自然と心の内面

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ここ最近、と言っても夏が到来するころからですが、深夜にジョギングへ行くようになりました。走り出す時は必ず月を探すのが習慣になっています。月を眺めていると、神秘的な世界へ連れ込まれたような気持ちになり、つい月を追いかけどこまでも走り続けていけそうな思いに駆られます。

普段は川の堤防沿いを走るのですが、その夜の暗闇の中を、黄色く神々しい月明かりが、僕の足元を照らしてくれます。手を伸ばせば届きそうなほど、月は近くに感じられ、すぐそこに存在しているようなとてもリアルな感じを受けますが、ふと我に返った瞬間、月とは巨大な石で地球の周りを回っている衛星だという客観的観念が沸き起こるのです。月の光は、それ自身が光を発しているのではなく、太陽の光が反射して、その光が僕らの眼に届き、月としての実像として認識している、そのような考えが生じてしまいます。

さて上で述べたことは俗にいう、主観と客観という言い方がされます。月が綺麗だ、手に届きそうだといった観念は主観的で、一方、地球の周りを回っている大きな石は客観的事実です。言い方を換えると、前者は心の内側で、後者は心の外側で生じる事実です。

子供の頃は、心の内面で生じる事実の方が、心の外側で生じる事実よりも、よりリアルで力強いもので、強く記憶に残っています。しかし、人が成長するにつれ、僕らは社会との関わりや役割、責任が増し、心の外側で生じることに日々多忙を極めています。事実とは何か、実在とは何かを考える時、つい心の外側について考えてしまいがちですが、心の内面で生じる気持ちをもう少し大切にし、自らの手ですくい取っていきたいと思いました。

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