青き鬼の霊木と、比叡山の水神たる酒天童子

青き鬼の霊木と、比叡山の水神たる酒天童子

はじめに

ここでは、香取本『大江山絵詞』の絵巻に記されている「酒天童子(酒呑童子)が変化した楠」を出発点として、それに関連する叡山開闢譚の霊木や、その守護者であった青鬼、そこからさらに、酒天童子の水神としての性質などについてお話します。

目次
・はじめに

・酒天童子の昔語りのなかの霊木説話

・比叡山の所有権移転の霊木説話が記載されている文献群
  ・『法華経鷲林拾葉鈔』の、鬼の霊木の説話
  ・『日吉山王利生記』の、青鬼の霊木の説話
  ・身延文庫蔵『法華直談私見聞』の、青鬼の霊木の説話
  ・醍醐寺蔵『聖徳太子伝記』の、比叡山の悪鬼の説話
  ・『隋天台智者大師別傳』の、「華頂降魔」の説話
  ・魑魅魍魎: 山や川に棲む赤い童子すがたの鬼

・青色と水神のつながり
  ・比叡山の霊木と、大宮川の水源地帯
  ・比叡山の霊木の旧跡1 : 八部尾
  ・比叡山の霊木の旧跡2 : 虚空蔵尾
  ・弁慶水と水天童子
  ・水天童子(シュイティエン童子)から、酒天童子(シュテン童子)へ
  ・台密の水神たる水天
  ・鬼が城の壇上積基壇に描かれた波の文様
  ・酒天童子の首の下で波打つ青い水

・おわりに

・引用文献・参考文献

酒天童子の昔語りのなかの霊木説話

現在、逸翁(いつおう)美術館に所蔵されている香取本(かとりぼん)『大江山絵詞』(おおえやまえことば)の絵巻物は、現存最古の酒呑童子説話をつたえています。その香取本『大江山絵詞』のなかに、酒天童子が自らの来歴を語る場面があります。その場面では、古くから酒天童子が住みかとしていた「平野山(ひらのやま)」の土地(比良山地や比叡山地のあたりの地域)が、伝教大師(でんぎょうだいし)最澄(さいちょう)によって奪い取られてしまった、という話が語られています。

そのとき、その土地の先住者であった酒天童子(酒呑童子)は、最澄による侵略をはばむために、楠木(くすのき)の巨木に変化(へんげ)して抵抗しました。ですが、結局は、力及ばず、住みかを追い出されてしまいます。この下の文章は、香取本『大江山絵詞』に記されている、その経緯についての、酒天童子による昔語りの一節です。

この下の文章は、香取本『大江山絵詞』の上巻のなかの第5段の詞書(ことばがき)の文章の一部を釈文(しゃくぶん)にした文章です。

「我(われ)は是(これ)、酒を深く愛する者なり。然(さ)れば、眷属等(けんぞくら)には酒天童子(しゅてんどうじ)と異名(いみょう)に呼び付けられ侍(はべ)るなり。古(いにしえ)はよな、平野山(ひらのやま)を重代(じゅうだい)の私領(しりょう)として罷(まか)り過ぎしを、伝教大師(でんぎょうだいし)といひし不思議(ふしぎ)の房(ぼう)が此(こ)の山を点(てん)じ取りて、峰(みね)には根本中堂(こんぽんちゅうどう)を建て、麓(ふもと)には七社(しちしゃ)の霊神(れいじん)を崇(あが)め奉(たてまつ)らんとせられしを、年来(ねんらい)の住所(すみどころ)なれば、且(かつ)は名残(なごり)も惜(お)しく覚え、且(かつ)は栖(すみか)もなかりし事(こと)の口惜(くちお)しさに、楠木(くすのき)に変(へん)じて度々(たびたび)障碍(しょうげ)をなし、妨(さまた)げ侍(はべ)りしかば、大師房(だいしぼう)、此(こ)の木を切り、地を平(たいら)げて、「明(あ)けなば」と侍(はべ)りし程(ほど)に、其(そ)の夜(よ)の中(うち)に又(また)、先のよりも大(だい)なる楠木(くすのき)に変(へん)じて侍(はべ)りしを、伝教房(でんぎょうぼう)、不思議(ふしぎ)かなと思(おも)ひて、結界(けっかい)封(ふう)じ給(たま)ひし上(うえ)、「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)の仏(ほとけ)達(たち)、我(わ)が立つ杣(そま)に冥加(みょうが)あらせ給(たま)へ」と申(もう)されしかば、心は猛(たけ)く思(おも)へども力(ちから)及ばず、〔後略〕

上記の話の要点は、かんたんに言えば、「比叡山の土地の所有権が、先住者であった酒天童子(鬼)から、最澄に移った」ということです。そして、比叡山の土地の所有権は、巨木(霊木)によって象徴されています。

上記の『大江山絵詞』に記されている話と、なんらかのつながりがあるとおもわれる説話(あるいは、上記の話のもとになったかもしれない説話)が、比叡山延暦寺についての文献のなかに、複数残されています(牧野, 1990, pp. 87-94)。比叡山延暦寺の総本堂である根本中堂(こんぽんちゅうどう)の本尊は、薬師如来像です。それらの説話というのは、その薬師如来像をつくるときにつかわれた御衣木(みそぎ)(材木)となった霊木についての説話です。それらの説話の内容は、おおまかに言えば、上記の『大江山絵詞』の話とおなじような、「比叡山の土地の所有権が、先住者(鬼や、天龍八部、金剛力士、仙人など)から、最澄に移った」という内容です。そして、それらの説話においても、比叡山の土地の所有権は、霊木によって象徴されています。

(参考文献: 牧野和夫, (1990年), 「叡山における諸領域の交点・酒呑童子譚 : 中世聖徳太子伝の裾野」, 『国語と国文学』, 67(11), 87~94ページ.)

 

比叡山の所有権移転の霊木説話が記載されている文献群

さきほどお話したような、「霊木に象徴される、比叡山の所有権移転の説話」は、下記に列挙した文献に記載されています。

・『法華経鷲林拾葉鈔』巻第24 陀羅尼品第26
・『日吉山王利生記』第1
・身延文庫蔵『法華直談私見聞』
・『渓嵐拾葉集』巻第107 記録部 私苗 六
・『叡岳要記』上巻「虚空蔵尾本願堂縁起」
・『叡岳要記』下巻「最澄大師一生記」
・『山門堂舎記』(「根本中堂」の項目)
・『法華経直談鈔』(「廿三 山門三佛造事」)
・『山門堂社由緒記』(「本願堂」の項目)
・『比叡山堂舎僧坊記』(「佛母塚」の項目)
・『山門名所旧跡記』第1巻「東塔分」(「香炉岳(香炉ガ岳)」と「佛母塚」の項目)
・『山門名所旧跡記』第1巻「西塔分」(「登天峯」の項目)
・『面授口訣』(鎮国道場本仏 仁忠和尚八箇問答記云 第一)

また、上記の文献群に記載されている「霊木に象徴される、比叡山の所有権移転の説話」の原型のひとつである可能性がある説話として、聖徳太子についての下記の文献に記載されている説話があります。その説話は、霊木こそ登場しないものの、「かつて、聖徳太子が生きていた時代に、比叡山に悪鬼がいた」という内容になっています。

・醍醐寺蔵『聖徳太子伝記』(「太子卅二歳御時」)

また、『大江山絵詞』の酒天童子の昔語りにあった霊木説話は、比叡山延暦寺のはじまり(つまり、日本天台宗のはじまり)を物語る「開闢譚(かいびゃくたん)」でもあります。その「叡山開闢譚(えいざんかいびゃくたん)」の主題のひとつは、「開祖である高僧が、霊山で悪しきものにはばまれながらも、それに打ち勝つ」という部分です。その主題は、もとをたどれば、「華頂降魔(かちょうごうま)」の説話の主題をまねしたものであるようです。

比叡山延暦寺を総本山とする日本天台宗は、その開祖である最澄が、(中国の)天台宗の教えを継承して開いた宗派です。「華頂降魔(かちょうごうま)」の説話というのは、その(中国の)天台宗の開祖である智顗(ちぎ)にまつわる説話です。その「華頂降魔(かちょうごうま)」の説話の主題もまた、『大江山絵詞』の酒天童子の霊木説話とおなじように、「開祖である高僧が、霊山で悪しきものにはばまれながらも、それに打ち勝つ」という内容になっています。その「華頂降魔(かちょうごうま)」の説話は、下記の文献に記載されています。(「智者大師(ちしゃだいし)」というのは、智顗(ちぎ)の尊称です。)

・『隋天台智者大師別傳』

 ここからは、上記で紹介した文献群のなかでも、香取本『大江山絵詞』の酒天童子の霊木説話の成立に、とくに大きな影響をあたえた可能性や、ふかいつながりがある可能性があるとおもわれる文献と、そこに記載されている説話を、いくつかとりあげてみたいとおもいます。

 

つづきはこちら

上記の内容の続きは、下記のリンクの記事でご覧いただけます。https://wisdommingle.com/?p=26203

 

「これ好奇のかけらなり、となむ語り伝へたるとや。」

「比叡山延暦寺の東塔北谷の地区の地図」の出典: 国土地理院「地理院地図」, 地理院タイル (全国最新写真(シームレス))を加工・編集して使用しています, 地理院タイル一覧ページ: https://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html .

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