絶妙なタイミングで庭で完熟し賞味できるサクランボ様の果実
はじめに
先日のミカン類、ビワにつづいて庭に一歩出る、あるいは丘に上がると手に入る果実。
家にいることがなかばふつうになっている昨今、庭で実っている果実をつぎつぎに収穫できることに感謝したい。日常の料理にそれとなく添えた。
このあいだ記事にしたビワに匹敵するほどおなじみの果樹。この果樹、家に来て20年になる。
収穫を忘れがちな果実
庭のビワをようやく食べ終わりそう。今年は小ぶりだったがよく実り、食べるだけあった。ひさしぶりに庭に出て見渡したところ、うっかり忘れているものがあった。
このところ家の中にこもるようにいるべきと潜在意識の底につねにある。玄関から出て自分ちの敷地内の庭に出ることすら、罪悪と感じる一歩手前の感すらある。
したがってめったに庭に出ることはない。したがって庭先は草が生えて荒れ放題。草取りを家族にまかせっきりの状態がつづいている。
ないように見えて食べられるものがある。それはユスラウメ。なんとも愛らしいごくこぶりな実だ。はずかしげに葉に隠れ、じつにめだたないように実っている。したがって見落とすとうっかり収穫のチャンスを逸してしまう。
実の色が変化(へんげ)
なんとも小さな実だ。そして葉影で実るようすははっきりいって地味。すっかり収穫を見過ごした年があった。
朱桜という名だけあっていつのまにか朱色に実が色づいていた。タイトルの写真のとおり、緑➡黄緑➡白➡ピンク➡朱色と変化しつつ熟す。
すでに植え付けてから20年ほどになるのに、ごく樹高が低く胸の高さほどもない。しかも展開する葉かげに実がつくので、遠目には実が熟れつつあるのはわかりにくい。
植えつけて3年目にはびっしりと実をつけて、それ以来実つきがとてもよい。ほんとうにその恵みには感謝しないと。
店には出せない果実
昨年のいま頃までは販売所などに野菜と果物を持っていき売っていたが、それ以降ははやり病とあってバックヤードの混雑が心配で近づかないようにしている。そのため野菜はつくっていないが果樹はそうはいかない。
庭でユスラウメは律儀に毎年花を咲かせて実をつける。ほったらかしなのにほんとうに申し訳ない。せめてものつぐないとして自家消費している。
このユスラウメの果実は最初から店には出していない。なぜなら収穫後にただちに傷んでくる。はり・つやともいっきになくなりやわらかくなってしまう。したがって完熟したものを収穫、すぐに食べるのがいちばんおいしい。だからか店で見かけたことがない。
収穫をいそぐ
あわてて完熟の朱色の透明感のある実を本日3割ほど収穫。
そうだった忘れてたと残りの実のついている木の方を写真撮影(タイトルの写真)。ぬれているように見えるがまったく乾いている。それほどつやがある。
果実のかたちはさくらんぼそっくり。ユスラウメといってもどちらかというとサクランボそっくり。そのままひとまわり小さくしただけの形。
味はサクランボに近い。市販のサクランボよりも改良されていないせいか、甘みもそこそこで素朴で野趣のある味わい。甘味と酸味のバランスはむしろとれている。自分にとってはこのほうが飽きが来ないでいい。
おわりに
こうした店に出せない個人で楽しむ果樹もいいもの。完熟まで木にならせて、完熟のころあいを見ていちばんおいしいタイミングで味わえる。
こうした身近な果樹もいいもんだと思う。こればかりはそこそこ時間はかかるが庭をくふうして設けた甲斐があったと考えている。