『大嶋神社・奥津嶋神社文書』で、釣垂岩のような岩で釣り糸を垂れる白鬚明神(比良明神)の末裔の翁

『大嶋神社・奥津嶋神社文書』で、釣垂岩のような岩で釣り糸を垂れる白鬚明神(比良明神)の末裔の翁

ぼくはいま、酒呑童子(酒天童子)の伝説について研究しています。その研究のなかのテーマのひとつとして、「酒天童子は、比良山地の地主神である比良明神と同一視されている」という説について、いろいろと調べています。(くわしくは、こちらの記事をご覧ください。)

そうして調べていくなかで、滋賀県の湖西地域をはじめとする、琵琶湖周辺の各地には、比良明神(ひらみょうじん)や、白鬚明神(しらひげみょうじん)などの名前で呼ばれる、「琵琶湖に釣り糸を垂れる老翁の姿をした神」についての伝承が残っているということがわかってきました。

ここでは、そうした比良明神についての伝承のひとつとして、『大嶋神社・奥津嶋神社文書』に記されている伝承を紹介したいとおもいます。

(ちなみに、いずれは、このテーマについての研究成果をまとめて、本(電子書籍)として出版する予定ですので、期待していてください。)

『大嶋神社・奥津嶋神社文書』
滋賀大学経済学部附属史料館(編纂)

大嶋神社・奥津嶋神社の所在地の地図
(滋賀県近江八幡市北津田町)

滋賀県近江八幡市北津田町に鎮座する大嶋神社・奥津嶋神社(おおしまじんじゃ おくつしまじんじゃ)に古来から伝えられている貴重な中世史料の文書をまとめた、『大嶋神社・奥津嶋神社文書』(おおしまじんじゃ おくつしまじんじゃ もんじょ)という本があります。

この『大嶋神社・奥津嶋神社文書』に所収されている「大嶋神鎮座記寫」(「大嶋神鎮座記写」)という文書のなかに、釣垂岩(つりたれいわ)のような岩の上で釣り糸を垂れる白鬚明神(しらひげみょうじん)(比良明神(ひらみょうじん))の末裔(まつえい)の翁(おきな)が登場します。

下記の文章と、その翻訳文が、その白鬚明神(しらひげみょうじん)の末裔(まつえい)の翁(おきな)が登場する場面の文章です。

「このくに津田の庄にとしふるくすみ、しらひけの御神の御すへなりとて、いのちもなかきおきなありて、つわきのつちいしといへるいはのうへにてつりたれてあそふ事をすきたりしか」

(筆者による翻訳文: 「この国津田の庄に年古く住み、白鬚(しらひげ)の御神の御裔(すえ)なりとて、命も長き翁ありて、津脇(つわき)の土石(つちいし)と云へる岩の上にて釣り垂れて遊ぶ事を好きたりしか」)


上記の文章は、下記の文章のなかにある文章です。


(下記の文章は、『大嶋神社・奥津嶋神社文書』(おおしまじんじゃ おくつしまじんじゃ もんじょ)の本に記載されている、欠損部分や、この本の編集者が補った言葉や漢字、などの情報を踏まえて、参考にさせていただいたうえで、筆者が、適宜、読みやすいように書き換えたものです。「●」の記号は、欠損部分をあらわしています。)

大嶋神●

あわうみのくに津田の庄にいつきまつる
御神ハ大國主の御神、多治比米の御神、奥津島姫の御神、事代主の御神たちなり、このくに津田の庄にとしふるくすみ(住)、しらひけ(白鬚)の御神の御すへなりとて、いのちもなかきおきなありて、つわきのつちいしといへるいはのうへにてつりたれてあそふ事をすきたりしか、ある夜はるかきたのかたをくしまの杉のはやしにひかりかゝやけるを見たり、おうなあやしと思ひ、あし原をかきわけてひかりをたつねさくるに、けたかきいくたりもの神、杉の木末にいまして、われハむなかたの主なり、このこのミつうみのけしきよく●をり〳〵遊ひたりしに、いまはかへるましとのたまいしゆへ、おうなをほいによろこひ(喜)、かなたこなたとよきところをもとめ、いつきたりしに、のち●●しまの宮の神とはなれり、●●●のちなかをほひ●みかとのきさき、いたつき●●●しに、みかともいたくわつらいたまいぬ、ある夜のゆめに、ひとりのをうな御まくらのもとにうつくまる、われハを●しまの主なりとてきへにけり、みかとあやし●●みことのり御つかいをたて、きさきのいたつき祈りまし〳〵しに、とみにいへたりけれハ、みかとふかくゑいかんまし〳〵、この●●へみゆる●たまい、みてくら(御幣)をさゝけまし〳〵

(参考: 「二二三 大嶋神鎮座記寫」(「二二三 大嶋神鎮座記写」), 滋賀大学経済学部附属史料館(編纂) (1986年) 『大嶋神社・奥津嶋神社文書』, 滋賀大学経済学部附属史料館, 66ページ.)
(引用文のなかの太文字などの文字装飾は、引用者によるものです。)

 

『大嶋神社・奥津嶋神社文書』
滋賀大学経済学部附属史料館(編纂)

この下の引用文は、この『大嶋神社・奥津嶋神社文書』の本についての説明です。

 本文書は、滋賀県近江八幡市北津田町に鎮座する大嶋神社・奥津嶋神社に古来伝えられたもので、本館が保管する国の重要文化財である菅浦文書、県の重要文化財である今堀日吉神社文書とならぶ県下の貴重な中世史料の一つである。その内容は、ほとんどが中世の社会経済史料であり、特に「庄隠規文」をはじめとする惣の定書や湖上漁業、宮座関係文書、それに嘉吉元年の徳政札など学界で注目される豊富な内容をもつものである。

(参考: 滋賀大学経済学部附属史料館(編纂) (1986年) 「序」, 『大嶋神社・奥津嶋神社文書』, 滋賀大学経済学部附属史料館.)

 

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「これ好奇のかけらなり、となむ語り伝へたるとや。」

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たくさんの人が、目を輝かせて生きている社会は、きっと、いい社会なのだろうとおもいます。 https://yukinobukurata.bio.link/

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