
『ザ・インターネット・オブ・マネー』第2章 Peer-to-Peer Money 日本語訳
とりわけ大変心温かな皆さんの元にビットコインの話をしに、また戻って来れて嬉しいです。
今日はお越し頂き大変ありがとうございます。ランチはお楽しみ頂けましたか?少々眠たいでしょうか?
それでは、この講演が楽しくなるといいんですが、目を覚まして仕事に戻りましょう。
簡単な質問から始めさせてください。この中でどれぐらいの方がビットコインに慣れ親しんでいますか?
わかりました。
この中で何人の方がビットコインを持っている、または使った事がありますか?
素晴らしい!手を挙げなかった方は、手を挙げた人たちから一人見つけてビットコインの使い方を見せてもらってください。もしくはこの講演の後に私の所へ来てくれたら、喜んで使い方をお見せするだけでなく、試せるくらい少量のビットコインも差し上げます。
ビットコイン丸ごとではなく、ほんの端数、数ミリビットですよ。試してどう動くのかを確認できます。
ビットコインを体験してみるのは重要なことです。
今日は、お金の歴史について話をしたいと思います。
多くの人々が私にビットコインの最新の話題について話してくれるよう頼んできますが、私が本当に話したいのは古代の歴史についてなのです。
お金についての歴史的な文脈を提供し、その文脈の中でなぜビットコインが重要なのかをお話したいのです。
始めに簡単なクイズを皆さんに出します。もしお金をテクノロジー、人類の文明が発明したテクノロジー、技術的なシステムだと考えるなら、このテクノロジーは何年前からあるものでしょうか?
たくさんの様々に異なった答えがあるようです。 人々が400年前、2000年前からと答える時、私はいまだ驚かずにはいられません。
実の所、私たちは本当にはお金が何年前からあるものなのか分からないのです。我々はまだ、お金を使っていなかった古代文明を発見していません。
ですから少なくともお金が文明と同じくらい前からあるものであるのは知っています。
お金が文字より古いと知ると人々は驚きます。文字の考古学的発見を見ると、象形文字や楔形文字などがあります。こうしたあらゆる古代文字の形態で、彼らは何を書いていたと思いますか?
お金についてです。
彼らは台帳を書いていたのです。発見されたあらゆる古代文字の形態で彼らはお金について記述していたのです。お金は文字よりも古い。では、お金は車輪より古いでしょうか?
それは分かりませんが、私たちは車輪がお金として使われていた事を知っています。
車輪と同じくらい古いのかもしれない。もしかしたら最初の車輪はお金として売られていたのかもしれないし、お金の形として使われていたのかもしれない。
石器時代にまで遡る遺跡では、貝殻、羽、ビーズの形をしたお金の存在が確認されています。
実は、霊長類にもお金の使い方を教えられるんです。サルやチンパンジーにお金の使い方を教えたいくつかの研究があります。
特定のタイプの石をバナナと交換できるように教えられたのです。その後、サルとチンパンジーがこの新しい情報で何をするかを待ってみました。
あっと言う間に、彼らは武装強盗を発明しました。
他のサルをぶちのめせば、その石が手に入りバナナと交換できるのを理解したのです。
驚いた事に、彼らの2番目の発明は売春でした。
性的な行為が石と交換でき、それをバナナと交換できると理解したのです。
この事からお金の性質について何がわかるでしょうか?
私が思うに、重要な洞察はお金はコミュニケーションの一形態であるという事です。
非常に基本的なレベルでは、お金は価値ではありません。お金は価値の抽象化、価値を伝達する方法を表しています。
お金は言語なのです。
ですから、お金は言語と同じくらい古い可能性があります。価値を伝える能力は言語と同じくらい古いのです。
色々な意味で、お金は言語的な構成要素の特徴を持っているので、コミュニケーションの一形態と言えます。
私たちはお金を使って、商品やサービス、行為に価値がある事を表現しています。私たちはお金を社会的相互作用の基本として利用しています。
お互いに価値を伝え合う事で、社会的な繋がりが生まれます。お金は非常に重要な社会的構成要素です。
つまり、お金は古代からある技術なのです。
しかしながら、歴史的・技術的見地からは最も研究されていないテクノロジーの1つです。
ビットコインはお金の新しい形を表わしています。
少しの間、お金のテクノロジーがどれだけの頻度で変化してきたか考えてみてください。今までに何種類のお金の形があったのでしょうか?
価値のコミュニケーションにおいて、私たちは同じ価値と思われる物事を交換します。ヤギを持ってるなら、20本のバナナと交換するかもしれません。でもそれは物々交換なので、本当のお金とは言えません。ですが、これは最もシンプルな価値を伝えるコミュニケーションの形です。
その後、私たちは最初の大きな技術的進化であるより抽象的な形のお金を見出し始めました。羽、ビーズ、結び目のあるカラフルな紐と言った食べれない物と交換し始めたのです。
おそらく美術的な目的にでも使えるでしょう。
お金が抽象的な形を取ったのは、消耗品として他の物と交換できる本質的な価値を持つものとしてのあり方を止めた、最初の大きな変革の瞬間でした。
そしてそれは、抽象的な価値を参照するものになったのです。
こうした抽象的な形の最も人気のあるものの1つに貴重な金属がありました。これはお金の最も重要な特徴をいくつか組み合わせたものです。
大きな石や、大量の羽根などよりもより一層見つけるのが困難であり(希少性)、持ち運びやすく(運搬性)、分割して細分化できて、一方、美術的な目的でも普遍的に評価されている。
これがお金における2度目の大きな変革です。
貴金属が導入されるまでに何十万年もかかっています。中東の肥沃な三日月地帯の農耕文明の始まりとともに。バビロニア人、エジプト人、ローマ人、ギリシア人らがこうした貴金属を発展させたのです。
テクノロジーとしてのマネーに2つの大きな革命があり、その後は何千年も何もありませんでした。
そして誰かが、自分のゴールドを他の誰かに預ける事ができるという素晴らしいアイデアを思いつきます。
信用のおける誰かに預けると、彼らは代わりにこう書いてある紙片をくれます。
“私はこれだけのゴールドを金庫に保有しています”
ゴールドの代わりにその紙で取引ができるようになりました。なぜなら持ち運びがだいぶ楽なので。自分のお金が金庫に保管されていると信用する限りは、新しい形のお金を有するようになったわけです。
お金に革命が起きる度に、懐疑的な態度が見られます。
私はこれが人類の文明の中で最も懐疑が深まった瞬間だったと思います。多くの人々にとって、この紙と言う新しいお金の発明は物議を醸しました。
もし人々がビットコインについて怯えているとお考えなら、ゴールドの代わりにこの紙切れを使って物やサービスを取引しろと言われた時に、人々がどれだけ怯えていたか想像してみてください。
多くの人々にとって、これは考えられない事でした。結局の所、この紙には明らかに価値はないのですから。紙のお金が広く受け入れられるようになるまで、約400年を要しています。信じてください。それは社会において大異変だったのです。
そして約60年ほど前にプラスティックカードとして新しいお金の形を目にします。実の所、最初のカードは紙でしたけども。アメリカではダイナーズ・クラブが初めてクレジットカードを作ったのですが、それはトラベラーズ・チェックの形をしていました。
みんなそれを見て言いました。「こんなのお金じゃない。ちゃんとした紙のお金をくれないか?」
それらは徐々に受け入れられ、そしてこれがお金のもう一つの大きな変貌となりました。
そして今、我々はビットコインを手にしています。貴重な金属から紙に変わったぐらいのかなり過激な変貌です。もしかしたらそれ以上に過激かもしれません。
ビットコインとは何でしょうか?
ビットコインを説明する際の根本的な問題は、私たちのこれまでの経験を参考にし、何千年もの間の、物質的な形をしたお金とは何であるかと言う理解に基づいて、いったいどうやったらこの完全に抽象的な形のお金を説明したら良いかという事です。
ネットワークでの受容を表現するトークンとして、ネットワーク・セントリックな形のお金でしょうか?
でもそれだと、これは一体何であるかの説明を始めてすらいません。
ビットコインを説明する際の私が気づいた誤解、それは人々がこれを単なる支払システムと考え、ビットコインとは単なるお金のデジタル化だと考えてしまう事があります。
「ビットコインはデジタル・マネーです。」というのはある意味、無意味です。なぜなら私たちはもうすでにデジタル・マネーは持っているのですから。
私たちはビットコインが登場するだいぶ前からデジタル・マネーを使っています。皆さんは銀行口座を持っているでしょう。そうした銀行口座にはデジタルの台帳があります。銀行口座を使えば、電子的に支払いが送金できるのです。
それはデジタル・マネーです。でもビットコインは単なるデジタル・マネーではありません。ビットコインはテクノロジーであるマネーの変革なのです。私たちが以前に知っているそのどれとも違うため、ビットコインを把握するのは難しいのです。
ですので違った切り口で話を進めましょう。ネットワークアーキテクチャに関して少し話したいと思います。
ビットコインは真空から生じたわけでありません。
それは、私たちが基本的な社会制度の変革を目撃しているこの歴史上の瞬間に起こったのです。
変革とは、この偉大なネットワーク・セントリックシステムの時代です。
何世紀もの間、社会制度はヒエラルキー的な機関を中心に組織されてきました。民主主義、銀行そして教育などです。私たちの社会的相互作用は、こうした官僚的なヒエラルキーの中で、権威に訴えることを中心にして組織化されていたのです。
そしてインターネットの発明により何かが起こりました。
こうした社会制度の多くは閉鎖的で、不透明で、説明責任を持たず、階層的で複雑なルールのシステムから、プラットフォームへと変化していきました。
情報にアクセスするためのインターフェイスやAPIを持ち、情報が組織の内外へと流れるシステム。機関からプラットフォームへ。
そして私たちは、プラットフォームからネットワークプロトコルへのより重要な変革を目撃しているのです。
このプラットフォームからプロトコルへの変化において興味深いのは、プロトコルがあれば権威に訴えるのは不要という点です。
TCP/IPはサービス提供者によって異なった動作はしません。
TCP/IPはコンテクストに関係なく世界中のどこででも動作します。TCP/IPを利用するのにアカウントへサインアップする必要もないのです。
単にその言語を利用するだけでいいのです。
一度プラットフォームから言語へと移行すると、こうした可能性の全てが開かれます。
ビットコインは初めてのネットワーク・セントリック、プロトコルベースの形態をしたマネーです。
これが意味する所は、ビットコインは制度上やプラットフォームのコンテクストに関係なく存在するという事です。
このポイントにはすぐに戻ってきます。これはとても重要なポイントです。
ビットコインは、ピアツーピア・マネーと言われます。
これはどういう意味でしょうか。これはネットワークや分散システムの観点から使われるアーキテクチャの事で、システムの参加者間の関係性を表しています。
ビットコインのアーキテクチャはピアツーピアです。なぜならネットワークの全ての参加者は等しいレベルでビットコインのプロトコル言語を話すからです。
マスターノードのような“特別な”ビットコインノードといったものはありません。全てのノードは同じです。あなたがトランザクションを送れば、全てのピアはそれを同じように取り扱います。コンセンサスルールの検証に関してネットワークから受け取る情報の他に、他のコンテクストを持たないのです。
コンテクストや状態というのは分散システムでは興味深い問題です。
Facebookのアカウントを持っていてログインすると、状態はFacebookによってコントロールされます。あなたが持てるのは唯一ログインセッションだけ。他の全てのデータは彼らによって保有されています。
これを“クライアント・サーバー”アーキテクチャと呼びます。
ビットコインは違います。そのアーキテクチャはピアツーピア、ちょうどEメールやTCP/IPと同じようなものです。
面白い事に、私たちはお金の話には消極的です。ほとんどすべての国で、お金が教育カリキュラムの一部になっていないのは衝撃的な事です。
5歳の子供はお金に関して素晴らしい質問を持っていますが、ほとんどの両親がそれに答えるのはほぼ不可能に思うでしょう。
「お母さん、お金って何?お金ってどういう仕組みなの?」
「どうして私たちはもっと持てないの?どうしてみんなももっと持てないの?」
まさか「スージー、部屋に戻って良い子でインフレの勉強をしなさい。その質問への答えを理解するまで戻って来ちゃだめよ。」とは言わないでしょう?
私たちはお金について話し合ったりはしないのです。
社会的相互作用の多くの側面の基礎として、このテクノロジーを利用しているのにそれが完全にタブー視されているのは、とても奇妙な事です。私たちは皆、少なくとも本質的には、お金の事を特には気にしていないようなふりをしています。もっと高い目的や志があるかのように。
毎日使っているのに、あまり話題にしません。お金は汚い話題であり、私はそのアーキテクチャがそうした認識に関係があるように思います。
ビットコイン以前の、お金で繰り返されていたのは、金庫に保管された貴金属と交換して発行された際に、それは負債の形で表現されていたという事です。
これは理解すべき重要なコンセプトです。なぜなら私たちのお金の議論に影響を与えるからです。
あなたは銀行にいくらお金をお持ちですか?
あなた方の誰も銀行にお金を持っていません。
あなたは現物のお金を貸金庫に保管しているのですか?もしそうならあなたは銀行にお金を持っていると言えるかもしれませんね。何人かの人はそう言うでしょう。わかりました。でも残りの人達は実際には、自分のお金を銀行に貸し出しているのです。
銀行にお金を貸す特典として、あなたには年利0.00001%という驚異的な金額が支払われます。銀行はあなたのお金を受け取り、振り返ってあなたの隣に立っている人に、24.99%の年利で貸し出すでしょう。
これはクライアント・サーバー関係のようなものです。なぜならお金はあなたが管理できないサーバーの台帳上に保管されており、負債の形としてしか存在していないからです。あなたは単なるお客さん(クライアント)であり、それに関しての一切がコントロールできないのです。
あなたは、サーバーが仲介しない限り、そのお金への基本的なインターフェースすら持っていません。
これがクライアント・サーバー・アーキテクチャが行うことです。
分散システムには、第二の当事者があまり意味のない弱いコピーしか持たないような、クライアント・サーバー・アーキテクチャの特定の形態を表すための別の用語があります。
それは“マスター・スレーブ”・アーキテクチャと呼ばれています。
これまでのお金の繰り返しをマスター・スレーブ・アーキテクチャとして考える時、このシステムに関しての不快な質問をしなければならないでしょう。
「奴隷は誰?」
負債のシステムにおいて、2人の当事者の内、片方は常に奴隷です。あなたはクライアントであり、サーバーではないのです。
サーバーはあなたに仕えるのではなく、彼ら自身に仕えるのです。彼らがこのマネーのアーキテクチャ上でのマスターなのです。
これが私たちの文明が利用している、自分がコントロールを持たず、全てのやり取りがそのお金に関する完全なコントロールを有する第3者によって仲介される、私たちが住んでいるマネーのアーキテクチャです。
今日、ATMに行ってカードを差し込めば、おそらく銀行はあなたにお金を返してくれる事でしょう。
でもある日…サイプラスやギリシアやベネズエラ、アルゼンチン、ボリビア、ブラジルの人々のように。
そこに連なる過去数十年、数世紀におよぶ何百もの国々のリスト。
銀行に出向きそして気付く…
銀行はもうあなたのお金をあなたに返したくはない事に。
彼らにはそうする必要がないのです。これがマスター・スレイブ関係の本質です。
ビットコインは根本的に異なっています。
ビットコインでは、あなたは誰にも借りがなく、誰もあなたに借りがありません。
これは、負債をベースにしたシステムではないのです。抽象的なトークンの所有権をベースにしたシステムです。
完全なる所有権。
アメリカにはこういう言い回しがあります。
“実際に持っていれば法律上9割で自分のもの”
この表現を聞いた事があるでしょうか?
ビットコインでは、“実際に持っていれば10割で自分のもの”
あなたがキーを管理しているなら、それはあなたのビットコイン。
あなたがキーを管理していないなら、それはあなたのビットコインではない。
キーを自分で管理していないのにビットコインを保有していると考えているとしたら、それは銀行との“主人と奴隷”の関係に逆戻りしている事になるのです。
ビットコインはマネーの根本的な変革を表現しています。
人類文明の中で最も古いテクノロジーの1つを根本的に変えてしまう発明です。
それはマネーのアーキテクチャを破壊し、参加者誰もが平等で、トランザクションはネットワークのコンセンサスに従う以外にはどんな状態もコンテクストも持たないものへと作り替えます。
あなたのお金はあなたのものであり、アプリのデジタル署名を通じてあなたが完全にコントロールできる。
誰にも検閲できず、誰にも取り押さえられず、誰にも凍結できず、誰もあなたに指図できない。
ビットコインは国境を超えると同時にボーダーレスなマネーのシステムです。
私たちは今までこのようなマネーの仕組みを持った事などなかったのです。
お金が光の速さで世界中の誰にでも送金でき、フィーチャーフォンのようなシンプルな端末で参加できます。
ビットコインは、マネーにおいて多くの人々に恐怖を与える技術革新を起こしています。
彼らは言うでしょう「ビットコインが犯罪者に利用されるのを大変心配している」と。
しかし真実は、彼らがより恐れているのは私たち残りの人々が、そのように(ポジティブに)ビットコインを利用することに対してなのです。
ありがとうございました。