養老先生とわたし1

養老先生とわたし1

一年ちょっと前に私は Biophilia.No.0  という本を書き上げました。それはニホンミツバチとの暮らしを始めた頃からこれまでで、何を感じ発信し続けようと思ったかをつづったものです。ニホンミツバチとの出会いは、単なる昆虫好きから派生したものではなかった。どちらかといえば、私は虫がそんなに好きだっただろうか?それまでの自分を思い出しても決してそうとはいえない。私はある状況下においてミツバチとともに生きることを選んだのだ。しかし、それからの私は虫好きであることは間違いない。意識してそう変わったのか、ミツバチの存在が私を変えたのか、どうだったのだろう。

それがきっかけだか、その頃から私は養老先生が好きだった。私が一番好きなのは、先生が2017年だったか、横浜トリエンナーレの公演で話されたもの。あの公演を観た時心が躍った。

ずっと私は、自分が感覚として間違っていないと思っているのに、どうしても人に伝わらない事があり、それを心にしまって過ごしてきた。そのようなものを自分なりに今回私が書いた本を読んでくれた人の心にすっと入ってくれたら、という思いを自分の本に込めた。しかし、全くの素人が初めて本を書いたので、とても自己満で収まるものではない。この一年間でも何度書きなおしただろうか。

その初めての本の出来上がりホヤホヤを私は養老先生に送りつけたのだ。(現時点のBiophilia,No.0は少し手直ししてシンプルになり、少し読みやすくなっている。と思う)

送りつけたという表現は正しいと思う。もし私が反対の立場であれば、見ず知らずの人間から突然長文の手紙とともに本が送りつけられるなどある種恐怖だ。しかも私は一度送った後、しばらくして手直しした本を再度送りつけたのだ。

・・なぜ養老先生に送ったか。

私は私の中の真実が周囲に伝わらない事でずっと自分に自信がなかった。それでも確信があった。・・しかしここまで伝えることができないのはどこかズレているに違いない、そのズレが何なのか、誰に聞けばその答えを教えてもらえるのかをずっとわからずいた。少しばかり著名な方々に体当たりするアクションも過去にはあったが、ある時は会うまでに至ったにも関わらず何も言わなかった。要するに撃沈したと言っていいです。それで思ったのです、どうぜ撃沈されるならテッペンに怒られよう。それでおこがましくも私は、最も尊敬する知の巨人養老先生に自分が書いた本を送ったのです。

その後、数日はその件が頭をよぎる度、一人頭をかかえてみたり、要するになんともいえない気持ちとはあーゆーことで、なるべく思い出さないよう心がけました。そのうちそんな事も薄れそうな一ヶ月ほど経った頃、突然養老先生から絵葉書が届いた。かわいいリスの絵が書いてあった。私は私が自分の奥底にしまい込んでいた自分の気持ちがいかほどのものであったかその時理解した。

その絵葉書で、先生のお父さんの在所が隣町(正確には峠を越えた隣、私の住む町は岐阜県と福井県の県境にあり、岐阜県側が私の住む町、福井県側が養老先生のお父さんの在所である。)だった事を知り、勝手にご縁を感じ、またまた感激した。こんな一大事はSNSに乗せたくなるのは人なら当たり前である。もちろん私も載せたに決まっています。しかし、少し経って個人的なものだけ残し、後は消すことにした。大切な思い出として、ひっそり残したいと気持ちが変化した。

・・数日した夜、私は脱衣所の隅に気配を感じた。目にしたのは竜のような背だった。とって付けのように思われるかもしれないが、私はその背を見たとき何か神の使いでも見たような気がした。その数十分後その背の持ち主が姿をあらわすことになる。これまでに見たことない大きなムカデだった。人というのは規格外のものを見ると恐怖より、興味が勝るということもあるようです。数分その大きなムカデを観察することにした。よく見ると愛嬌がある。きっとこのあたりの主に違いない。なんかもっさりしてちっとも動かない。普通ピンッとまっすぐなはずの触覚は外向きにカールしていた。何だか粗末に扱ったらバチが当たりそうな気がしてきて、車にひかれない安全な場所に放してきた。

・・その次の日、やはりあのムカデは神の使いだったことがわかる。

共同通信の養老先生の担当とおっしゃる方から電話がきた。私は勝手にSNSに載せた事のお叱りに違いないと思いつつ電話を代わったが、それは思いもよらぬ内容だった。先生がこの本読みなさい。と私の本を渡されたとその方はおっしゃった。まさに目が点とはこのことで、鳩がマメ鉄砲食らった顔を私はしてたに違いない。

立て続けその日の夜、今度は養老先生のご友人で福井県材木会社の社長さんである田中さんから電話がきた。先生は私の本を自らコピーしてみんなに読めと配っている、(と田中さんは言っている)あくまで、田中さんからの又聞きであるので、多少というか大いに田中さんのリップサービスは含まれると推測し、有頂天になりそうな自分を収めた。その方が後の自分にとってよかろうと喜ぶ気持ちを今はセーブした。・・だって、養老先生から直接聞いたわけではないのだ。とはいえ、嘘でもそんな事聞いて嬉しくない人間がいるものか。

次の日、田中さんがまた電話をくださった。先生が2週間後福井に虫捕りにいらっしゃるという。その後先生のお父さんの在所で夜、光るキノコを見つけに一緒に行きましょう。と、そしてその足で白鳥まで行きたいとおっしゃっている、と田中さんはおっしゃった。

そんな夢のような話は数日続いた。

それからコロナというのもあったが、先生が体調を崩され、またその後、田中さんも体調を崩されてその話は残念ながら流れてしまった。その後、養老先生も田中さんも回復されたようで、私も本当に心から安堵しました。昨年末には養老先生とまるの特集をNHKで見て先生のお元気な姿を見ることができて嬉しかった。しかし、養老先生の愛猫まるが死んだこともその特集で同時に知った。うちの黒猫ヌメがその半月前に天国へ旅たったことも何だかシンクロしてて切なくなった。

何だか色々あったけど、私が先生に本を送りつけてから一年が経った。

田中さんは去年の6月4日(虫の日)に先生から私の本を渡されたと言った。それからお二人の身に大変な事が起きたりして、もう私の夢のような話は無くなった。それでもいいじゃない、先生も田中さんも元気になられたし、私には先生からもらった絵葉書とエピソードは残ったのだから。

それに、田中さんは教えてくださった、養老先生が私の本を読んで「自分の言葉で書いてある」と言ってくださったと。そして、その晩福井へ帰らなければならない田中さんを泊まっていけと引き留めてまで、読ませようとしていたと。これを私は真実だとありがたく受け入れることと決めよう。

普通に生きてて、こんな経験なかなかできるものではない。そう心が収まって数ヶ月。

・・なんだこの展開は、田中さんは私を覚えていてくださった。田中さんからまた電話が。

この物語はまだ続く事ができるか。

私は養老先生にお会いする事ができるのだろうか!?

私が一番、乞うご期待あれ。である。

この続きが書けたらいいな。

とりあえず、こんな話はもったいないから記しておこうと思いました。

真は、最近の私たちの田んぼの風景です。美味しいお米ができたらお二人に送ろっと。

養老先生の新刊「さかさま人間学」これからの未来を生きる子どもたちに是非読んでほしい一冊です。子どもをお持ちのお父さんお母さん、子どもさんへのプレゼントとにとてもよいかと思います。

…共同通信の大津さんと、田中さんも登場します。

Remaining : 0 characters / 0 images
100

Sign up / Continue after login

Related stories

Writer

山奥の地元でニホンミツバチと暮らす人たちです。

Share

Popular stories

なぜ、セイヨウミツバチの蜂蜜を取り扱うことにしたか。

87

バイオフィリア第0侯 Vol.1 〜私とニホンミツバチの物語〜

47

巣箱をしかけにきました。

41