
塾に通いつづけられる隘路とは
はじめに
塾の裏ばなしです。学校とちがい、学習塾を生徒は選べますし、気に入らないならばかえることができます。一年をつうじて生徒の出入りがあるのがふつうです。わたしの主宰する塾も例外ではありません。
あっ、この子、もしかしたらそろそろ…と思っているとほぼやめてしまう。そのカンは当たります。その理由はわりと明確で、ひとことでいうと「相性」です。教える側と教わる側の関係です。
しかし、なかにはどうしてやめるのだろうかとこちらが首をかしげたくなる生徒がいます。今回はこうした生徒に焦点をあてます。
つづける姿から見えるもの
例としてはそう多くないのですが、塾を立ち上げて数年間は生徒を見送りながら「???。」とあたまのなかを疑問符だらけにしていました。
数年後のことです。ある保護者の方が面談で「ほかの習い事は長くつづかないのに、この塾はやめないでつづいてます。」と話されました。
わたしも「どうしてでしょうね。」といっしょに考えましたが、生徒ひとりひとりに通いつづけようとする理由はいろいろあると思います。
なかにはご家庭がごたごたしていて落ち着いて学習できないので、塾に向かうのかもしれないというご家庭がありました。また、ある生徒はひとりっ子で、ひとりでは進まない勉強が何人か同級生のいる塾ならはかどると言っていました。
ひとり努力する生徒たち
さて、論をすすめるためにべつの例を加えつつ、話を進めましょう。
塾の入り口でひと息ついてから入ってくる生徒がいました。「お願いします。」と自分に気合を入れてから教室に入ってきます。
きもちを一新させてがんばるぞと奮い立たせているのでしょう。そうしなさいなどと指導しません。わたしは生徒たちに強いることはきらいで、「自分で考えよう・決めよう」が口ぐせなぐらいです。
生徒たちの塾外でみせるようすをひとつひとつ知り、涙ぐましいなあとおもい、より生徒たちひとりひとりがいとおしくなりました。
こちらもがんばるきもちにさせてもらえますし、生徒たちの期待にこたえなくてはと、身が引き締まります。
こうしたつづけようと努力する生徒たちがヒントをくれて、この逆につづかなくなるときとはこういうことではないかと思い当たりました。
つづかなくなるときとは
塾をおとずれる生徒たちは親、先生、おとなたちに受け入れてもらいたい、みとめてもらいたいきもちに溢れているんだと感じます。
それに対して、あるちょっとした主として塾での失敗(成績や宿題のことが多いです)で、生徒自身が先生(つまりわたしの)期待にこたえられないと感じ、その場にいられないと自分から身を引く、やめてしまうということがあるようです。これはきっとわたしには言いずらいことでしょう。
とても繊細な生徒たちですし、それを先生にうまく伝えられないもどかしさや残念なきもちのまま、塾を去るのだと思います。
おわりに
理由はほかにもさまざまだと思います。その多くは教える側のわたしにあるでしょう。ふだんからとくにこちらからつづくように仕向けるとか、つづけるようにはたらきかけするわけでもなく、自然体で接するようにしています。
期待を重荷にさせないほうが生徒たちが接しやすいと考えるからです。ただし、なにかこうしてほしいと生徒が態度でうったえているときには、こちらが察してそれとなくアドバイスをするようにしました。最初のひと押しだけですが。
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