無動寺へ登て大乗院の放出に湖を見やりて「にほてるや凪ぎたる朝に見わたせば漕ぎ行跡の浪だにもなし」

無動寺へ登て大乗院の放出に湖を見やりて「にほてるや凪ぎたる朝に見わたせば漕ぎ行跡の浪だにもなし」

 円位上人無動寺へ登(のぼり)て、
 大乗院の放出(はなちで)に
 湖(うみ)を見やりて 

にほてるや凪(な)ぎたる朝(あさ)に見わたせば漕(こ)ぎ行(ゆく)跡の浪だにもなし

(慈円『拾玉集』第四[歌番号5106]より)

(この上の写真と下の写真は、比叡山延暦寺の無動寺谷の地区の本堂である明王堂の前からながめた琵琶湖の眺望と、明王堂の写真です。)

この上の和歌は、『拾玉集』第四に収録されている和歌(歌番号5106)です。 

(参考文献: 慈円(慈鎮和尚)(原著), 石川一(著者), 山本一(著者), (2011年) [歌番号5106], 「第四」, 『拾玉集 下 (和歌文学大系 ; 59)』, 明治書院, 161~162ページ.)

 

※慈円(慈鎮和尚): 鎌倉時代初期のころの天台座主であり、歌人でもあった人物です。「慈鎮」(じちん)というのは、慈円の死後につけられた諡号(贈り名)です。 

※『拾玉集』: 南北朝時代に、尊円法親王が、慈円が詠んだ和歌を編纂してつくった、慈円の私家集(個人の和歌を集めた和歌集)です。 

※円位: 西行の法名です。 

※無動寺: 比叡山の山上における慈円の主な活動場所だった、比叡山延暦寺のなかの無動寺谷の地区のことです。 

※大乗院: 無動寺谷の地区における、慈円の住房です。当時は、慈円たちによって修理がほどこされているところでした。 

※にほてるや: 「近江の湖(琵琶湖)」の枕詞ですが、ここでは琵琶湖を指します。 

 

(この下の写真は、比叡山延暦寺の無動寺谷の地区の本堂である明王堂と、その周辺の写真です。)


(この下の写真は、無動寺谷の地区における、慈円(慈鎮和尚)の住房であった大乗院と、その周辺の写真です。)


■画像の出典 

・ここに掲載している写真の被写体となっているのは、「明王堂の前からながめた琵琶湖の眺望」や、「比叡山延暦寺の無動寺谷の地区の本堂である明王堂」、「明王堂と、客人宮(白山神社)と、相応和尚の石像」、「無動寺谷の地区のなかにある大乗院」などです。これらの写真はすべて、2020年1月1日に筆者が撮影した写真です。 

写真の一覧ページ(Flickr) 
https://www.flickr.com/photos/waltz-for-the-moon/albums/72157712901351056

 

「これ好奇のかけらなり、となむ語り伝へたるとや。」  


(参考: 無動寺谷と酒呑童子説話との関係について) 
https://wisdommingle.com/?p=20985

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