
こどもとガンダムをつくりながらつらつら考えたこと
はじめに
ひょんなことからガンダムのガンプラを入手、教え子のこどもと世間話(これもしごとの一部です)をまじえてつくりながら、頭にうかんだことをつづります。
発達障害をもつこどもたちと
たまたま保護者の方々からの依頼を受けて、こともたちに世の中のしくみや生活に必要なことを、伝えられればいいなと計画していました。
もちろん、こどもたちのかかりつけの精神医学の医師の指導を必要に応じていただきながらおこなっています。ちょうど一昨年の11月ごろのことです。
たとえば、自分たちではたけを起こし、やさいを収穫、一部については店を出して売る。得た収益でほしいものをつくる、収穫物で料理をつくり食べるなど実体験をつうじた学びです。長い目でこうした学びの動機づけをおこなっていく計画をたてていたのですが、いずれもコロナで中止。
そのかわりに、マンツーマンで部屋のなかでできることを限定してやることになり、コロナの嵐が過ぎるのを待っていると、あっというまに1年がすぎました。むしろコロナ後のこどもたちの生き方にプラスになることをしようと変化しています。
識字障害をもつM君と
コロナの構えで仕事にくふうをくわえつつ、発達障害のひとつにあげられる識字障害をもつこども(普通学級に通学、M君とします)に、学習と「生き方にプラス」をみつけていく作業をサポートがはじまりました。
M君は年齢にはふれませんが、ちょうど昭和から平成にかけていた天真爛漫な雰囲気をもっています。ちょうどサザエさんの弟のカツオ君のようです。このままのキャラでのびていってくれたらなあと感じて、遅れている学習の面倒をみつつ、いっしょに活動しています。
まず、気づいたのは指先や手をつかった作業です。M君にたずねると、「これまであまりやってこなかったなあ」というコメントです。
手首が発育するにつれて、しばらくのあいだで微妙な感覚の調整ができていく時期のはずです。何かないかまわりを見わたしました。
とても学習塾には見えないかも
さがせばあるもので、木工や鉛筆を小刀で削る、ドライバーやスパナなどの工具で自転車を整備するなど、手先・指先を使う道具をつかう身近なことばかりです。
どれもM君にとってほぼはじめてやることばかりで、おっかなびっくり。でも、楽しそうです。どの作業でも力の加減がたいせつなことにM君自身で気づいてほしいので時間はかかります。
わたしがやれば1,2分の作業でも、はじめてのM君には30分でもマスターできないこともありますが、それでもあきらめずにやろうとしています。そして…できたときには満面の笑みです。
ガンダムのガンプラづくり
そして、ガンプラづくり。
私自身、ガンプラ(むかしはプラモデルと呼んでいました)の製作はひさしぶりです。以前とくらべて、あきらかにパーツのとりはずしのしやすさや、プラスチックのしなやかさが改良されていてとりあつかいやすくなっています。
透明ボンドでくっつけたり、ハンダごてをあてたりといった根気のいる作業がふつうでしたが、それらはまったく必要ありませんでした。改善が進んだものです。
試行錯誤のせかい
それでもあまりガンプラをつくったことがなかったM君。難渋する場面が何度かありました。
やはり手加減することのむずかしさが最初のうちはわからず、パーツを力づくで枠からはずそうとしたり、めいっぱいの力でパーツどうしを結合させようとしたりです。うまくはまらず、あ~あと声が出ます。
そのたびに手の使い方をやってみせて、まねをさせました。コツをつかめば何でもないことですし、私自身、何度も失敗してきたことです。おおかたのやらずに済む失敗を回避する方法をやりながら伝えました。
M君がはまらないパーツに難渋していたので、わたしが受け取り、目の細かいサンドペーパーをほんの少しだけあててからわたすと、M君自身ですっと入っていきました。目をくりくりさせて驚いています。
かぎっ子だったわたしは、組み立てに失敗して途中であきらめたり、のみでざっくり手をけがしたりしてやってきたことを思い出していました。そのことをM君と話しつつ、ゆっくりとガンダムが完成。
いかに大きく見えるかで、ああでもないこうでもないと議論しながら撮影。
おわりに
すべてのパーツの組み立てをM君自身でやりとげました(スマホ撮影はわたし)。その充実感があったのでしょう。ひとつやりとげたという表情でした。「ちょっとむずかしかったなあ。」といいながらかばんをかかえて帰るM君でした。
このサポートがM君にプラスになるかどうか、長い目でみないとわからないかもしれませんが、コロナ下でもできる活動のひとつと思いました。