(3分でわかる)アメリカ合衆国と州の関係
日本において、アメリカ合衆国の州というのは、都道府県のアメリカ版と理解されることがあるが、州には、歴史的に州を防衛するための州兵という軍隊があり、州の統治機構と人権について定義をした州憲法、州法を制定する州議会、州法を執行する州知事、そして、州法を審理する州裁判所があり、実態は、国家と言える体裁を持ち、上記のイメージとは全く異なる。
州が国家的な体裁を持っているということは、アメリカの市民は、州の主権者という地位と、連邦の主権者という地位を持っているということである。言い換えれば、連邦政府を通じて、連邦市民としての主権を行使するが、他方で、州政府を通じて、州民としての主権を行使しているのである。これは、アメリカ合衆国が誕生した経緯に理由がある。
アメリカ合衆国の誕生アメリカ合衆国憲法が州を作ったわけではなく、1776年以前から、アメリカ合衆国を作る13の植民地は存在していた。すなわち、 北米大陸にあった13の植民地は、1776年に大陸会議(Constitutional Congress)を開いて英国から独立を宣言し、続いて、大陸会議は16ヶ月に及ぶ討論の末、1777年11月15日に連合規約(Article of Confederation and Perpetual Union)を採択した。この連合規約は、各独立した植民地(邦)間の連合を緩やかなものとし、権限が非常に限られた連合政府を樹立した。防衛、国家財政、通商と行った極めて基幹的な問題に関しては、連合政府は各邦議会の意向に従わなければならないとされていた。この規約は、1781年3月1日にすべての各邦の承認を得て発効したが、それがアメリカという国の最初の連邦憲法と言われる。つまり、連合政府はこの規約に記載された権限のみを行使することができるが、あくまでもその権限は州によって与えられたものであった。
連合政府は租税高権を持たず、その財政は各州の分担金でまかなうこととされたなど、連合政府の統治権という観点からは、この規約にはいくつかの欠点があった。独立戦争下においては、各邦も厳しい財政状況にあったため、分担金が約束通りに支払われることはほとんどなかったが、連合は財政経費の分担に応じない邦を罰する権限を持たなかった。連合はきわめて厳しい財政赤字に見舞われ、ワシントン指揮下の兵士に給料を払うことさえ満足にできず、独立戦争さなかに、軍が反乱を起こしたことさえあったほどであったという。
連邦政府の権限の拡大独立戦争に勝利すると、よりしっかりとした連邦憲法を作ろうという気運が高まり、1789年5月25日にフィラデルフィアで憲法制定会議が開催され、互いの譲歩の中で新憲法の起草が行われたが、こちらも各邦の批准は難航したものの、一部表現を抽象的にすることで、なんとか成立した。
独立戦争の間に合衆国が負担した膨大な債務を処理する手段として、連邦議会で合衆国銀行を設立する法が可決した。しかし、合衆国憲法には国立銀行を設立する権限は、明記されていなかったため、いくつかの州は憲法違反であると反発した。(当時、紙幣は個々の民間銀行が発行していた。)一部の州は、州が認めていない銀行の紙幣に課税をするなどして、積極的に合衆国銀行の営業を妨害した。州は「連邦政府の権限は州から委任されたものであり、州のみが真の主権国家であり、したがって合衆国政府は、唯一最高の支配権を持つ州に従属して、その権限を行使しなければならない」と主張したが、その行為は連邦裁判所によって合衆国憲法に違反するもの宣言された。後に、アメリカ合衆国と、アメリカ連合国と、奴隷制度の是非をめぐり行われた内戦である南北戦争(the Civil War)でも、上記の主張を根拠に南部側は合衆国を脱退した。
南北戦争は4年間続き、1864年に南部の敗北で終結した。リンカーンは奴隷解放宣言を行なったが、実はこの宣言は、個人の財産権を侵害する違憲行為であったため、奴隷制度を廃止する権限を連邦議会に与える憲法改正が行われ、今までは連邦に認められた権限を書いていた憲法に、州に黒人を差別するなどの市民の差別を禁止する遵守義務を課した。
建国当初においては、州の主権というものがあり、合衆国は憲法に拘束されていたが、南北戦争、憲法修正を経て、次第に、州は合衆国憲法および憲法を実施する連邦法に拘束されるという現象が生じている。
日本国においては、都道府県は、日本国憲法よりその権限が与えられた存在であるので、道州制を導入して地方自治体に更なる権限を与えることも、憲法を改正し地方自治体を消滅させることも可能である。