ビットコインはデジタル時代の「現金(キャッシュ)」である
ビットコインといえばデジタル通貨であることで、キャッシュレス社会の一環として理解されることが多いです。書店にいっても仮想通貨関連書籍はキャッシュレスの書籍と同じコーナーに置かれていたりしますし、SNSでも「キャッシュレス社会になれば、ビットコインも広まりやすくなるだろう」という論調を目にすることが多い。
しかし、私は正反対だと思うのです。むしろ、ビットコインはキャッシュレス社会へのアンチテーゼであると考えています。
キャッシュレス社会では、全ての資金とその流れはどこかの組織の運営する台帳の上に置かれるわけです。銀行預金しかり、ポイントしかり、クレジットカードしかり。
そして、特定の企業や政府がそれを差し押さえようとしたら簡単です。政府があなたを反社会的存在だと認定し、金融機関に通知したらあっという間にあなたは一文無しになります。
現代社会が監視社会、警察国家であることはもはや言うまでもないでしょう。「不審者」や「宗教者」は徹底的に刈り取られ、テロ警戒の名の下にゴミ箱まで透明になり、身分証がなくては本屋のポイントカード一つつくれず、軽犯罪や、少しばかりバカをやっただけの若者は人生まで奪われる。
その状況はテクノロジーによって支援されています。
この状況が貨幣にまでおよんだものがキャッシュレスだといえます。キャッシュレス社会では、あなたの資金の流れは権力によって簡単に監視され、停止され、少しでも妙な動きがあれば詰問すら受けます。
キャッシュレス社会は監視社会の完成形です。
キャッシュレス(脱現金)社会とは、単に資金をデジタル化しただけではなく、人々の資産から自由とプライバシーを剥奪する社会です。
これに対し、現金は監視からの匿名性と独立性を保っています。物理的に抑えない限りは、誰もあなたの保有している現金だけを特定して使用不可能にすることはできません。
それは、デジタルとペーパーのマネーの大きな違いです。
現金はとても自由なのです。
そして、デジタルでありながらも、現金と同等の自由を保っているのがビットコインというわけです。
物理的に押収するか、秘密鍵やソフトウェアを奪わない限りは政府であっても金融機関であっても資金の流れを止められないのです。
これはつまりビットコインは、デジタル通貨が主流になった時代における現金に近い存在だといえるわけです。
この記事は2019年7月に別ブログで投稿した記事を一部修正したものです
https://takayukisan.blogspot.com/2019/07/blog-post_3.html