
すでに小学校英語で2極分化がすすみつつある?
はじめに
今春、英語が小学校で教科として本格導入されます。それに関して学習支援業にたずさわる立場でしばらく前から気になっていることがあります。
いびつなグラフ
10年ほど前のことですが、ある県の公立高校入試の県全体の受験生の成績分布(公開済み)のグラフを見て、おや?と思うことがありました。
一般に、こういった大きな集団の成績を表すグラフは、正規分布といって成績の中位ぐらいの人が多くて、両端が少ない山型のグラフになることがほとんどです。入試で難易度はそこそこありますから、満点の半分ぐらいの点数を頂点に、両側になだらかなすそをひくように分布します。
ところがその年の英語の試験のグラフは違いました。あきらかにいびつです。ふたこぶらくだのこぶのようでした。つまり、成績の下位のところに山があり、もうひとついびつな形に平均より上位に山があるのです。
2極化について考えた
問題づくりにたまたま偏りがあって、このようにいびつになったのだろうと思いました。そこでそこから過去数年分のデータをさかのぼってみると、やはりその傾向をしめしており、これがつづいていることがわかりました。
最近ではほかの教科でもこの形が現れることがあります。あきらかに下位にある程度の人数、同時に高得点にも分布する層がいるということです。
つまり、授業についていけなくなった層が大きな集団になりつつあることをあらわしているのではないかと危惧しています。
小学校の英語導入について
とくに英語では、20年ほど前から小学校5,6年生ではじめて英語が導入され(最初は教科ではなく成績はつきませんでしたが)、それらの児童が中学校に進学、公立高校入試でその傾向をしめしたと時系列で考えることができそうです。
ほぼ20年間の「様子見」から、いままさに新たな教科として小学校で取り入れられようとしている英語です。その船出にあたり、学習をサポートする立場のわたしは不安を払拭できないでいます。
すでに小学校の英語で何をしているのかよくわからない、きらいとの児童の声がわたしの耳に届くようになりました。おもに成績中位~上位にしたいと希望して訪れる中学・高校生をサポートする立場のわたしには、英語に対する生徒たちの意欲がマイナスからはじまる試練となりそうです。
この傾向は拡がっているのか
そして、ついに地元の中学校でも、学年によっては定期テストでこういったいびつなグラフが目立つようになってきました。
県の調べではじつに全体の生徒のうち、6人に1人が入試点数の20%をとれずにいます。同時に上位10%の選抜には点数差が小さすぎて、何年か前には進学校向けに別問題を準備すべきかどうかという声が聞こえてきたぐらいです。
英語の見直しの必要性
この国の教育制度は猫の目のように変わりつづけています。国家百年の計で教育はなされるべきが理想でしょう。しかし現実はそうではありません。今春からの小学校への英語導入はまったなしですが、残念ながらすでに見直し・検討の時期にきていると思われます。
今年、大学入試共通テストの実施初年度で、英語の試験内容が以前と様変わりしました。文法など以前ならば典型とされた問題は皆無で、膨大な情報量の問題です。
そして英語の検定試験類似の問題が増えました。実用重視の傾向ですので、大学では二次試験の英語で従来形式の英語問題をより出題する傾向が強まりそうです。つまり文法・読解と実用のどちらもできないといけなくなりそうです。
中学と大学のギャップ
中学生に英語を教えていて思うのは、志望先として増えている一部の私立高校では、大学進学を視野に入れているので、文法をしっかり学んでいないと解けない問題が出題されています。大学進学を希望する層が増えている昨今では、そう簡単にはかわりそうにはありません。
つまり英語が教科として小学校に登場すると、国としての理想は成績中間層が難なく使える英語の習得をめざしたいのに、実態は受験に必要な英語として小学校の英語が扱われるのではということです。
さらに現状は、全国トップレベルの難関私立高校2年生の英語のリーダーのテキストが、米国の小学生中学年の読む小説という実例があります。果たして今回の日本の英語教育の改革で大学を出たとして身につく英語はどの程度のものになるでしょう。
べつの2極分化も
すでに私立の中学校では、英語入試の導入が増えつつあり、さらに私立小学校では英検対策と称して高学年で、3,4級をめざそうという情報を目にしたことがあります。
したがって英語の教育内容でも私立と公立で2極分化が起こることが危惧されます。その格差は一貫校が増えつつあるなかでますます拡がるでしょう。
さいごに
小学校英語、やってみないとわからないじゃないかという意見が聞こえてきそうですが、すでに導入から20年間、小学校でほぼやってきたことが教科として成立するわけです。
この40年間、教育にあたってきましたが、残念ながら制度を変えるべきだなと思った時点では、時を置かずにそのように変わっていく気がしています。どちらかというとやむなくおこなわれる変更です。
また翻訳アプリが出はじめていますが、正確に翻訳できているかどうかの把握、人と接してニュアンスが伝わっているかどうかのコミュニケーションがとれたかどうかの認識は実体験に基づいたべつの次元で考えないとなりません。
英語とそのほかの教科に関して、バランスをとりつつどのように対策を施すかどうか、このままでは明確に2極分化することが危惧されます。