NFTはアーカイブされた文化資本を市場に放つか
最近NFTの話題がこれでもかと入ってくるので色々考えさせられる。いろいろなものに繋がってきたこれに対して、まとまらない考えをつらつらと。
NBA top shotがメンテナンスでウェイティングなんですが…
https://maintenance.nbatopshot.com/
NBAが積み上げてきたアーカイブを市場に解き放つのは結構面白いかも。日本では例えばNHKなんかは歴史的にも結構価値のある映像のアーカイブを持っていると思う(公共性とか事業者に対する考えは置いておくとして) アニメ映画の入場特典フィルム的な感覚。
埋もれていたアーカイブが市場に出て、日の目を浴びて、ファンディングに繋がるという意味では考えられるものがあるかもしれない。二次流通するデジタルは資金調達としてのICOよりも、個々人にリッチなマテリアルだったり、歴史的な一瞬を返せる?
一方で、それぞれの資本力に拠ってしまうところもあるので全体の動向は考えたい。発行する側に回って眺めたりしてみたけど、売れないものは売れない。資本がある者がインプレッションでそれを加速させるか、資本がある者に摘まんでもらうか。tweetを売るのにもスープ缶をアートにするのにもコンテクストは求められる。それは一番インプレッションを持つ人が作りやすい世界なのかもしれない。資本を持っている人がより稼げる世界は今までと変わらないので、そこと変わる力点はあるか。MTG Arenaでミシック高ランクな人が別ゲームで強くてニューゲームできても、どこまでいっても資本主義likeな世界でク〇くらえな感じもしてくる。Decentralandは距離の制約がない。(面白いものにアクセスしやすい集まりやすい東京でなく、リンクを叩けば一瞬で大久野島にも五島列島にも行ける、的な)なんでも資産に換算出来てその来歴が証票されることで、稼げなかった人が不利益なく稼げるものと、稼げる人が稼げるものがある。よりシームレスになったということも? 魅力を打ち出せない地方は返礼するもの(発行するもの)がない、的な。
キュレーションは必要になるのかもしれないし、逆にそれから解き放つのかもしれない。金銭的価値が可視化されて、広くつながったらどうなるんだろうか。
個人的な興味として、大衆にとって価値あるものの価値が浮き彫りになるより、大衆が全然見向きもしないニッチだけれどフェティッシュで民藝的なものの価値が表出するか、が気になるということかもしれない。