「翔んで埼玉」に見る日本の国民性

「翔んで埼玉」に見る日本の国民性

2月8日にテレビ放送された、映画「翔んで埼玉」。

皆さんご覧になりましたでしょうか?

私も初見でしたが、大いに笑い、大いに楽しみました。

 

さて今回は、この映画から私が感じたものを書きます。

「国民性」などというと偉そうですが、どうぞお付き合いください。

 

①日本人は序列が好き

「翔んで埼玉」では、東京・神奈川が、千葉・埼玉を見下している。

それがリアルだからこそ、設定として惹きつけるのです。

 

日本人は格付けが好きです。

人を上下で分けたがります。

そうでないなら、マウンティングとか、スクールカーストなんて言葉があるわけがない。

 

たとえば人事において、そう簡単に、年功序列や学歴重視がなくなるとは、私には思えない。

少なくとも、日本社会全体においては。

それを克服できるとすれば、それを明確に企図する小集団においてだけでしょう。(それは日本ではかなり異端の集団になると思われます)

 

②しょっちゅう仲間割れ

埼玉解放戦線が決起しようという場面で、支部の面々が言い争う場面があります。

これは、日本史でよく見る光景ですね。

実際、「日本人は身内に敵を見出したがる」という指摘もあるそうです。

 

それに、日本の歴史上、大きな戦いで負けた側というのは、だいたい仲間割れしているのです。

鎌倉幕府の滅亡然り。

関ヶ原の戦い然り。

奥羽越列藩同盟然り。

 

もっと視野を広げれば、劣勢にある側というのは、たいがい団結できていません。

たとえば、女性です。

女性は一枚岩ではない。

女性の利害が対立している。

女性全体が団結すれば、社会の過半数を占めるはずなのに、それができない。

それが女性差別が解消されない理由の一つです。

 

③日本人は世襲が好き

「翔んで埼玉」では、麻実麗(GACKT)も、壇ノ浦百美(二階堂ふみ)も、阿久津翔(伊勢谷友介)も、父親の跡をつごうとします。

みごとな世襲の世界です。

 

政治家の世襲が批判されたことがありましたけど、あれってどうなんでしょう?

会社経営者も、お寺の坊さんも、歌舞伎役者も、落語家も、みんな世襲。

そんな日本で、なぜ政治家だけ世襲NGなのか?

ちょっと、無理があるのでは、と私は思ってしまうのです。

 

世襲が大好きな日本で、世襲の政治家をなくそうとすれば、それこそ民主主義をやめるしかない、といのが私の考えです。

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