ないと思う。

ただ、ハイパーインフレのようなものではない。政府が動いていることを前提とした価値修正なので、普通の意味で株が下がるという話で、「株が下がると倒産する」という話とはぜんぜん性質が違う。

ただ起こりうる可能性はあるし一寸先はわからない。私達はパンデミックリスクなんて考えていない物がいきなり出てきた。

プラグラマティックな方法はいくらでも考えついて、日銀保有国債を変動金利にすればいい。

存在するかどうかも、働き始めなければわからない。わからないから存在しないはずだとする理由もない。当時も今も思っていることです。

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